「光は、ときに悲しみを伴う」蠍座シーズンの考察のためのメモ


「光は、ときに悲しみを伴う」の悲しみとは、「影」の象徴だといえるかもしれません。しかし人は、闇にあるとき、最も強く光を感じるのも事実です。

(以下 p71 トークセッションから抜粋と概要メモ)

入江:若松さんは『魂に触れる--大震災と、生きている死者』というご本の中で、フランクルの「人生に何かを期待するのではなくて、人生が私たちに何を期待するかが問題なのだと言うことを学び、絶望している人間に伝えなければならない」という言葉い触れられています。
 生きる意味についての問いを180度転換させる有名な言葉ですが、それ以上に大切なのは「伝えなければならない」と言おうところなんだとおっしゃってます。

若松:伝えるというのは、せき止めてならないという感じです。
 本当に大事なものというのは所有できない、通り過ぎていくのだと思う。
 すべて与えられたものだから、必要な人がいるのであれば、それを渡さなくてはならない。それが「伝える」ということのような気がします。

若松:「自分の存在は無意味だ」ということは言ってはならない。自分という存在は永遠の不思議でもあって、簡単に無意味だと断定できるものではありません。(介護施設の寝たきりのおばあさんへの自身の反応を契機に介護の現場に入った経験談)

 自分が他者に何を与えられるかを人はほとんど知らないのだと思います。また、逆に何かを与えていると思っている時は、相手にとってはいらないものだということが多いかもしれません。

愛せないと思うとき、その人は愛に限りなく近いところにいる
入江:苦しみは恩寵である、そして、恩寵は必ずしも自分のおもった通りの形をしていないと、おっしゃった。
若松:例えば、人を愛せないと思うことがあります。人を愛せないという苦しみこそ、人を愛へ導くものだとも言えると思います。
自分にとって本当に大事なことが、自分の望んでいるようなかたちでは現れないということに気がつくと、考え方やものの見方が変わってくるのではないでしょうか。自分の思い通りにならないということと、意味がないということは違う。思い通りにならないことに、大事な意味がある。そんな風に思います。

若松:人は生きつつあるとともに死につつある存在であることを忘れずにいたいと思います。
 人間が変わるのに時間はいらないと思うのです。あることが起こらなければ変われない、ということはないんです。人間というのは今にしか生きることができない。

若松:「光は、ときに悲しみを伴う」という地点から一歩深めて、悲しみこそ光なのではないか。朽ちることのない光を宿している、この光の証人になること、そして、それを伝えていくこと、それが人間の「人生の仕事」なのではないかと思うのです。

悲しみとともにどう生きるか』入江杏 編著 第二章(若松英輔氏)より


このところわたしの中でぐるぐるしているテーマがあり、たまたま(偶然は必然だが)手にとった本に触発され、導かれ、ぐるぐる考察を続けている。

東畑開人氏の著書から
『治癒とはなにか』の問いと仮説
『心と経済活動』の折り合い
『ケアとセラピー』についての臨床的視点など

その流れでふと目に留まり図書館で予約した今回の本は、まだ読み途中。
理不尽な事件で妹さん家族を亡くした入江杏さん編著の、6名のゲストによる講演や寄稿をまとめたもの。



太陽が蠍座に入るシーズンは、冥界の気配を感じる。春と秋のお彼岸のようなある種の生々しさを伴う感覚とはまた違う。いつも世界にある影が濃くなり、そこから目をそらすことが難しい。「生死一如」の地点に立たされる。

何度も体験している状態だから慣れてはいて、逃げようとも、もがこうともしなくなったが、正直たのしいものではない。晴れることのない霧に包まれ、ふとよぎる気配に感覚を澄ます。なんでこんなとこで、こんなことしてるんだっけなあ・・・そうして自由意志についてまた考えを巡らす羽目になる・・・

この感覚は何度も体験しているが毎回まったく同じということはなく。今回はこうして文章にできているのが目新しい。今までも書いたことはあったかもしれないが、こういうスタンスで、こういう場ではありえなかった。

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虚無は自由や無限と表裏一体、立ち位置を選べる(場合もある)
自由や無限を深めただけ虚無も深まり、こうして時折そちらに呼ばれてしまう

何度も訪れたこの場所は
てっきり行き止まりと思っていたが
もしかすると行き止まりではないのかもしれない

表と裏を感知する世界の、その先、その奥に
あるとしたらそれは、表も裏もない世界?
あるいはどんな・・・?

---先の記事にいただいたコメント2件のおかげでさらに引き出された言葉を記しておく。

蠍座シーズン折り返し。
晴れることのないこの霧もいつかは消えるとわたしはもう知っている。
行き止まりの絶望を味わえるのも
つまりこの闇にある光に触れられるのも
霧が立ち込める、いまだけの、恩寵なのだろう。

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