はじめに/空に虹
大学を卒業して入社した会社が、とんでもないブラック企業だった。はじめての会社。はじめての社会人。だから勤めている会社がブラック企業なのかどうなのか、ボクにはしばらくはわからなかった。
そしてブラック企業らしくボクは真っ黒に染まってゆき、ブラックな仕事を次々にこなしてゆく。そしてそれは言うまでもなく純粋に、ブラックな労働時間、ブラックな年間休日、ブラックな上司、ブラックな営業方法なのであった。世界最強のオールブラックスなのであった。
10年ほどたったある日、ボクはその会社を退職した。ブラックな日々のこと、その当時考えていたことなどは、また違う機会に書こうかな。
とにかくブラック会社を辞めた。なんて気持ちがいいのだろう。見上げる空はこんなにも高く、そして青かったのかい。
自由になったら、旅をしたくなるものだ。
2週間ほどタイへいった。
ニッポンへ帰ってきて、しばらくしてから1ヶ月ほどフランス~スペインにいった。
学生時代には、タイ、インド、グアムにいった。タイとインドは宿泊先は当日に飛び込むような自由な旅行だ。飛行機のチケットのみゲットした。沢木耕太郎著『深夜特急』はもちろんのこと、『進め!電波少年』の猿岩石のヒッチハイク旅にあこがれいたから、特にインドは一人旅でとても楽しかった。
つまり、年間休日もブラックで連休をとって旅行にいけるような会社ではなかったので、退職後、海外へ旅に出ることは自然なことだったと思う。その旅のことも、また違う機会に書こうかな。
会社を辞めて、タイとヨーロッパへ旅に出て、ニッポンへ帰ってきた。
その時点でボクは33歳になっていた。
それからはだいたいの人が経験しているであろう、ハローワークへ通い、会社を調べて、履歴書を書き、面接へいった。そしてやっぱり落ちた。どんな会社もフラフラしてそうな旅帰りの33歳の男へなど、内定はださない。ボクが会社の人事でも、そんなヤツはやっぱりとらない。
そして30代でだいたいおちいる、“世界はオレなど必要ない説”で頭がいっぱいになる。夜はウイスキーのことで頭がいっぱいになる。30代には、そういう夜が増えてくる。
そこで、ボクは起業することにした。
2013年、ボクは『潜水工房 鯨庵』というダイビングショップをオープンした。
読み方は、せんすいこうぼう くじらあん。
ダイビングとは、海でもぐるスキューバダイビングのことである。
つまりボクは、ダイビングのインストラクターである。場所は、京都市内。ダイビングのためのスクールやツアー、器材の販売などをしている。社員はボクひとり。
はじめて就職したブラック企業は、ダイビングショップを運営する会社だった。だからダイビングショップをオープンするのは自然の流れだった。っていうか、それ以外できそうなことがなかった。
ダイビングショップの鯨庵を経営すると同時に、アウトドアメーカーでも仕事をした。おかげで山もキャンプも好きになった。ホテルの朝食の仕事もした。残ったシャケの塩焼きを自分のまかないとして、お皿でいうとたぶん100皿くらいは食べた。深夜の印刷工場でも仕事をした。工場の仕事、とりわけ深夜に働くのは、ボクのやるしごとじゃない、とわかった。そして今は、介護の仕事をしている。
つまり今は、ダイビングショップと介護の仕事をしている。
そしてこれから、なにかもうひとつ仕事ができたらな、と考えている。
ダイビングと、介護と、もうひとつ。
まだ何も思いついていない。
明日思いつくかもしれないし、いつまでも何も思いつかないかもしれない。でも漠然と何かをはじめたいな、と考えている。
“何かをはじめたい”その進捗もここに残せたらな、と。
自己紹介とは、こんな感じでよかったんだろうか。
写真を撮っている。映画を観る。本を読む。自然が好き。コーヒーを飲むことが好きである。
好きなものをこう並べると、いかにもスマートな感じがする。こじゃれてるな、と。
けれど、写真はキソができてなくてヘタクソやし、映画も本もマニアになんてなれない。キャンプではまだ自分で火をおこしたことがない。コーヒーは一日2杯以上飲むことはできない。
中途半端なのだ。
2024年は『note』を書こうと決めた。
考えていることや、その当時感じていたことなどを書こうと思った。忘れるから。
頻繁には更新できないけれど、思いついた時にでも、書けたらいいなと思っている。
ゆっくりと、進めてゆこうと。
ハイホー☆