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閲覧者が求めているのは、書き手のエゴが削ぎ落とされたデザイン

先日公開したはてなブログのテーマ「MonoTsuduri」は、「シンプルにモノを綴るためのテーマを作る」が目的である一方、「書き手のエゴを削ぎ落とすデザイン」をしています。

はてなブログテーマストア「MonoTsuduri」
http://blog.hatena.ne.jp/-/store/theme/17680117126988535567

いきなりなんのこと、という話なのですが、テーマ作成中にそういう無自覚だったエゴとひたすらに向き合うこととなり、結果的にそうなったという感じです。

コンテンツの提供側と、閲覧者の求めるものの乖離

日頃Web制作の仕事をしていると、最も優先されるのはやはりお金を払うクライアントの意向です。

しかしクライアントも基本的に商売である以上、

・もっと情報を盛り込みたい
・もっとブランディングをしたい
・もっと物やサービスを売りたい
・もっとシェアしてもらいたい

……という欲求があり、受注側としてはそれに応えざるを得ません。

これをブログに当てはめると、

・もっと有名になりたい
・もっとサイト内の他の記事を読んでもらいたい
・もっとシェアしてもらいたい
・もっと売上が上がって欲しい(アフィリエイト等)

……ということになり、ブログに限らずインターネット上でなにか活動している人でこういった気持ちと無縁の人はまずいないでしょう。

一方で閲覧者の立場になってみると、身もふたもない話にはなりますが、求めているのは下記の3点だけです。

・今すぐ読みたい
・役に立つ(知りたいこと、面白い、暇つぶしなど目的にかなった)コンテンツを見たい
・発信元(書き手、メディア、出典など)を知りたい

さらに言ってしまうと、閲覧者はそのとき欲しいコンテンツが見られれば良いので、発信元の情報さえ意識されない場面が多くなっています。

そういった訳で、ここ何年か書き手と閲覧者の目的の乖離は非常に気になっていました。

では、自分はどうだろう?

そしてそういう目で自分のブログ(今は作成したテーマに変えています)を見てみると……レイアウトはごく普通の2カラム。
サイドナビプロフィール、新着記事、関連記事、人気の記事、参加グループ、月別アーカイブ、カテゴリー、検索ボックスといったよくある内容が並んでいました。

けれどふと、「これらの項目をサイドバーに表示させておきたいのは、単に自分のエゴなのでは?」と疑問を持ちました。

閲覧者の利便性ではなく、あわよくばブログ内の他の記事を読んでもらいたいという単なる自分の都合で設置していただけなのかも知れない。

この考え方に至ったとき、少し背筋がひやっとしました。

サイト制作の仕事中、「こんなコンテンツを入れても閲覧者のためにならないだろう……」と思うことしきりの日々を過ごしている自分でさえ、自身のブログを客観的に見ることができていない

本当に、こういう部分を自覚するのは難しいものです。

そういう気づきを得て、先日公開したはてなブログのテーマ「MonoTsuduri」は、「書き手のエゴを削ぎ落とすデザイン」を目指して作成したという次第です(どういったところに気を付けたかとかは、文章の本旨と外れるので別で書きます)。

閲覧者の大多数はあなたに興味があるのではなく、コンテンツに興味がある

有名人でもなければ、ありていに言ってしまえばつまりそういうことな訳で。

何にしてもコンテンツの提供者に興味を持つのは、コンテンツに対して何らかの感情を持ったあとの話です。

なのに、まず閲覧者の求めるコンテンツがない状態で「ブランディングする」とか「美麗なサイトを作る」とか「SEO対策をする」とかましてや「実物よりよく見せる」というのは本末転倒です。

閲覧者は売り込みの気配には敏感で、求める情報には最短でたどり着きたいし、ただ美しいデザインという刺激にもいずれは慣れてしまいます。

そういった中でデザインとしてするべきことといえば、書き手側のためだけの「これを見せたい」というエゴをできる限り削っていくことではないか、と思っています。

一方、コンテンツそのものは、エゴ満載の尖ったものが面白い

矛盾するようですけれど、毒にも薬にもならない、どこにでもあるようなコンテンツより、なにか尖っているものの方が得てして面白いものです。

けれどそれを届けるデザインは、書き手のエゴを削って閲覧者に寄り添ったものが求められる。

noteもそうで、デザイン自体はほとんど画一的でシングルカラムですが、それでも利用者は増えてますし、シェアなどで見かける機会も随分多くなりました。

広義で言えばTwitterやFacebook、InstagramなどのSNSも、みんな同じ形式で独自のコンテンツを投稿しているとも言える訳で。

書き手のエゴを削り切ったデザインで、書き手のエゴに溢れる尖ったコンテンツを提供する、というのが、世の中的に求められているところなのかと思う次第です。

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