昔の話①

ケツメイシを"ケツメ"と略すと知った当時女子高生の私は衝撃を受けた。

"イシ"しか略せていない───。

略すならば元の単語より圧倒的におトクであるべき、という目的意識が強かったため、"ケツメ"まで言えるならもうその勢いで"イシ"も付けてしまえるだろとやり場のない思いを抱えた。
数日後「ケツメイシのことケツメって略すんだって、意味なくない?」と友達に話したところ、彼女はエッという顔をしたあとにサラリと「じゃあもうケツでいいじゃん」と言った。

"じゃあもうケツでいいじゃん"───。

ケツメ以上の衝撃を受け当時女子高生の私は絶句した。過ぎたるは及ばざるが如しという言葉を辞書で引きたくなった。彼女のあっさりと必要なところだけ残す手腕は、いかに私の発想が冗長で、不躾で、愚劣であるかを痛感させた。ケツは不躾じゃないんかとかいう社会通年上の話は求められていない。この女は私にないものを持っている。その鮮烈な輝きを前に私は目を細めた。
彼女のことは以前も書いた。小学校の習字の授業、「一番好きなものを書きましょう」のフェーズで、飼っているハムスター(名前はハムちゃん)を意図して「ハム」と大きく書いたら加工食品の方のハムが大好きとクラス全員に誤解された、私の幼馴染みだ。

ハム───。

私たちは抜きつ抜かれつ切磋琢磨しあい、飽きもせずふざけながら少しずつ大人になって、そのとき少しだけ彼女が私の前を走っていることに気付いた。淡い青春の思い出である。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?