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ムシ ムシ ムシ 第四話

脅威の羽化

 全世界の既知の総種数は約175万種で、このうち、哺乳類は約6,000種、鳥類は約9,000種、維管束植物(木や草、野菜などを思い浮かべて貰って差し支えない)約27万種。これに菌類などを合わせても、昆虫種の約95万種には遠く及ばない。更に言えば、アマゾンを筆頭に未開の地には未確認の生物が生息しているとされている。一部の科学者曰く
「地球上には凡そ2000万種の生物がおり、人間はその15パーセント程しか発見出来ていない。それらの多くは人知れず繁殖し、そして絶滅あるいは進化していく」
のだと言う。
 言わずもがな、その未確認の生物の中で最も多いと思われるのは昆虫である。

 大規模な駆除以降凡そ一年に渡り、変異昆虫種はぱったりと姿を見せなかった。ある意味では成功したとも言えたが、駆除する際に使用された多くの殺虫剤や忌避剤、それらに該当する薬剤は別種の生物にも大きな影響を及ぼしたと言える。
 突然変異が起きたとしても、元々は既存の種からの枝分かれであり、生態系自体に多少変容があれど基本行動は変わらないものが大半を占めていたからだ。警告していた科学者も勿論いたが、一度に多種多様な昆虫を死滅させたせいで、既存の種の大量発生ないし大幅な減少を引き起こした。
 駆除した対象はそれらの中でも正に「数える程」でしかなかったのかもしれない。しかし、残る無数の未確認の昆虫種の生態系を変える事にも繋がってしまったのである。

【変異昆虫種第三群 寄生亜型】
【変異昆虫種第三群 壮亜型】
【変異昆虫種第三群 殖亜型】

 そう名付られた昆虫群。
 先に情報だけ共有しておくが、「亜」の文字の付く種類は総じてどこかに原型となったであろう昆虫が確認出来るものの、サイズ、追加部位、習性を含めて原型とはかけ離れているものを指す。そしてその前に付く文字如何により、該当昆虫の主な習性を指す。これら昆虫種の出現は、地球に生息するどの種族に対しても脅威と言う他なかった。
 また、これは後に分かる事ではあるが、第三群以降の昆虫種は既存の殺虫剤に対し著しい免疫を有していた。


 一斉駆除より一年、三月二十六日。それは唐突に始まった。
 長野県安雲野市常念岳の麓にて、山菜採集に山に入っていた江長康二62歳がその日帰宅しなかった。
 鳥獣が冬眠から目覚め、その空かした腹を満たそうと躍起になる時期でもある。特に熊の被害は年々増加傾向にあり、市街地への侵入も毎年の事になりつつある。その被害者第一号かと猟友会と警察の捜索隊が山に入り、100メートル程進んだ地点だった。
 茂みの中に太い蔦に絡まって絶命しているのを、先頭を進む班が発見した。黒いライトダウンジャケットの上からきつく締め付けられ、付近の木や草にそこら中に血が飛び散っている。
 蔦は逃げ惑う際に絡まったのだろうか、かなりキツめに締められジャケットにめり込んでいる。
 やはり襲われたか。誰もがそう思ったが、然しながら明確に一つ不可思議な点があった。
 何故獲物を食べていないのか。
 熊であれば例え持ち運べなかったにせよ、四ヶ月ぶりの栄養豊富な食事を逃すとは考えにくい。であれば別の生き物か、あるいは殺人事件か。
 どちらにしろ現場保持をしつつ、経緯を明らかにせねばならないと規制線を張ろうとしたその時だった。
 遺体からほんの数メートル脇にいた警察の隊員が、突然叫び声を上げたのだ。何事かと近付く他隊員達。すぐに確認すると、地面に蹲る彼の肩には緑色の細長い物体が付いており、彼の肩に食い込んでいる。
 それは遺体に絡まっている蔦によく似ていた。
 一体何なのだろうかと騒ぐ各々の声の合間、ほんの一瞬の静寂に耳慣れぬ小さい音が響いた。

パキュン

 枝を折る音とも誰かの作業する音とも違う、濡れたプラスチックをくねらせた時の音をもっと生々しくした様な生物的な音。
 それが誰しもの耳に入った次の瞬間だった。
 遺体の傍で立ち上がって周囲を見渡していた隊員の一人が、頭から血を噴き出しながら絶命した。
 額の真ん中と後頭部の右耳よりの辺りから噴射される赤黒い血と脳漿。
 唖然とする捜索隊に更にそれは襲いかかる。
 遺体から麓方面に向けて、木の上方から雪崩の様に落下しては

パキュン、パキュン、パキュン

 と小さく音を立て、捜索隊の身体にくい込んでいくそれ。蹲るその場で、逃げた先で、あるいは既に落下したそれを踏んで。
 元から飛散していた江長の血痕が判別出来なくなる程、周囲に生臭さと叫び声が充満していく。
 最後方からその阿鼻叫喚の光景を見ていた一人、士倉結芽の足元に原因となるそれが転がって来た。

