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不登校児が復学したらひどいいじめに合って死にたくなった話

 これは、実話である。

 著者の身に起こったことについて書いているが、過去いじめを受けてつらい思いをした人など、フラッシュバックを起こしそうな人は読むことをお勧めしない。また、自殺願望についても触れる。

 ご理解の上で、読んで頂けたらと思う。

 前回はこちら

https://note.com/preview/ne69a4b7bdd7f?prev_access_key=f219512fcbeae3d3133ca75e0d700212

地獄の先は地獄だった

 僕は、本や漫画の世界に逃げ込み『人間とのコミュニケーション能力』がほとんど育っていない状態で、中学校に進学した。

 いわゆる、空気の読めない存在である。

『何を話せばいいかまったくわからない』

 ここに、僕がセクシャルマイノリティである片鱗があるが、当時は女子たちの話す『恋愛』『メイク』のような話がまったくできなかった(今は全然大好きだけど……その話はまた別の機会に)

 (もちろんセクシャルマイノリティでなくとも、そういう話題が苦手な人がいることも理解している)

 真面目キャラだと思われていたので、真面目キャラを演じてみんなの期待に応えなければならないと思っていた。

 空気が読めなかったので、まったく悪気なく「テストできなかったね~」という話題の時に「そうだよね、私は80点だった(100点ではなかったので、話題に合っていると思った)」と言って相手を傷つけてしまったりした。

 なにもかもその調子だったので、いつの頃からかいじめが始まっていた。

 当時の自分を責められないけれど、その頃、中学生のクラスでは『みんなとの輪を重んじること』『空気を読むこと』が必修科目で『それを破るのは完全に許されない』というような空気があった。

 簡単に言うと、浮きまくっていたのでいじめのターゲットにされてしまったのだ。

 男子からも女子からもいじめられた。

 罵倒。ブス、豚と言われる。

 机にゴミを入れられる。

 花粉症の友人の持ってきた箱ティッシュの中身を全部引き出し、それが僕の机の中に入っている。

 体育で、汗をかくと笑われる。

 ダンスの時間に、汚いものを触るようにして触られる。クスクス笑いながら、ジャージの袖越しに手を触られる。

 体育で着替えた服の上に、帰ってきたら黒板消しが乗っている。

 名前も知らない別のクラスの子に『死ね』と言われる。

 いじめはいつの間にか学年中に広がり、僕は『誰からも悪口を言われてもいい人』という位置づけになっていた。

自転車置き場で壊れた自分の心

 自転車で通学していた僕は、たまたま、帰ろうと自転車を取りにきていた。

 その自転車置き場で、まったく知らない別のクラスの子、顔くらいは見たことがある、という程度の子に『死ねーーーーーーーーーーーッ!!!!!!』と怒鳴られた。

 パァン、と自分の心が砕け散った音が聞こえた。

「あんたにそんなこと決める権利ない」とかろうじて言い返した。

 でも、どうやって学校から家に帰ったのか、ほとんど記憶にない。

 また、廊下の向こうから、その当時いじめっ子の総大将、猿山のボス猿のようなポジションの子が、わめきちらしながら走ってきたことがあった。

 そのこともひどく恐ろしくて、何か言われたような気がしたが、言われなかったのかもしれない。

 学校自体が荒れていたということはあると思う。

 男子が無茶な体勢の男子の上に何人も重なり、中世の拷問みたいになって一番下の男の子が「痛い!痛い!」と叫んでいたこともあった。

その頃から自殺を考えるようになった。

 幸いにも、僕は痛いことが嫌いだった。そのことが、決定的に自殺をしようと思わなかった歯止めになっていたと思う。

 でも、自分の腕を噛むようになった。

 カッターナイフで、部屋の柱に傷をつけるようになった。

 自分の死を祈るようになった。

 学年が変わったらいじめが終わるのではないか?

 淡い期待もむなしく、中学二年になった時、名前も知らない子から「死ね」とまた言われた。

 もう、諦めた。

 ひどく疲れた気持ちで、僕はまた不登校になった。

 この頃の記憶はほとんどない。

 スクールカウンセラーさんにはよくしてもらった。

 そして、そのスクールカウンセラーさんからこう言われた。

『今乗り越えておかないと、もっと乗り越えるのが大変になる』

 僕は、中学三年の終わり。一月から学校へ戻った。

 クラスに戻った。

 何事か、戻る理由を作文にして、それをクラスメイトの前で読んで、拍手をされた。

 正直こんなのは茶番だと思った。

 僕のことをいじめてきた女子たちでさえ僕に優しく、吐きそうになりながら学校に通った。

 この時も記憶がほとんどない。

 その後、僕は単位制の高校へ進学した。

 私服校で、問題を抱えた子が多く通っていた。

 いくらかは安心して通えた。

 楽しい事もあった。

 けれど、僕の心は死体のままだった。

 僕は、もう『それらしい反応だけを返す人形』になろうとしていた。

 自分の意思で話すとトラブルになる。

 なら、パターンで返そう。

 今思うと、それはある意味失礼な行動だったのかもしれない。

 けれど、その当時はそれしか選択肢がなかった。僕にコミュニケーションをいちから教えてくれるような人はいなかったからだ。

 そして僕は進学する。

 上京する。

 このつらい思い出ばかりの田舎を捨てて。


 続く

https://note.com/preview/nc7e3302754f8?prev_access_key=9266291d4b4ca037c0500da6fa275bc0

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