短歌を作る人ってエリートが多くないですか

去年の秋ごろに当時付き合っていた彼女の影響で短歌を読み始めた。しかし、3ヶ月くらいすると飽きてしまって自然にやめてしまった。その彼女とは主に僕のせいでひどい別れ方をしてしまったので、あの頃の短歌も彼女との結びつきのひとつであったから、ほとんど消してしまっていてあまり残っていないけれど。

先月、つまり今年の9月からまた短歌を読み始めた。きっかけは何だっただろうか、たしかなにか創作がしたくなって、小説を書こうとしたものほとんどかけずに敗退。以前やっていたし、短い短歌ならと始めた気がする。

この記事で何が書きたいのかといえば、短歌自体ではなく、それに付きまとう文脈とでもいえばいいのだろうか。具体的に言えば、〈私性〉だとか、主義主張だとか、そういうもの。それがよくわからないなということ。それと短歌の批評についての2つだ。

短歌の作り方についてはそれはもうたくさんの入門書が出ているけれど、短歌を取り巻いてきた歴史、それによって生まれてきた主義主張についてまとめた書籍(webには多少あるけれども幅広くまとめた記事はあまり見当たらなかった)というのは僕の見た範囲ではなかった。新書とか出ててもおかしくないかなと思っていたのだが。

短歌を作る人ってエリートが多くないですか。そもそも文学ってそんなもんかも。でも、東大、京大、早稲田、半分以上はこの出身や関係のように見えてしまう。だからかわからないけれど、短歌を作るというハードルは非常に低いのに、その先の批評や主義(流派のほうがわかりやすいだろうか)に進むハードルは非常に高いなと思ってしまう。webに発表されている批評を読んでもあまりにもレベルが高い。

僕が高校中退無職だから、あるいはまだ歴が浅いから知らないだけで、大学の短歌会や結社に入ればここら辺の作法や歴史は自然に身につくものなのだろうか。

とりとめのないメモのようなもんですけど、いつかはそのレベル(批評をかけて理解できる)に行けたらなとは思っております。

あ、なんか理解するのにいい記事や書籍があれば教えてください。

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