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【調査3/3】ナイチンゲールが「斧を持って英軍倉庫から薬を奪う」アメリカの新聞報道の変遷と、「ハンマーを持った淑女」の由来探し


はじめに

以下は回答だけではなく、プロセスも載せているため、長いです。

フロレンス・ナイチンゲールについて、ネットでは「ナイチンゲールが斧を持って倉庫を襲撃し、薬を奪った」というエピソードに加え、最近刊行された『超人ナイチンゲール』でもこの話題について「ハンマーを持って襲撃した」という記述があります。

『超人ナイチンゲール』Amazon掲載の本文掲載の紹介画像から引用(ハンマーを手にしている)

こうした「倉庫を【自ら】襲撃するナイチンゲール」について、私は、第一に「倉庫を襲撃して医師・英軍との関係を悪化させるのはナイチンゲールの行動原理に合わない」、第二に「少なくとも薬などについて、一時期を除いて不足しておらず、襲撃理由がない」、この2点を軸に、エピソードの存在について否定的に捉えています。

ただ、調べていくと、そうした「備品を奪うため、倉庫を襲撃した」エピソードは、ナイチンゲールがクリミア戦争従軍にしている最中の1855年には既に存在していることが確認できました。このエピソードは英国本国で新聞報道され、その語り手のひとりとして、あのカール・マルクスがいました。『超人ナイチンゲール』の記載は、そのマルクスの報道に基づいています。

以下、マルクスの記事を調べたものです。

ただ、マルクスが最初の報道に思えず、当時の新聞記事を調べていくと、マルクス以前に数多くの新聞報道がありました。

そして当時の政府もこれらの報道を無視できなくなったのか、当時の議会のクリミア戦争の調査委員会(ローバック委員会)では、この「倉庫を襲撃したか」という件について、ナイチンゲールと行動を共にした「タイムズ基金」運用者のマクドナルドがそのことを否定する証言をしたことも判明しています。

その調査が、以下となります。

その上で、これらを見ていくと、以下のことが判明します。

  • ナイチンゲールの倉庫襲撃についての新聞報道は複数あった。

  • 話が変質する中で、マルクスも報道の担い手となる。

  • しかし当時の報道ではナイチンゲール本人は武装していない。彼女に同行した兵士たちも「斧」を持っていないし、「薬箱」どころか、「何を奪ったか」は明確に記載されていない。

  • その上で調べていくと、アメリカの新聞で「斧を持って襲撃」という記事がクリミア戦争から30年以上後に存在している。

こうして調べたことに加えて、先行研究として私よりも前に「斧で薬箱を壊した」を調べている方たちの調査で、この「斧」「薬箱」が日本でも1901年に刊行された伝記に載っているとする論文が取り上げられています。

この先行研究で紹介されている論文『19世紀の日本におけるナイチンゲール伝 : 明治期国定修身教科書におけるナイチンゲール像分析のための予備的考察』にある情報を踏まえ、いつぐらいに「斧」「薬箱」になったのかを、アメリカの新聞を調べて、より時間を絞っていきます。

また、今回は「斧ではなく、ハンマーを持って襲撃した」という情報の出所についても調べてみましたので、その2点をお伝えしていきます。

19世紀末の「斧を持って、倉庫のドアを破壊」エピソードを載せたアメリカの新聞報道

まず、前回の調査で、1887年のアメリカの女性参政権運動の記事に「斧を使わせて、包帯を奪わせたナイチンゲール」というエピソードを見つけています。ただ、あくまでも破壊しているのは「扉」です。

Of course the world admires the pluck of a Florence Nightingale who when failing to secure bandages for the wounded soldiers at the Crimea sent for an ax and commanded the storehouse doors to be broken open and took the bandages and other necessary supplies.
もちろん、フローレンス・ナイチンゲールがクリミアで負傷兵のための包帯を確保できなかったとき、斧を差し出し、倉庫の扉を壊して包帯や必要な物資を持ち帰るよう命じたような気概は、世界中から賞賛されている。

The Pacific Rural Press and California Farmer第 34 巻@.384 1887/11/12記事

これが「斧を用いた襲撃」についての「最古の報道」かはわかりません。

さて、その上で日本にも明治時代の伝記に、「斧で襲撃」「薬を確保」というネタが出てきます。これが上記で取り上げていた先行研究されていた方たちのテキストで言及されているものです。

(7)安孫子貞治郎訳「フロレンス ナイチンゲール」『人道之偉人』(1901)も,「倫敦最大の旅館セントトーマス館に宿せし人は必ず知らん,慈悲の光を表象せるランプを手にせる高尚優麗なる貴女の塑像が其大広間に飾られあることを,これ即ちクリミア戦争に於て,慈悲と愛との働をなせし,負傷者救護の天使フロレンス ナイチンゲー嬢肖像なり」と始めている(pp.79-80)。
(中略)
 この伝記は「ニューヨーク エベリング ポスト」を主な情報源にしており,それまで日本に紹介されたことのない内容,たとえば〈薬品庫を斧で叩き壊させる〉という衝撃的なエピソードを載せている。
「予は当時嬢に就て下の如き逸事を聞けり。一日俄に薬品の必要起れり。当時の規則は薬庫の錠は医師に賦与し,医師の不在には薬庫を開くこと能はずなれり。嬢は沈思黙考の末,命令を下して斧を以て扉を破らしめて薬品を取出だし,以て急を救ふことを得たり。思ふ,頑強の武夫斧を持して戸側に立ち,細き柔なる而も遠くへ透き徹る声が開けと命令を下したる当時の形状を。而して,又杓子定木の弊は確かに此教訓によりて認められたることを」(p.86)

