水族館好きはエゴなのか

私は水族館が好きだ。
生き物がたくさんいて、美しく泳いでいるひっそりとしたあの空間が大好きだ。
普通に陸で暮らしている私達が、普段なら絶対に出会わない彼らに会えるロマンに何回でも新鮮にうっとりする。

そして特に海の哺乳類、イルカやクジラ達に出会えること、身近でその姿を見せてくれることに感動する。
こんな大きな体を持つ生き物が海にいて、自由に泳ぎ回り、私達と似た身体の機能を持ち、そして賢い頭脳で私達を認識している。

彼等の賢さを体感した出来事がある。
和歌山県にある太地町くじらの博物館に行った際、水槽の中にいるクジラと写真を撮ろうとした。
ちょうど近くにカズハゴンドウが泳いでいたので一緒に映れたらいいなと母親にカメラを渡すと、今真横にいるから早く早く!と急かされた。
どこにいるのか確認する余裕もなく、慌てて写真を撮ってもらい、撮り終わった後に振り向くと、カズハゴンドウはたまたま通りがかったのではなく、しっかり私の後ろに留まっていて、じっと私の目を2秒ほど見つめてからゆっくりと去っていった。
確実に目が合っていた。
忘れっぽい私だが、この事は鮮明に覚えている。
穏やかな眠そうな目で(あくまで人間基準だ)、私を認識し、カメラを意識し、コミュニケーションを取ったのだ。

感動した。
賢い事は知ってはいたが、写真を撮ることを理解し、側に待機してくれ、私の顔を見て目を合わせたのだ。
彼等には明確な意思があると身をもって体験した出来事だった。
そしてトレーナーさんを介さずにした初めてのコミュニケーションでもあった。

そんな彼等だが、水族館という狭い空間に閉じ込めるのは当然のように人間のエゴ以外の何物でもなく、きっと相当のストレスを与えているのだろう。
それに海で泳いでいる方が何倍も美しく、生を全うできるだろう。

もちろん子供達にこんな生物がいると伝える教育の機関としての役割もかなり大きいだろう。
海の生物が安全で無くなるからゴミを捨ててはいけないと言っても、食卓に上がる魚しか知らなければ想像力に限界があるだろうし、想像力の欠如は優しさの欠如であり、人間の自分勝手な振る舞いにつながってしまうだろう。

また、研究機関の役割も大きいと思う。
生態を調べて環境や生命の保全に役立てたり、環境問題の解決の糸口になることもあるだろう。
ただやはり彼等のサイズに対するスペースや、限られた個体数や、一生を水族館という狭い空間で過ごすことを考えると中々酷いことだと考えてしまう。

でも彼等に会えること、その姿を見ることができるというだけで、エゴとはわかっていても私は水族館に行ってしまう。
海獣類以外も、水の中で生きる姿はとても美しく、普段まず見ることができない姿はとてつもなく魅力的だ。

でも願わくば、とてもとても広い場所で満足な泳ぎをしながら、私たちにその姿を見せてほしいと思う。
入江に野生のイルカを勧誘して、その入江を地下から覗けるように大きなガラス窓を作り、遊びに来たイルカ達とコミュニケーションをとるのはどうだろう。
とんでもなくお金がかかりそうだ。

最近はどこも熱心に展示やお世話の情報を載せてくれるところが多く、水族館に一歩踏み入れれば、生き物達に対する飼育員さんたちの愛を感じることができる。

なので人間のエゴを捨てられない私はこれからも様々な水族館に出向き、お金を落とし、飼育員さん達が彼等の生活を少しでも豊かにしてくれるよう努めていきたいと思う。

いつか研究が進み、彼等と深くコミュニケーションを取れる日が来るだろうか。
そうしたら私は彼等の宝物の話を聞き、どこの海がお気に入りかを聞き、彼等が陸でどれほど人気かを伝え、お気に入りのクジラのイラストが入った物差しを見せるだろう。

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