 見た目は掌よりも一回り大きく、苔模様の太い蔦に幾つかの節がある植物で、両端は枝をへし折った様に尖っているただの枝に見える。しかし、士倉がそれを拾い上げひっくり返して初めて、全く別の物だったと判明する。
 黒柿色をした甲殻質の蛇腹に夥しい数の棘。一番外側の折れた枝先に似た部分は、甲殻類の鋏の様に鋭く尖っていてよく見れば小さく返しが付いている。両端の鋏の少し内側から中央にかけて、先端が二又に割けた細長い棒状の物が棘の外側に沿ってくっついており、計四本確認出来る。この四本を辿れば中央付近から伸びている事が確認出来、複数の節があることからそれが足なのだと知れた。カブトムシの脚に酷似しているものの、体の大きさからすればあまりに頼りない。
 その足の付け根から何か感じ目を移せば、体表に同化した、昆虫や甲殻類特有の種子の様な丸い目がしかと士倉を見つめていた。
 その目と目の間に収まる細長い針状の口から、キチキチキチキチ……と鳴き声だか歯ぎしりだかを発した。
 思わずその昆虫と思しき物を放り投げると、地面に落下。細長い脚をパキッと広げ、器用にひっくり返って何処かに向かってのそのそと歩き始めた。重そうな見た目の身体を細い脚で支え歩く姿は、蜘蛛やアメンボを思わせる。

 死者3名、重軽傷者17名。
 江長の遺体を中心に30メートル四方内で確認された該当昆虫の数、249。
 この範囲外にも数え切れない量の昆虫が発見されており、【寄生亜型】としての登録第一号となる。

 何故寄生なのか。
 それはまずこの昆虫が『肉食性』である事が大きな起因である。身体の中央にある蝉に似た部分だが、蝉と同じく針状の口があるように、それを突き刺して栄養を補給する。だが樹液等の植物性の栄養価では、今後の変態に影響を及ぼす(変態については後述)様である。その為動物性タンパク質を摂取する必要があった。
 土から這い出した後、その細長い脚を持って樹上へと登って行く。獣道か、或いは人間を含む大型の動物が通るであろう経路の頭上の枝に止まる。そして脚を器用に枝に引っ掛け、腹側を上にし獲物を待つのである。
 音か呼吸か、はたまた蝙蝠が如くエコーロケーションかで獲物を察知し、それ目掛け落下する。
 ここからがこの昆虫の真骨頂と言っても良いだろう。
 隊員達が聞いた「パキュン」というプラスチックを弾いた様な音の正体である。
 蝦蛄(シャコ)のパンチの話を聞いた事があるだろうか。日本においては寿司ネタとしても提供されるあの蝦蛄である。
 蝦蛄は「補脚」と呼ばれる骨格の一部を使用し、獲物となる貝や蟹の甲殻を叩き割り、水槽のガラスに日々を入れる程凄まじい威力のパンチを繰り出す事が出来る。
 簡単に仕組みを説明するが、補脚のバネのようにしなる前節(グローブに似た部分)を後節に引っ掛けロックし、エネルギーを蓄積する。充分にエネルギーが溜まった段階でロックを外すと、0.002秒という速さで前節を前に弾き飛ばすのである。余りの速さ故に、その付近の水を沸騰させプラズマ(発光現象)を生み出す程である。
 弓やデコピンの更に強力な物と思って貰えれば良い。
 本題に戻るがこの昆虫が出した音の正体は、正しく蝦蛄のパンチの仕組みと同じだったと判明した。
 折れた枝の様な部分が蝦蛄の前節にあたるが、この前節は腹側に向けては折れ曲がる事が可能である。
 ぶら下がった後、前節を限界まで背中側へと反らしていき、若干海老反りの状態で身体をロックする。単に逆さのMを想像して貰えば良いだろう。
 そして獲物が下を通る瞬間を狙い、落下。自重によって反転し、獲物に触れた瞬間にロックを外す事で杭が打ち込まれる訳だ。このロックが外れる音が「パキュン」と響いていたのである。
 加えて暴れても外れないよう返しが付いており、無数に生えた棘によってより強固にする。 
 後は何らかの理由で外れるか、獲物が腐り切るか、変態するまで棘状の口をもって栄養を吸い続ける。

 さて、この章の最後に『変態』について説明しておきたい。
 変態とは「蛹」になるかどうかで、完全変態と不完全変態とで区別される。
 卵から幼虫、幼虫から蛹、蛹から成体へと大きく姿形を変えるのが完全変態と呼ばれる。不完全変態は幼虫から成体になるまでサイズの違いや多少の差異はあれど、ほぼ見た目が変わらない。
 蝶やカブトムシ、てんとう虫などは完全変態。バッタ、蜻蛉、蟷螂は不完全変態である。
 
 件の昆虫は完全変態である所までは判明している。獲物に寄生し栄養を吸い続け一定期間が経つと、その場で外皮を変形させ、ほぼ蔦と見分けがつかない姿に変貌する。そしてその細長い蛹の中で体を溶かしながら再構築し、数日の内に成体へと成長するのだ。
 だが幸いな事に、この昆虫自身が自身の急激な変化に耐えられず、殆どが羽化せず死滅している。もしくは蛹では身を守る術を一切持たない為に、在来種によって捕食されているようだった。
 
 まだ時節は春先であり、昆虫類が跳梁跋扈するには余りある時間が残されている。
 人間の頭蓋骨を貫通する威力を持つこの昆虫が成体になった時、どうなるかは神のみぞ知る所。この昆虫が完全変態を成し遂げる日も遠くないのかもしれない。
 
 そう思わせる昆虫が、翌週一つの町を飲み込んだ。

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