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夢を追って上京したら病気になって地元に帰ることになった話

 精神の病気についての詳しい描写があります。

 フラッシュバックを起こしたり、不愉快な気持ちになりそうだと思った方は、閲覧をお勧めしません。

 前回はこちら。

https://note.com/preview/n8876fbccfba3?prev_access_key=9b87c6ef0e7bf4152d2c45f8f78747cc

僕は病気になった。

 夢を追って専門学校に上京した僕は、半年ほど一人暮らしをした後、学校でパニック発作を起こした。

 そこから、嫌な思い出ばかりで逃げるように出てきた地元に帰ることになった。

 そして、今に至るまでずっと闘病している。

僕はパニック障害、そして双極性障害という診断名がついた。

 僕は、約12年闘病して、ある時から『あの時発作が起きていなければ、どこかで死んでいたかもしれない』と思うようになった。

 もう、ここまで読んだ方はお気づきだろうが、僕は子供の頃からずっと病んでいた。

 病院に行くようになったのは、遅すぎたくらいだ。

 けれど、まだ現実味がなくて、早く働かなくてはと少し調子が良くなった時はバイトしたりもしていた。

 ある時、知人の死が連絡された。

 僕はそこでおかしくなってしまった。

 あちこち電話をかけまくり、それでも自分は平静を装っているつもりだったが、ある人から「おかしいから臨床心理士のカウンセリングを受けるべき」と指摘された。

苦難の道、カウンセリング

 カウンセリングは、高額である。

 一回一万円前後、それで多い時は月四回通っていた。

 それで、およそ十年くらい通った。

 ちょっと、知りたくなくて計算ができない。

 そのお金を出してくれた家族、協力してくれた家族には頭が上がらない。

 僕は、本来なら僕をいじめてきた人たちがそれを払うべきだと思っている。

 カウンセリングは、ただ話すだけなのだが、ひどく疲れる。

 最初の頃は泣きながら帰ったり、帰ってすぐ寝てしまうことも多かった。

そこで僕は「アサーティブ・トレーニング」と出会う。

 これが大きなターニングポイントだった。

 アサーティブ・トレーニングは、人との対話のトレーニングだ。

 自分を主として伝える「Iメッセージ(アイ・メッセージ)」が特に役に立った。

 これは「自分は〇〇である」という言い方で相手に伝える訓練で、例えば相手が何かをした時「なんでそんなことをするの!?」と詰め寄ってしまうことは多くあるが、そうではなく「そういうことをされると、自分は悲しい」と自分主体で話すテクニックである。

 つまりここで、僕は『本の世界の言葉』ではなく『人間同士の会話』のための言葉を習得するのである。

 これが、自分にとっての第二言語だと思っている。

 どういうことかと言うと、自分は本での表現に慣れすぎて「悲しい」ということを「胸が痛い」と言ったりしていた。

 「胸が痛い」と言うと「胸が(実際に)痛いの?」という感じになって、意図が正確に伝わらない。

それは、自分の考え方そのものを一回崩して、新しく立て直すような作業だ。

僕にとってはとても苦しいことだった。

「悲しい」「楽しい」「嬉しい」などの言葉は、自分の感覚から言うと、ざっくりしすぎていて、細かく正確に自分の気持ちにフィットしていない感覚になったのである。

 今思えば、その『ゆとり』があるからこそ、相手が相手なりに受け止める感情の交流ができて、そのためにある言葉なのだろうと思う。

 例えば「嬉しい」と相手に伝えたい時「今この場所にいることが本当に幸せで、心が震える」など、本来の自分の気持ちのままにしゃべろうとすると、文学的表現になってしまうのだ(笑)

 だから、僕は第二言語を習得した。

 これで、コンビニで話す時もなんて言えばいいのか怯えていたのが、その必要がなくなった。とても生きやすくなったと思う。

 しかし、すべてがスムーズに運んだわけではない。

気が狂うということ

 僕は躁鬱がひどかった。

 長年病気と付き合ってきたことにより、それが生理周期にかなり影響を受けることがわかった。双極性障害(躁鬱病)と言うにはサイクルが短すぎると言われたこともあって、実際なんの病気なのかは、いまだにわからない。

