記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。

映画『関心領域』感想と考察

以下ネタバレ含みます。

見終わってすぐ。
平衡感覚を失ったような、頭をグワングワンした感覚が襲います。
まるで、自分がその決断を下したかのような。
後味の悪さ。

世間から大きくかけ離れた美しい庭と、毒々しく咲く色とりどりの花。
美しすぎる芝生、かわいいプール、美しさ重視で歩きにくい小道。

ナチズムを抽象化したような、雑草を完璧に抜く事で理想へと近づく庭。
理想郷は東屋の完成を待たず途中半ばで、計画倒れします。

異様なほど強い光と、それに伴う影が不気味さを煽っていました。
そして光と同じくらい違和感を浴びせてきたのは音でした。
最初から最後までずっと、小さい不協和音から大きな叫びまで。
狂ってしまうのではないかと思うほどそれしか聞こえず、何も見えない空間は家では再現のしようも無いので映画館で見て本当に良かったと思います。

そして終始のどかで平和そのものに暮らし、贅沢の限りを尽くす描写は中々くるものがありました。
目線より一歩引いた遠目の構図から見る小さな違和感は強烈で、一見普通の家族に見えるだけに気持ち悪さを感じます。

直接両方の現実を見ているのはルドルフだけでしたが、彼が日常を普通に送れば送るほど、普通の親であり、仕事をこなしているだけだという割り切りが社会人として理解できて嫌になります。
もちろんアウシュビッツは人道的からは程遠く、絶対に起きてはならないことなのですが、言われた仕事をこなしているだけだと思い込んでいるのだとすると、本当に恐怖を感じます。
戦場のピアニストで、政府側に回る友人と、収容されていく家族の違いなんて紙一重だったことを思うと、人がその場に流れ着くのに意思はほとんど関係ないように感じてしまいました。
私と彼ももしかすると紙一重だったのかもしれません。

後半、ルドルフが転属になってから、元々綺麗に見えていた歯車が大きくずれたように違和感が目立ち始めます。

おばあちゃんはどこに消えたのでしょう。
素晴らしい家とアウシュビッツから聞こえてくる叫びとの不協和音に耐えきれず、逃げ出したのかもと思いました。
パーティの後、庭に1人取り残された恐怖は、改めてアウシュビッツの目の前なのだという現実を目の当たりにさせたのかもしれません。

そして、兄弟の無意識の残虐性。
母親はあの恐怖の収容所の隣が、本当に子供達の教育に良いと考えていたのでしょうか。
外からの殺される叫び声に、次はやめろよ(うろ覚え)と言ったり、弟を温室に閉じ込めたり。
ここは過剰に受け取りすぎの可能性もありますが、このシーンが入ることで絶対子供に悪影響だと気づくポイントの場面でした。

また、途中のモノクロ映像の女の子は一体何だったのでしょう。
リンゴを配ったり、何かを工具の後ろに隠したり、、
砂糖をあげたい女の子の夢の中の映像?
女の子の良心から来る願望、もしくは現実逃避的な意識の乖離でしょうか。
ヘンゼルとグレーテルのお菓子の家は、あの美しすぎる家のように都合の良い幻想だということなのかもしれません。

私が特にゾッとしたのは犬でした。
多くの場面で真っ黒で大きな美しい犬が映るのに誰もほとんど興味を示さない。
犬に対して発する言葉は「待て」くらいです。
目の前にいるのに一切興味関心を示さない。

そして後半、道端で会った黒い小型犬を可愛がり、年や性別を聞くシーンへの違和感に繋がります。
常に目の前にあるものへの関心は薄れ、たまたま目に入った時だけ物凄く好きだったもののように接する。
今の私達も、戦争やテロなど、ニュースで目に入った時だけずっと気にかけているようなフリをする。
昔の話ではなく、今私達に向けた映画だということであり、鋭く刺された痛みを感じました。

最後の階段を降りていくシーンは、特に象徴的だったように感じました。
一切の迷いなく下へ下へ、闇の濃い方へ進んでいきましたが、途中で吐き気を催し、自らの行いの違和感に勘づきます。
健康面に問題ないことも描写がありましたので、あの吐き気は精神的なところから来ているものだと見ることができます。
ただ、もう戻ることができない。
一度も振り返ることなく結局闇へ消えていく様が、わかりやすい絶望を感じました。

途中でアウシュビッツの映像が入ったところが1番きつかったと思います。
逆に言うと、そこ以外なんにも具体的な描写が入っていない。
全て音と色。
よくこれだけであんなに想像を掻き立てる演出ができるなと思いました。
ただ、あのアウシュビッツの映像だけで十分痛ましさを感じました。

ですが、少し前にオッペンハイマーも見ているので、原爆と同じように、起こったことを想像して悲しくなる自分がいなかったことが正直1番ショックで、想像力の乏しさに気持ち悪さを感じました。
アウシュビッツも、カンボジアのキリングフィールドも、ダメージを受けすぎそうなので避けていましたが、実際に目にしないといけないものなのかもしれません。

終始感じていた違和感が放出したようなエンディングは、本当に気が狂いそうで、狂う前に聞こえる音はこんなだろうかと想像したり、おかしくなって飛び込む気持ちに思いを馳せながら金縛りにあったかのように座っていました。
あれほど文字が目に入らないエンディングはそうほう無いですし、エンディングの途中で出る人はこの映画の一番必要なところを見ていないような気がしました。

終わった後もフラフラと全身に強い衝撃を受けたように揺さぶられる気持ちで映画館を後にしました。
これを書いている今もまだダメージを受けたままですが、書きながらこれは現代に作られた映画で、現代人に向けた作品だということに書くまで気づかなかったことにショックを受けています。

普段一歩踏み込んで考えようとしない、他人の上辺だけを見て知ったような気になっていたり、興味のある部分だけを都合よく見ている私たちこそ箱庭のような関心領域で生きているのかもしれません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?