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岡田奈紀佐さん短歌作品集『まぼろしスイマー』を読んで②

飼い犬の名を呼ぶように今はもうないコンビニをマルケーと呼ぶ

岡田奈紀佐/まぼろしスイマー「冴えないことでも」より

時代は流れていくし、形あるものは無くなるし、世の中の移り変わりは激しい。その流れに乗って生きていかねばならないのだが、哀しいかな「無くなる」という事実に無理矢理にでも対峙しなければならないことが、実はよくある、と思う。ここではそれが店。主体は今はもう無い店の名を「呼ぶ」のだ。しかも「飼い犬の名を呼ぶように」だ。そこには愛着しかないじゃないか。垣間見える日常と日常に潜む主体の意識のようなもの。

吹く風の湿度が下がる十月にOK,Google 近くのきりん

岡田奈紀佐/まぼろしスイマー「冴えないことでも」より

この歌、ものすごく好き。
Google先生の返答、もしかしたら動物園じゃないかもしれないよね。きりんという喫茶店かも、本屋かも、でもやっぱり動物園であってほしい。丁度良い季節だし。きりんというのが良い。とても良い。大きくて首が長くてとても良い。自分の目線からだんだん上に目線が移る。目線だけではなくて自然と顔も上を向く。見えるのは空。たぶん青空。上を向いて視界が開けるかんじ。めちゃくちゃいい。気温は下がっていく、冬に向かってだんだん気持ちも内に籠る…のかもしれない。でもそうじゃなくしようとしている気持ち。上を向いて歩こう精神。そのためのモチーフがきりん。すごく上手いなあと何度読んでも思います。


正常の受け皿としてコンタクトレンズは薄くなめらかである

岡田奈紀佐/まぼろしスイマー「冴えないことでも」より

正常とは?受け皿とは?
私、これうまく読みとれていない。
コンタクトレンズのあの薄さ、なめらかさ、わかる。でもコンタクトレンズって意外に強さもある。ソフトなら柔軟性もさらに加わる。あれを受け皿にする正常とは?正常…常に正しいこと。この歌のほかの方の読みを聞きたい。

馴染まない靴のまんまででも歩く蝋燭ほどの炎を抱いて

岡田奈紀佐/まぼろしスイマー「冴えないことでも」より

内に潜む強さ。蝋燭の炎か。聖火でもなく、アロマキャンドルでもなく、マッチでもなくライターでもなく、蝋燭。
蝋燭ほどとは言うけれど、蝋燭の火って、案外消えにくいと思うんだけどどうだろう。足、痛いだろうのに。歩く。馴染まない靴を受け入れて、蝋燭の炎を抱いて。

痺れない麻婆豆腐を食べてきたそれは冴えないことでもあるか

岡田奈紀佐/まぼろしスイマー「冴えないことでも」より

最後に「?」を付けるか付けないか。
冴えないことでもあるか。
冴えないことでもあるか?
上句は、主体が実際に経験した「事象」の隠喩じゃないのかな。「冴えない」と思ってしまった何かしら「事象」と読んだけどこれも深読み?
ところで痺れるとは。辛さ?美味しさの感動としての痺れ?
この意味の取り方でも違ってくる。
読む人に、捉え方を全投げしている潔さ。


生きているつもりで買った早割の予約メールにスターをつける

岡田奈紀佐/まぼろしスイマー「三月の奈辺」より

泣きそうになった。
なんだこれは。こんな、こんな崖っぷちな感情で生きているのか。
「早割」新幹線とか飛行機とか、そういうどこかへ移動する手段の切符と思った。まだ前を向いている。視界が開けている。希望がある。
理不尽な世の中にいて、尚、生きようとする、違う景色を見ようとしている。スターがさらに良い。リマインダーとしてきっと何度でも光る。


本当に書き殴りでごめんなさい。
ぜんぶ書ききれなかった。もう少し続きます。

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