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ムシ ムシ ムシ 第五話【終】

 「日本の食料自給率は先進国の中でも低い」
 という話を皆さんもどこかで聞いた事があるのではないだろうか。
 日本の食糧事情は輸入品に支えられている。台所の61パーセントは輸入品で構築されている訳であり、和食から洋食への移行が主な原因でもある。肉や油の需要が格段に増え、かつ外国製品の低価格に押されて、国内の生産は着実に落ち込んだ。とは言えども、米を先頭に国内生産される穀物や野菜、魚介類なくしては日本の食は成り立たない。
 もし仮に1ヶ月全く米や野菜が収穫出来なければどうなるだろうか。
 恐らく米はどうにかする事が出来るだろう。1995年から政府が備蓄米として、凡そ100万トンを確保する政策を出しているからだ。
 しかし野菜類はそうはいかない。猛暑と深刻な雨不足により生育不良を起こし、流通量が激減。じゃがいも(荒れた土地でも育ちはするが、連作障害を起こしやすい)以外の野菜類が軒並み値上がりし、家計を苦しめたのは記憶に新しい。

 加えて1つお聞きする必要があるのだが、皆さんは『蝗害』という言葉をご存知だろうか。
 簡単に言えば大量発生したバッタが、草や穀物を食べ尽くす災害の名称である。
 最近であれば2020年2月、アフリカで猛威を奮ったサバクトビバッタの件が有名だろうか。
 その総数は1120億匹。密度で言えば、四畳半のスペースに4万匹。たった1メートル先すら見えない程の量のバッタの大群が、アフリカ10ヶ国を襲ったのだ。
 このバッタは130万ヘクタールの食物を食い荒らし、凡そ1800万人分の食料を消失させた。その様子はまさに聖書にある十の災いの1つ、『イナゴの大群』そのものであったという。

 天候に左右されやすいそれら野菜や米、加えて果物と草花に至るまで脅威的な被害を齎したのが
【変異昆虫種第三群 壮亜型】
【変異昆虫種第三群 殖亜型】
に分類された昆虫類である。
 「壮」には血気盛ん、強いといった意味が、「殖」には増える、増えて多くなるという意味がある通り、多種への攻撃性と類を見ない異常な繁殖能力を有した昆虫類を指す。

 四月三日。鹿児島県鹿児島市、桜島を囲う町と大隅半島の一部。熊本県阿蘇市の阿蘇山東部から大分県の鶴見岳西部一帯。神奈川県足柄下郡箱根山の麓、芦ノ湖周辺。秋田県仙北市から岩手県岩手郡に跨る秋田駒ヶ岳と田沢湖一帯。
 主に活火山の近辺並びに付近の住宅街に姿を現したその昆虫は、一見すると蜻蛉に似ていた。葉脈の模様をした薄羽に巨大な複眼、細長い身体。
 明確な違いは蟷螂に類似した形状の前肢があり、尾の先端に液体の溜まった袋が付いている事である。原色の赤や黄色、水色を混ぜた極彩色の体表もかなり目立ち、オニヤンマより巨大な体躯を保有しているが為に遠目からでも確認出来る。赤が甲殻全体の色であり、その他の色は微小の毛の色だ。
 街中の監視カメラや天気予報で使われる高所のカメラでも、その群れの様子が撮影された。
 あるニュース番組にて『紅い雲』と評されたように、塊となって動くその様はまさに流れる雲で、空を覆えば昼間でも夜かと見間違う暗さになった。
 蝗害で謳われるバッタの移動距離は1日に150キロにも及ぶと言われているが、それよりも移動能力が著しく高い。
 山間部で発生したこの紅い雲は一両日中に野山を丸裸にし、そこから麓の田畑を襲っていった。頑丈な顎部のおかげで草花から穀物、根菜類も瞬く間に齧り尽くしていくが、更に原生生物の捕食も確認された。
 物量も然ることながら、体躯を維持する為に異常な程の食欲と雑食性も相まって、付近に生息していた小型の生物を片っ端から捕食し始めたのである。蟷螂と蜻蛉のハイブリッドとも言えるこの昆虫に太刀打ち出来る生物などおらず、たった数時間の内に該当の市区町村に壊滅的な被害を齎した。
 しかし被害はそれだけに収まらない。
 山から市街地へと飛来するにあたり、主に鳥類から捕食対象として攻撃を受けていた。雀等の小さい鳥類は寧ろ攻撃されているが、烏等はこぞって群れへと首を突っ込んだ。だが、その大半が満足に食事にありつけずそこら中で死亡、腐乱し、街の衛生状況を悪化させた。
 理由はこの昆虫の尾にあった。
 尾の先端に液体が入った袋が付いていると説明したかと思うが、硫酸が内包されていた。硫酸といえば傷害事件で耳にした事もあるだろうが、まさにそれである。
 それを知らずに飲み込んだ鳥類の口腔内と喉、胃腸を焼き、呼吸困難に陥り死んでいったのである。これは人間にも同様の被害が出た。勿論食した訳では無いが、住宅に侵入したこれらを追い返そうと殺した際に、硫酸が飛散し皮膚を焼いた。桜島周辺のみでも1000件を越える被害が発生し、全国では20万を越す。
 また全国各地で火災の発生が相次いだ。何故火災がと思われたが、原因はやはりこの硫酸である。
 硫酸はイオン化傾向の強い金属(簡単に言えば酸化しやすい金属のこと)に触れると化学反応を起こし、水素を発生させる。水素は酸素がある状態で火種があると爆発を引き起こす。
 この昆虫が市街地に飛来し、電柱や家屋の電気設備付近に留まる。そこで鳥類やアシダカグモ等から攻撃される、もしくは自分達で電線に齧り付いた結果硫酸がゴム線等を溶かし漏電。1匹1匹が保有する硫酸の量は微小だとしても、数が数だけに連鎖的に袋が破裂してしまい、
爆発に至る訳である。
 その爆発の炎に巻き込まれた昆虫もまた硫酸を撒き散らし、家に繋げてあるガス管などから火災に繋がった。

