はるのジャケット(飽和地点)




確定的だったのは、母の若い日の写真。それと、先生の一言であった。
ことは確かだけれど、予兆はすでに、私の意識のうちに、投げかけられ続けていた。

大きなリボンがついてるような女の子らしい服を好む妹と、年中ほぼ、シャツとジーパンの無頓着な私。
顔は似ていると言われるが、性格も、好んで着る服も違う。それは妹が成長していくにつれ、如実な差として、あらわれてゆく。

最近妹ちゃんはとみに可愛くなったわねぇ~、
あんた、負けてるわよ~
もっと
オシャレしなきゃ、だめじゃないの~


悪気なく、投げかけられる言葉。
笑う頬に包み隠されるように、なにかに擦られたように熱を持つ心臓。


スカート履きなよ~
もっと女の子らしい服着たらいいのに~
似合うよぜったい~


彼氏ができた話を幸せそうに何時間と話す友人。
の、爆発する喜びから生まれだす、悪意ないエネルギーと善意の言葉。


確実な衝動のきっかけは、
憧れの先生が、お酒の席で、わたしの隣の女の子に言った言葉。

「君は本当に、色気あるなぁ」


その人は私たちより、もうずっとずっと年上で、恋情を抱いているわけでも何でもなかったけれど。
その言葉は言いようのない、細やかな憎悪のように、ちりちりと、私の心のフチを焦がしていた。


コンプレックス。
劣等感。
嫉妬。


お酒で柔らかくなった自我が、悔しさに拍車をかけていた。


燻りすぎて、低温やけどになってしまいそうな、負けず嫌いの性格に、
色々な言葉にほぐされて、女の子らしい格好をしたがりそうな私に、

それでも、どうしても、可愛い服を着る自分を許容、できない、自分。


私の憧れの。いつも、ジーパンスタイルで、長い脚で、自転車をかっ飛ばす、母。
可愛らしい女性という感じではないが、決して男らしいわけでもない、母。

わたしの、あこがれの、




そんなある日、母が、結婚前の、若い頃の写真が出てきたと、わたしにみせてくれた時、だから、

無音の、痛みのない電流のような、細く鋭い、糸みたいななにかが、胸を突き通した。



「おかーさん、こんな女の子らしい服着てたの?」
「そーよ、結婚して着てられなくなったけど、昔はレースとか、女の子らしい服が大好きだったのよ~」



なにかが、はじけたように、かいほうされたように、

瞬間から、衝動のように押し迫る、可愛い服への憧れ。


母が好んで着ていたと、知った瞬間に、全て許容したくなった二十歳の自分。
我ながら、失笑したくなっちゃうような、軽い幻滅。


そう。

確定的だったのは、母の若い日の写真。それと、先生の、言葉であったことは確かだけれど、

可愛らしい襟の服や、ビジューのついたニットや、柔らかいスカートの画像を見ては、それを着る自分を想像する日々。

思い切って、購入する、真っ赤な、大きなリボンのスカート。
ジーパンは依然、履きながらも
女の子らしい服を見つけては、心が舞い上がる、やわらかな日々。



しかし、核心の瞬間に生じる、
すべてが飽和されたような、
そんな空気も、なぜか感じられない。


違和感とも言えないような
縁のない濃度の不一致。


でも、わたし、まいあがっちゃって、そんなこと、きづきもしない。




それは、不意打ちだった。

「雑誌から出てくるような、女の子らしい服を着るのは、何だかコスプレのような感じがする、」


図書館で借りた、ある対談集に、載っていた、言葉。

心が瞬間に、飽和したような感覚。
無音の爆発。
突然の、空間の解放。


その、確信の言葉は、私の心の真ん中に。
確かな太さで、光のように透明に、しかし確実に、私の中心を、つらぬく。


頭ばかりが、確信したがっていた。
女の子らしい、可愛い服。


それは、確かにかわいくて、
私も上手に着こなしてみたくて、
誰かに一言「かわいくなったね」と
認めてもらいたくて。
うそでは、なくて。


だけど、その言葉で
何かが、元の位置に戻ったかのように、
心の際から際までが、一定の、
たおやかに曲線をひいたときのような空気で満たされる。



数週間前、
一目見て気に入ったけれど、
女の子らしくないからと、
買うのをやめていた、
ユニセックスな、春のジャケット。

思い出して、検索をかけて。
見つけて、迷わず、購入ボタンを押した。

それで、今日、家に届いた。
それを、羽織って、全身を
鏡の前に、映して、立った。


男も着れそうな
しかし、やはり女物の
銀のボタンの
チャックの
襟元のかっこいい

白い、ジャケット。



こころは満たされていた。






(2020の4の日に)

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