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いつかの景色と明日の自分⑦

みなさん、こんばんは。
遠藤果林です。
昨日の続きで、震災のお話を書いていきます。

暗いです。

ここから実際の震災がどれだけすごかったのかを知ることになります。
こういうのが苦手な方は、ご注意ください。


言葉が出ない、という状況

母親が無事帰ってきて、自宅で合流することができました。

しかし、あわよくば一緒に来るだろうと思っていた妹の姿は見当たりません。

話を聞くと、隣町のカラオケに友達と行っていた妹を迎えに行く途中、津波が来ることに気づいて山の方に避難したんだそうです。
車ごと何とか逃げれたものの、海近くの道を通るのが困難になり、山道で通れそうな道を走っていきましたが、カラオケがあったであろう場所は津波の被害で近づけず…。

もしかしたら運よく山の方に逃げているかもしれないと思い、海から離れた山の中にある施設をいくつか回ってみたものの、妹の姿はなく、日が暮れてきたところで施設の方のご厚意で一晩泊めてもらったそうです。

その後、一旦私たち家族と合流するために戻ってきた…とのことでした。

母親が帰ってきたことは素直に嬉しい。
でも、そこに妹の安否がわかっていればどれだけ良かっただろう。

悔しい気持ちも含め、不安は拭いきれないまま、最悪の状況ではないことを祈るしかできません。
電池の残量も気にしながら、未だに繋がらない携帯電話を握り締めていた記憶があります。

私たち家族は話し合いをして、二手に分かれることになりました。
私と母が妹を探しに隣町まで向かい、他の家族は近くの山の中腹にある駐車場で待機する、というものです。

岩手県は車社会。
一家に1台ではなく、必要に応じて車を持つような場所でしたので、私たち家族も父と母、そして私の計3台を保有していました。
父と母の車はワゴン車だったので、燃費の良さやガソリンの残量を考えるとあまり動かしたくなかった。
そのため、山の駐車場には父母の車2台を止めて、小型で立ち回りのしやすい私の車で妹を迎えに行くことになりました。

山道は、元々狭くぐにゃぐにゃと曲がりくねっているのに加え、地震の影響でところどころ落石していたり、木が倒れていたりします。
そこから海の近くを通らないように、通れる道を模索したり、前に走る車についていったりして、ようやく隣町まで着きました。

私は津波をこの目で直接見たわけではありません。
母が帰ってくるまで、家と山道しか通っていないので海側には近づいていません。
なのでどんな光景が待っているのか、不安がありました。
しかし、カーナビから流れる各所の映像を見ていたので、少しは覚悟していたはずでした。

…実際に、これまで育ってきた場所が、緑色の草木がたくさんあり、道も整備されていたはずの道が、一面水浸しで茶色く濁っている状況を見るのは、言葉が出ませんでした。

あるはずのないところにある家の屋根だけの部分、ひっくり返された車、どこかの家の一部で元が何だったのかもわからないものが茶色く水に塗れて辺りに散らばる様は、見たくない事実として瞳に映りこんでいきました。

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本日はここまで。
お読みいただきありがとうございました。

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