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夢の中で #1 (小説)

「お前はいま夢の中にいるのだよ」
 何を言っているのか。私は確かに起きている。暑い夏日の下で大学の帰りである。駅のホームで昔の友人に出会ったかと思えば急にそんなことを言い始めるから困ったものだ。
「最寄駅が本郷三丁目とは立派になったな、中学以来だ」
「牧備も同じ大学なのか?」
「いや、違う。僕は大学には行っていない。たまたま近くに寄ったものだから会いに行こうと思ってな」
「意外だな大学に通わないだなんて、それにしてもよく俺が使う駅を知っていたな、誰かに聞いたりしたのか?」
「聞いていないし、つけて来た訳でも無い。君の考えることぐらい僕にかかればお見通しと言うことだ」手に持っていた傘を地面にコツコツと突きながらそう話した。
 明らかに違和感がある。そんな事がありえるのだろうか。牧備とは中学以来連絡もとっていなかったというのに何故か3日ぶりの再会程度にしか感ぜられない印象を受けた。全身を黒基調で揃える服装も中学の頃と変わりない。ただ少し赤色を多く取り入れているぐらいであろうか。最初に見かけた時、将来は世界で活躍したいと言っていたというのに何という平凡な様相かと落胆したがそれは違った。何処か特別な雰囲気を纏うその姿は心ここにあらずと言った無気力のように見えるがしかして、不自然にもその姿に洗礼された才覚を体にしているかのようにも取れる。
「秀人は今きっとポジティブな方向に僕が変わったとか考えているのだろう?違うか?僕への期待が長らく合わない間に肥大化しその色目で僕を見ているから何かいい方向に考えてしまうのだろうね」
「いや、別にそんなこと考えてないよ。牧備は嘘つきだったからな。多分大学の門の前ででも待ち伏せして見つけたのだろ?」と知的に思われるよう冷静な推理と声色を披露して応じてやった。
すると牧備は少し笑って「もっといい見つけ方だったけどな」と返した。

「俺はいま夢の中にいるのか?」中学の時はよくこうして議論をふっかけていた。専門的な知識もなかったしそもそも教養が浅かったので大した答えには届かなかったが互いに備える将来の夢へのエネルギーをこうして語り合うことで消費して満足するのであった。問われた牧備は嬉しそうに話を続けてくれた。
「いま、君が見ている僕は果たして本当に存在しているだろうか。もしかしたら今までの人生はずっと夢の中で生活していたのかもしれない。僕は君の想像の友人でこの周囲の景色も全部頭の中だけでの話。数学の公式も物理の法則も国語の文法も有能な自己が想像した現実にないものばかりかもしれん。五感に刺激されることで存在していることを感じではいるが本当に存在しているかなんて分からないだろう?」


「じゃあいまこの場も歩く人々も想像だと言うのか? この話は昔に一度したことがあるよ。もし夢の中であったとしても存在しようがしてまいが自分の見る世界で御都合主義を貫けばいいって牧備が結論付けていたでは無いか。この話は印象的だったからまだ覚えている」
「そうだ」そうして牧備は黙り込み呆気なく話しが終わってしまった。不意に来た静寂に失望感を覚えてしまう。昔と比べて随分と張り合いがない。この後、どう説得してくるのかと思索するだけで虚しくなる。
「やはり話すことはないようだ」そう言って帰る意思を表して来た。久しい再会だと言うのにもうか帰るとは名残惜しい。しかし、俺も夜に合わなければならない人がいたので素直に聞き入れ、せめてもの感謝に「今日は雨が降るそうだから傘を持って行ったほうがいいと」言って予備で持っていた折り畳み傘を渡してやった。不意に牧備の右手にはいつから握っていたか分からないペットボトルがあることに気がつく。牧備は炭酸水が飲めないと言っていたのにそのペットボトルからはシュワシュワと気泡が浮き上がっては消えている。やはり何かが不自然だ。こいつはほんとに牧備なのか。そう馬鹿らしいことを考えた時、ペットボトルの水が1人でに増えている瞬間を俺は見た。
「その水、なんか増えてないか?」そう俺が問うてみた。牧備はニコッと得意げに微笑を浮かべながら「そんなこと現実に起きる訳ないだろ、ほら見てみろ増えてなんかいない」そう言って見せられたペットボトルは依然として増え続けている。
「ほらほら!おかしいって水が溢れ出ている」水が噴き出し牧備の手にかかっていたというのに牧備は気にも止めずに「急に怖いこと言うなよ、取り敢えず会えてよかった。また機会があったら顔を出す。今日は時間がないからこれで、あっ傘ありがとね」と話す。そしてもうその時にはペットボトルは狐に抓ままれたみたいに何処にもなかった。
 家に着く前に雨が降ったせいで少し濡れてしまった。体をタオルで拭いて濡れた靴の処理を考えている時、そういえば牧備は傘を持っていたはずだと思い出した。傘が気がつけばペットボトルに代わりそして消えてしまったのだ。そんなことを忘れて傘を渡した自分が不思議でならないと深遠な問題に突き当たる思いがした。だが納得出来ない事が起きたと言うのに誰かに気付いてもらうのは難しいだろうと悟り、結局沈黙する事でその不思議を括ることにした。それ以外にいい案が思い付かなかった。その日の夜は随分と嫌な夜であった。

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