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我々を裏切るものを育てるあなた

自民党が派閥を解消するというニュースで騒がせています。

問題はそこではないはずなのですが・・・

ブルガリアで「建国の父」と呼ばれ、
 第二次世界大戦における反ファシズムの戦いの英雄であった
 ゲオルギ・ディミトロフが、次の言葉を残しています。

 「次にファシズムがやってくるとき、彼らは、
 「反ファシズム」を掲げてやってくるだろう。」

この言葉は、

 「自分以外の誰かが、
 この国を変えてくれる。
 という
 『依存心』
 が
 『我々を裏切るもの』
 を育ててしまう」

事を意味します。

しかし、それ以外のルートを通ってファシズムがやってくる場合があります。
例えば、ロシアのプーチン氏。
彼は、何か特別な選挙戦略を使ったわけではありません。
諜報活動が国や国家間の関係まで動かす事を知り、
国家を動かすために必要な要の役職の階段を
確実に登っただけに過ぎません。

以下が彼の略歴です。

「日仏合作の映画『スパイ・ゾルゲ/真珠湾前夜』を見てスパイに憧れを抱いた
プーチンは
10代前半、KGBに就職したいと考え、
14歳の時、KGB支部を訪問しKGB職員にアドバイスを受けた。
プーチン少年はそれに忠実に、柔道に打ち込み、レニングラード大学では法学部に入り、自分からはKGBに接触しなかった。
プーチンは1975年に大学卒業後、KGBへ就職する。
1985年から1990年まで東ドイツで諜報活動に従事した。
1990年、東西ドイツ統一により、レニングラード大学学長補佐官として勤務した
1991年6月、レニングラード市対外関係委員会議長
1992年5月、サンクトペテルブルク市副市長、
1994年3月にサンクトペテルブルク市第一副市長に任命された。
1996年、ロシア大統領府総務局次長としてモスクワに異動した。
1997年3月にはロシア大統領府副長官兼監督総局長に就任した。
1997年6月、プーチンはサンクトペテルブルク国立鉱山大学に「市場経済移行期における地域資源の戦略的計画」という論文で経済科学準博士の学位を得る。

1998年5月、プーチンはロシア大統領府第一副長官に就任した。
同年7月にはKGBの後身である連邦保安庁長官、連邦安全保障会議事務局長を経て、
1999年8月に首相に就任した。

同年12月にエリツィンが辞任し、
プーチンは大統領代行に指名された。

2000年のロシア大統領選挙を制してプーチンは大統領に初当選。
2004年には再選を果たした。
当時の憲法上は大統領就任が連続2期までに制限されていたため、
2008年から2012年はドミートリー・メドヴェージェフに大統領職を譲り、
プーチンは首相を務めた。
2012年の大統領選挙で大統領に復帰し、2018年に再選された。
2021年4月、国民投票を経て、あと2回再選に立候補できるようにすることを含む憲法改正案に署名し、
プーチンは大統領の任期を2036年まで延長する可能性がある。」

この記事の表題の

「我々を裏切るものを育てるあなた」

をロシア人に言うとしたら酷でしょうね。

ましてや、ウクライナの人々には
全くどうするチャンスもない隔離された時空で、
プーチンの権力は生まれ育ったのです。


今プーチン氏に対抗できる政治勢力はロシア内には無いでしょうね。
プーチン氏が言論を統制し、
対抗馬になりそうな有力者を
(罪を被せたり暗殺したりして?)
日の目に出ないようにしているようですから、
彼の寿命が尽きるまで、
ロシアはプーチン氏の私物であり続けるでしょう。

ウクライナとの戦争も、
ひとえに、プーチン氏の気持ちが変わるか、
ウクライナが力尽きるまで変わらないかもしれません。

翻って、ここ日本では、
見事に
「反ファシズム」を掲げてやってきた人たちがいます。

この人たちを日本人は根気よく育ててきましたが、
もう、やめるべきでしょうね。

まだ間に合います。





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