ドラマ『名探偵ポワロ』に見る1920-30年代の英国メイド服考察
本テキストは、2020年の「メイドの日」にあわせて、同人誌『名探偵ポワロ』が出会った「働く人たち」ガイド上巻(35話分)から、「メイド服」の考察を抽出・再編集・追加したものです(イラストはumegrafix(ウメグラ)さんによるものです)。
同人誌は、以下サイトをご確認ください。通販もしております。
今回の解説対象とするのは、日本のメイド服ではあまり馴染みがない、1920-30年代のメイド服です。1935年を時代背景の中心とする『名探偵ポワロ』で頻出する制服はこの年代のメイド服で、家事使用人のメイドから、カフェのウェイトレスまでが幅広くこのデザインの制服を着用しています。
1話あたりのメイドたちの出現数こそ少ないものの、メイドとウェイトレスをあわせた「メイド服」が出てこない作品は、今回の対象35話中4話しかないほど、身近な存在でした。
1930年代メイド服解説
作品の舞台となる1930年代のメイド服は、日本では「クラシックなメイド服」として知られるヴィクトリア朝のメイド服とは3点で大きく異なります。
1) 肩紐があるエプロンから、肩紐がなく小さな胸当てのエプロン
2) 足を隠すロングスカートから、丈が短く足が見えるドレス(色も自由に)
3) 頭の飾りは「コロネット・キャップ」と呼ばれる黒いリボンで装飾された白地のヘッドドレスを頭に巻きつけたものとなっています。
この3要素は『名探偵ポワロ』のメイド服を代表し、1920年代には見られたものです。その特徴を細かく解説します。
エプロン編
まず「肩紐がない、小さな胸当てのエプロン」が最も登場するエプロンとして主流になります。肩紐がないのに、胸当ての部分はメイド服の前面にくっついています。どのように留めているのか、実物を見たことがないために推測となりますが、1) 何かで留める(縫い付け、ピン、ボタン穴)、2) 見えにくい肩紐がある、の2点が考えられます。調査中に1920年代のメイドを撮影した動画” Ideal Home Exhibition (1920-1929)”を見たところ、風でエプロンがなびいた際、上部が固定されていて、風が抜けています。
元々のエプロンには、洗いやすい布地でメインの服を覆い、汚れを防ぐ意味があります。縫い付けはメンテナンス性が悪く、ボタン穴やフックはメイド服の側に仕掛けが必要で難しく、結論としてピンで固定しているように思います。
この「胸当て」の形態が非常にバリエーションに富んでいます。縦長の長方形の基本形から、台形、五角形、波模様、襟と繋がるように見える鋭角的な台形、胸元まであるものまで様々です。さらにレースを用いたり、フリルの縁取りがあったり、模様が入っていたりと、エプロンの細部も屋敷によって異なります。喫茶店のウェイトレスも、このデザインに準拠しています。
本書で今後紹介する「白エプロン」は、この「肩紐のないエプロン」を指します。「基本形」以外にも、「太い肩紐エプロン」もそこそこ出てきます。しかし、紐というよりも「袖のない上着」「貫頭衣」に似て、作業着に見えるため、デザインとしての美しさを私個人として感じません。森薫氏のメイド漫画『エマ』で想起するような美しいメイドエプロンは、肩紐が細く、紐に添える形でフリルが広がっていました。
とはいえ、この「太い肩紐エプロン」は色のバリエーションが多く、前述のエプロンが白をベースとしているならば、こちらは柄や模様、色が自由に使われており、「メイドエプロン」というより、「普通のエプロン」に近しいです。着用者もあまり「メイド」のイメージを想起させず、年配の恰幅の良い女性が着ていたり、家政婦やコック、そしてナースなどの服として見られるものでした。固定しやすく、汚れを防ぐ面積も広いため、実用性が高いのでしょう。
このほかに、「胸当てが無い腰だけを覆うエプロン」(以降、腰エプロン)もあります。女性使用人の中ではあまり汚れ仕事をしない職種の侍女などがつけるものでした。作品内では男性のバーテンダーやウェイターが着用している機会の方が多かったです。
2. ドレス編
元々、ヴィクトリア朝のメイド服には、掃除や裏仕事に適した洗いやすい素材で作られたドレス「午前服」と、給仕や表に出る仕事で使う黒の「午後服」がありました。前者は主人の眼に触れることを前提にしておらず、逆に後者は主人やゲストの目に触れる機会に着るものでした。
この使い分けは1930年代が舞台の本作品でも登場し、第33話「愛国殺人」で登場する歯科医の家で働くメイドが午前服、午後服を使い分けました。とはいえ、『名探偵ポワロ』では屋敷の滞在回数が少なく、描写もあまりないため、この区別はそれほど大きく扱うことに意味がありません。
ヴィクトリア朝からのドレスで最も大きな変化は、「色」です。「クラシックなメイド服といえば黒」のイメージが強くあります。多くのメイド服(午後服)は実際に黒でありつつ、例外的にカラフルな色彩のメイド服を着ていくのは、ホテルメイドやウェイトレスです。