 『紅い雲』の暴食による食物や生態系への一次被害。火災、死亡した小動物らの衛生環境悪化と人間含む大型動物への攻撃による二次被害。交通網麻痺等から来る経済的三次被害。
 また、混乱による人同士の喧嘩、避難した家庭への空き巣被害も発生した。
 雲発生から1週間、三次被害までを含めると死者は5000人、重軽傷者87000人。
 日本国内のみでの経済損失は1200億円を越し、アゲハ蝶を含む在来種5種が、日本から絶滅したと考えられている。


 この雲に日本政府はどう対処したか。
 結論を言えば対処は全く出来なかった。圧倒的な量を前に為す術なく時間だけが過ぎていき、国民に対しては「家から出るな」以外の方法が無かったのである。
 例えば上空から薬剤散布を試みようにも、そもそもヘリの離陸そのものが出来なかったし、人力で殺虫剤を撒くには危険度が高過ぎた。更にこの雲だけでなく山間部や多くの河川にも変異した昆虫が発生しており、森に入ろうものなら、以前捜索隊を死に追いやった蝦蛄の攻撃法を模した幼虫体とその成体が、タガメに似た肉食性の昆虫が川に近付いた人間に向けて飛びかかった。
 薬剤散布も出来ず(変異の原因だと思われていたために、散布が与える影響が未知数でもあった)大規模駆除も不可能。ただ田畑が丸裸にされるのを待つだけかに思われた。

 紅い雲発生から1週間後、事態は一変した。
 全国を襲っていたはずのこの群れが、突然姿を消したのだ。東北から北海道にかけて規模をかなり縮小させた群れを見る以外、殆どが大陸へと飛翔していった。
 理由は思わぬ所にあった。
 杉と檜の花粉である。
 この年の花粉は温暖化の影響か、前年に比べ飛散量が前年の2倍近くに昇った。後々調査した結果、この蜻蛉に似た昆虫はピンポイントで檜と杉だけは食事としていない事が分かったのだ。
 変異昆虫が発生し始めた時期から山間部での伐採が減り、檜や杉は山に残っていた。それらが一斉に花粉を飛ばし始めたのだが、この蜻蛉型の昆虫には微小な毛が生えており、それに花粉が吸着し飛行を阻害した。また特に檜が保有する虫への忌避機能も功を奏したと言える。

 大陸に飛翔したこの昆虫は、台湾を除く地域(台湾にはタイワンヒノキという檜が分布している)を蹂躙していった。
 中国が主に日本へ抗議と賠償を訴えたが、自然災害の一種である事と自国から発生したPM2.5の問題を棚上げしている事をWHOの仲裁により指摘され、長期的な外交問題へと発展した。その影響で、一部活動家らの反日の動きが高まってしまったのは言うまでもない。


 ここらで本話の締めに入りたい。
 変異昆虫種の発生は第1群を皮切りにほぼ毎年発生し、たった1ヶ月で姿を消すものもあれば、多種の生息圏に介入して生息地を増やし、その土地に居着いてしまうものもあった。雀蜂や蟷螂、鳥類などの上位捕食者と渡り合う変異種は、草花の繁殖から農作物の育成環境まで大きく変容させた。被害を抑える為にビニールテントや温室の需要が増え、育成方法そのものも見直す農家も多くなった。
 政府の緊急対策本部は環境省に吸収され、新たに『変異昆虫対策課』を設置。
 具体的な対策を打ち出せないが為に、常に後手に回り批難を浴びる事もあったが、捕獲された昆虫を研究し大まかな発生メカニズムを解明するに至ったのは評価された。
 一部界隈にて昆虫食が脚光を浴びているとの噂もあったが、定かではない。
 
 こと日本において災害は付き纏うものであり、日本はその度に復興発展を繰り返して来た国である。復興の力は目を見張るものがあるが、だがその発展の裏で、都市化や再生エネルギー普及を唄い自然環境を破壊しているのもまた事実である。河川1つとっても、氾濫が多いからと整備すればそこの生物は移動せざるを得なくなる。そうやってメダカは着実に数を減らしているし、エゾオオカミ等7種は完全に日本から姿を消した。
 恐竜を絶滅に導いた隕石を除けば、人間が地球史上一番大きく自然環境に影響を及ぼしている事は明白である。人間の為す破壊行動も地球の意思だと言う人も中にはいるだろう。逆に、過激に環境を守ろうとする人もいる。
 人間が思考する生き物であるならば、ここで一度立ち止まり環境問題や自身の行動を省みて、無くてはならない自然と人とをどう共存させるか考えてみても良いのではないだろうか。
 それが『ヒト』が『人』足りうる所以なのだから。

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