魂を探して

WHOにおいて、健康の定義が新たに提唱されている。

人の健康には、身体面・メンタル面、そしてその他にスピリチュアルな面での健康が関わっている、と。

スピリチュアル。「精神的、霊的、魂の」健康。





自己分析するとこうなる。

まず、身体面。
これは自分のセクシュアリティから考えてXジェンダーだと言うのが合うようであるし、男女二元論では大変生きにくく、不都合があるのは事実だ。
以前交通事故によって負った傷は一生残るので、そのため行動の制限がかかる。

けれども、ジェンダーと怪我のことを除けば、タフな方ではあるし、日常生活で取り立てて困ることはないのではないか。滅多に病気にかからないし、怪我をしても医者が驚く早さで回復する。街を歩いて襲われるほど可愛くないし、モンスター扱いされて恐れられるほどブサイクでもない。

次に、メンタル面。
死への欲求(タナトス)が湧き上がることや、躁鬱状態に陥ることは確かにある。それは認める。けれども巷に溢れる自殺者や犯罪者を見れば、まだ適応しようと抑え込む力が自分にあるようだし、メンタルが人並み以上にブレるにしても、異常に問題視するまでには至っていないように思う。ヘンだけどそういうヤツいるよね、程度で見過ごされるということだ。

健康について問題があるならば、第3の要因が大事なのではないか。
「今ここ」への所属ができず、自分がいてもいないような、歓迎されるばかりではない旅への衝動、というものは、魂があるべきところに位置していないからではないのか。

身体とメンタルに関しては、解決策が提示されやすい。
けれども自分にすらわからない、確かに違和感があるにも関わらず触れられない領域、それに対するもどかしさ、何処にも居られず永遠に彷徨っている感覚、いや感覚や言葉まで疑う不安定さ、それらはスピリチュアルな面で健康と言えないからだ。

何かが違う。自分の内的なものであるのに、覚束ない。精神、魂、霊、そうした言葉で表象されるものが、自然でないのだ。

スピリチュアルな面での健康を探っていけば、自分の居場所が見つかる(あるいは近づける)のではないかと、一縷の希望を持っている。

#エッセイ #魂 #健康

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