10/12 鬱ぐるぐる思考日記

受験は諦めた。いや、1%くらいは可能性はあるかもしれないが、とにかく今年の受験はほぼ諦めた。だって、ゼロから、ほんとうにゼロから3か月で、しかも精神疾患を抱えつつ受験勉強をして、大学に受かるはずがないから。でも、諦めたからといってなにも変わらなかった。心に余裕はできず、かえって自分を追い詰めていく。過眠とその合間のわずかな時間にはインターネット、1日1食、その生活はとくになにも変わっていない。どうすればいい?となんども問うた。答えは返ってこない。なにか動かなくてはなにも変わらないとわかってはいて、それでも動けない。

生まれてからずっと、頭がいい≒勉強ができることと本を読むことのふたつを誇りとして生きてきた。勉強ができることは中高で完全に破れ、愚に落ちた。本も、鬱の最中は過眠かインターネットしかできないから、ほとんど読めていない。それでも僕には文章や発想、思想があると、頭のよさは残っていると、そう思っていた。けれど、徐々に鈍っていることを感じる。それと共に、いくらでも僕の上がいることを知った。どこまでもどこまでも落ち続けていく僕に存在価値はない。誇りを失った人間は生きているべきではない。そう思う。

その一方で躁の時には肥大した自意識がなぜ自分は評価されないのだと、なぜ理解者がいないのだと、苦しむ。

人に寄り添いたいと思う。しかし、どのような形で寄り添えばいいのかを僕は知らない。

人に依存したいと思う。しかし、どうすれば依存できるのかを僕は知らない。

愛されたいと思う。しかし、どうすれば愛されるのかを僕は知らない。

どうすればいいと問うても、誰も答えを知らないし、返してくれない。

寄り添いたい人はいて、でも、結局は他者であるからほんとうに寄り添うことはできなくて、ほんとうの気持ちを知ることはできなくて、分かり合うことはできなくて、苦しく思う。でも、それは最初からわかっていたことだし、そのうえでなにができるかを考えるべきなのだろう。そして、もしそう思っていたとしても、こうしてひけらかす様に書くべきではないのだろうけれども。

自己顕示欲が憎い。

いま、ぼくはサラサラしていてフワフワの、フリース生地の布団と毛布に包まれてこれを書いている。ここから出たくない。一生出たくない。この外は無理解と鬱と躁とその他あらゆる苦しみであるから。

助けてほしい。でも一方で、相手に負担をかけることを恐れ、罪悪感を抱かせるを恐れ、こうしたことをいうべきではないと思う自分もいる。

自分ひとりで解決できる問題なのかどうかすら分からないし、では他者に頼ったとて、それで解決する問題なのかもわからない。


この生まれてからずっと住んでいる、文化のない田舎、閉塞感と衰退が幽霊のようにウロウロしている田舎、野蛮でデリカシーのない人々しかいない田舎から抜け出したい。東京か、大阪か、京都に住みたい。それが自分の精神衛生のためだと思う。

しかし、浪人生―しかも精神疾患を持って現在は引きこもりがちの―に、東京で一人暮らしをさせてくれる親などいるわけがない。これは僕でもわかる話だ。

こういう気持ちを(これはこのnote全般の内容も指すが)親に理解などされたくはないし、ましてや話すつもりなどまったくない。家族というのはただたまたまの関係に過ぎず、ましてや親せきなど単なる他人だ。けれど、使えるものは、例えば親の金やコネはいくらでも使ってこのクソみたいな世の中を生き抜きたい。世の中の人からすればとんでもない不道徳だろうが、知ったことではない。

しかし、いくらなんでも大学進学という大義名分がなければ都会で一人暮らしなど不可能だ。けれど、冒頭に書いたようにように大学進学にはもう1年、正確には1年半かかる。それだけ待たなくてはならない。気が狂ってしまう。

ほかに道はない。とすれば志望校を変えてあと3ヶ月勉強すればGMARCHくらいは入れるのではないかとも思ったが、その頑張りに耐えられる状態ではない。そもそもいまは勉強習慣すらおぼろげなのに!!!

甘えたことを、贅沢なことを言っている自覚はありますよ。でもそれとこれとは別の話だ。


カロリーメイト2本と牛乳と野菜ジュースを食べて飲んで、一日分の薬を飲んで、あとは過眠に入ろうと思う。

結局、これだけ長々と書いても結論は、「助けて」。

(10/13/AM2:20)

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