 しかし、躁鬱がひどかったのである。

 躁には、ある日いきなりなった。

 今までずっと鬱だったものが、鬱しかなかったのが、パァンと弾けるようにポジティブな感情が湧くようになったのである。

 治ったと思った。

 そして、今後躁になるたびに治ったと思うのである。

 しかし、鬱もある。

 鬱になると、死にたくなる。

 それで散々家族も振り回し、ひどいパニック発作を何度も起こし、幻覚を見てこのまま死ぬのかと思ったこともある。

 ぬいぐるみを買い漁って、それに埋もれないと眠れなかったこともある。

 買い物依存的になって、勝手にカードを作って買い物をしてしまったこともある。

 介護して欲しい、もう疲れたと思っていたら、本当に口がきけなくなって、親に風呂からトイレまで介護してもらったこともある。

 自分で今思い返しても、本当に辛かったと涙が出てくる。

 でも、今、そう思えるのは、その苦しいところを少しずつ抜け出してきたという証でもある。

無理だけはしないで

 僕が、みなさんに伝えたいメッセージは『過剰に頑張ると、無理をすると、体や心を壊し、立て直すのに時間がものすごくかかる』ということだ。

 自分が繊細だとか、真面目だとかいう自覚がある人ほど、自分に優しく、自分を甘やかしてあげて欲しい。

 人生60点と思って、手抜きをして生きていく。

 すべての人に当てはまるアドバイスではないけれど、100点を目指して体や心を壊しそうになっている人にとっては、大事なことだと思う。

 要領のいい人は、手抜きが上手だ。

 手抜きという言葉を使ったけれど、自分が壊れないようにする術を知っているということだと思う。

 また、子供のことだと侮らないで、きちんと見守ってあげて欲しい。

 学校というのは、休み時間まで先生が目を光らせることは難しい。

 今振り返ると、いじめる側こそ、家庭環境がよくなかったり、ストレスを抱えている子が多かったように思う。

 いじめる側、いじめられた側、両方にケアが必要だと思う。

終わりに

 僕を救ってくれたのは二次元だった。

 小説や漫画だ(子供の頃は見る環境があまりなかったけれど、大人になってからはアニメも)

 ノートパソコンを使わせてもらうことができたので、ネットも、僕にとっては救いだった。

 今は『無理をしないように生きよう』ということをテーマに、不器用ながらも手を抜くことを覚えながら(つまりそれは自分を責めないということだ……)生きている。

 こんな自分でもできる仕事を探しながら……。

 You Tubeを見てだらだらしたりしながら……。

 見守ってくれている家族には感謝である。

 病気によって、感情的になって、それを家族にぶつけたこともあった。

 けれど、それで家族の誤解も解けたのである。

 僕は、ずっと無口だと思われていた。

 でも、本当はおしゃべりなのだ。

 セクシャルマイノリティだ、Xジェンダーだ、パンセクシャルだ、ということも、今は受け入れてくれている。

 人生に100点なんてなくて、だからこそ、いつも100点なのだ。きっと。

 これを読んでいるあなたが、今不幸のまっただなかだったとしたら、どうか自分に優しくする選択をして、優しくする選択を増やして欲しい。

 誰より傷ついてボロボロの自分に向き合うのは本当に恐ろしい。

 僕は、心のなかで自分自身を見つめた時、ボロ雑巾のようなものしか見えなくて叫びたくなったことがある。

 今は、心の中の自分は笑ってくれる。

 たくさん傷ついた。消えない傷もある。

 でも生きていて、微笑むことができる。

 働けてはいないけれど、幸せだ。ご飯はおいしい。友達もいる。猫もいる。

 それでいいじゃないか、社会の一般論的にはダメダメかもしれなくても、それを基準にしなくても……。

 僕は立ち直ってきつつある。

 そして、前向きに歩いている。

 これは不登校児だった僕の物語だ。

 アラサーでセクマイで結婚してなくて無職だけど、幸せだ。

 あの頃の自分を抱きしめて「よく頑張ったね」と言ってあげたい。

不登校児だったとしても、幸せになれる。大丈夫だ

 ここまで読んでくれてありがとうございました。

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