デザインこそ、「メイド服」と同じながらもホテルメイドやウェイトレスが着る場合は、「彼女たちの職場のブランドカラー」が反映されました。特にホテルの場合、ホテルメイドやホテル付きのカフェのウェイトレス、そして後述する男性のホテルスタッフを含めて、スタッフの制服の色が統一されています。
最もおしゃれなメイド服は、第11話「エンドハウスの怪事件」でポワロたちが滞在した「マジェスティック・ホテル」の制服です。このメイド服とホテル客室のドアは、色と模様が一致しました。
次に、着目すべきは「襟」と「カフス(袖口)」です。ドラマに登場したメイド服のドレスの「襟」の種類まで多様でした。襟が無い服から、白い丸襟、鋭角的デザインでエプロンのデザインと調和して肩紐のように繋がりそうなもの、レース、波模様、ボタンで閉じる場合や、広がっていて首元で襟が閉じない服もありました。
カフスも同様です。レース付き、ピンと綺麗に伸びたものから、カフスがない服まで組み合わせは多様です。袖が長袖か半袖かによっても、変化があります。
私はこれまで、メイド服の構成要素を「エプロン」「ドレス」「キャップ」と考えていましたが、この作品で「襟」「カフス」が同じ白い素材の「エプロン」を引き立てるデザインを見て、非常に重要な要素だと理解しました。ドレスの中で最後に挙げる変化は、スカート丈です。1930年代ともなると、「足首を見せるのも恥ずべきこと」としたヴィクトリア朝的な価値観は失われており、スカートの丈は短く、動きやすくなっています。中にはタイトスカートも出てきます。
スカートが短くなった際に見えるようになった足には、タイツや科学技術の進化から生まれたナイロンのストッキングも登場します。ハイヒールを履いたメイドも珍しくありませんでした。
3. キャップ・ヘッドドレス編
『名探偵ポワロ』を彩る最後にして最大級のメイド服の要素は、「頭につけるキャップ・ヘッドドレス」です。元々は「モブキャップ」と呼ばれる、頭を丸々覆うような古めかしいキャップをかぶっていました。これらの系譜を受け継ぐ、キャップも作品には登場します。ただのキャップではなく、レースになっていたり、模様が入っていたり、ここにも細部の工夫が見られます。
これに、フリルがついたヘッドドレスやカチューシャのような形態の被り物が登場していきます。そして1920年代に顕著になったのが、「コロネット・キャップ」と呼ばれる、ヘッドドレスです。コロネット(coronet)は「宝冠」や「小さな冠状のヘッドドレス」を意味する言葉です。基本的にはティアラのように前面をカバーするものです。
素材と装飾にもバリエーションがあり、レースになっていたり、フリルが付いていたり、独自の模様が入っていたりします。英国で最も有名な「コロネット・キャップ」は、外食産業で名を馳せたLyon社のウェイトレスのヘッドドレスとなるでしょう。前面にロゴが入り、その下をリボンが通ったものです。
この「コロネット・キャップ」もバリエーションの宝庫で、大体の場合は黒いリボンで装飾されています。ところが、このリボンひとつをとっても、リボンがあまり見えない場合や、はっきり見える場合、太さの違いなどの差異が観測されています。
他の帽子の種類では、私が参考にした“ARMY & NAVY STORES LIMITED GENERAL PRICE LIST 1939-1940”(陸海軍ストアの価格を記載した商品カタログ)にて販売されているメイド服とセットになっている、“Sister Dora Cap”という、修道女Doraにちなんだとされる帽子があります。これは半円形に帽子のつばが広がり、その縁にフリルやレース、縁取りの飾りがつくものです。
補足として同書掲載のメイド服を見る限り、「肩紐付きエプロン」は肩紐が太い形となっており、いわゆるクラシックな肩紐はメジャーではなくなっていったようです。
もうひとつ、本作品で登場するキャップのバリエーションには、ナースの「ナースキャップ」があります。よく登場するのが修道女風の頭巾です。
参考資料
本文はここまでですが、参考資料として当時の写真資料・カタログ資料も掲載しておきます。
・Lyons(チェーンのレストラン・カフェ)制服
・1930年代の陸海軍ストアの通販カタログ掲載のメイド服
そして現代に復活したメイド服
2017年のポワロ同人誌刊行時に、メイド喫茶のワンダーパーラー・カフェに相談して、1920年代の制服を作って売り子をしてもらいました。以下1つ目はそこからの進化系、2つ-3つ目は原型です。
そして、ワンダーパーラーカフェとのコラボして、英国メイド創作短編集+そのシーンに合うメイド写真も作っています(これは2014年に)。
また、ポワロの時代を含めて、英国でのメイド雇用が衰退していく社会的な流れを解説する同人誌はこちらに。
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