松野修(2013年)「19 世紀の日本におけるナイチンゲール伝――明治期国定修身教科書におけるナイチンゲール像分析のための予備的考察――」

上記によれば、この伝記『人道之偉人』はアメリカの新聞『ニューヨークイブニングポスト』(1901年『人道之偉人』原文がエベリング表記だが、Eveningイブニングと思われる)を参考にしているとのことで、1901年に近い年代の新聞記事に載っているであろう「アメリカの新聞データベース」を調べました。

何故アメリカに注目しているかといえば、上記の新聞がアメリカのものであり、またマルクスが寄稿した新聞もアメリカのものだからです。英国よりも、遠く離れたアメリカの方が、事実と離れたイメージの広がりがあるのではと思い、そもそも存在していない「倉庫襲撃」が、「斧」を持ち、そしてなんだかわからなかった奪取品が「薬」になったのかを、アメリカの新聞で見てみよう、というところになります。

以下、時系列で見ていきます。

1870年5月13日 『New-York tribune』 倉庫襲撃・25人の兵士(ドアを破壊。奪ったのは「供給品」supplies)

フローレンス・ナイチンゲールがクリミアの病人や負傷者のために物資を要求し、それが役所仕事で遅れたときには、25人の兵士からなる部隊に命じてドアを壊して開けさせ、必要な物資を病院に運んだ。

Florence Nightingale demanding supplies for the sick and wounded in the Crimea, and, when they were delayed by red tape, ordering a squad of 25 soldiers to break open the doors to convey what was desired to the hospital, was as fair a picture as could be conceived.

『New-York tribune』1870年5月13日

1887年11月12日 『The Pacific Rural Press and California Farmer』(斧でドアを破壊。包帯や他の必要な物資を調達)

もちろん、フローレンス・ナイチンゲールがクリミアで負傷兵のための包帯を確保できなかったとき、斧を差し出し、倉庫の扉を壊して包帯や必要な物資を持ち帰るよう命じたような気概は、世界中から賞賛されている。

Of course the world admires the pluck of a Florence Nightingale who when failing to secure bandages for the wounded soldiers at the Crimea sent for an ax and commanded the storehouse doors to be broken open and took the bandages and other necessary supplies.

『The Pacific Rural Press and California Farmer』1887年11月12日

補足ですが、だいたい「ドアを破壊して開ける」と描写されています。この「破壊」を行うには「道具」が必要であり、ほとんどの場合に用いられる・イメージされるのが「斧」と思われますので、それまでの「ドアを破壊して開けさせた」という記述に対して、「斧」が追加されたように思われます。

1891年1月23日 『The morning call』倉庫襲撃(「斧」でドアを破壊。ここでも「供給品」との記載のみ)

フローレンス・ナイチンゲールは、クリミアにいる病気の兵士たちに物資を要求し、役所仕事で物資の供給が遅れたときには、兵士の一団にドアを壊して物資を持ってくるように命令し、彼ら兵士は実行しました。

Florence Nightingale, demanding supplies for the sick soldiers in the Crimea, and when they are delayed by red tape, ordering a file of soldiers to break down the doors and bring them, which they do(略)

『The morning call』1891年1月23日 

1898年9月7日 『The daily morning journal and courier』(斧でドア破壊・医療品medical suppliesと明記)

「緊急事態が発生した場合、貴重な時間を何時間も、おそらくは何日も費やすことになる特定の手続きが完全に順守されるまで、医師や看護師が病人や瀕死の兵士のために必要な物資を差し押さえることができないシステムは、徹底的に悪質である。戦争の時代には、このような悲惨な制度のために、兵士が毎日命を落としている。
フローレンス・ナイチンゲールの英雄的精神のようなものが、最近のキャンペーン、たとえばサンティアゴ(米西戦争)でのキャンペーンや、それ以後のキャンペーンに注入されれば、大きなメリットがあったかもしれない。
クリミア戦争中のある時期、彼女は何百人もの病人のために、ある医薬品を必要としていた。しかし、その物資は、彼女が適切な申請を怠ったという理由で拒否された。実際、彼女はこれらの形式的なことに時間を費やしている余裕はないと答えた。そのため、彼女は斧を使って物資を要求し、部下に命じて補給施設のドアを破壊させた。この「手続き的」要求は、実に迅速に実行された。物資は掌握され、それによって多くの人の命が救われた。

"A system is thoroughly bad which, in an emergency, forbids the seizure by doctor or nurse of necessary supplies for sick and dying men until certain formalities, which may require hours, and perhaps days, of priceless time, have been fully complied with. In times of war men die daily because of this wretched system. Something of Florence Nightingale's heroic spirit might, with great advantage, have been injected into the recent campaign, say at Santiago, and even since then. At one time during the Crimean war she needed, and needed at once, certain medical supplies for the hundreds of sick men about her. The supplies were refused on the ground that she had failed to make the proper requisitions.
In effect, she replied that there was no time to waste on formalities. She would therefore make her requisition with an ax, which she did, by ordering her men to break down the doors or the supply house. It was with great alacrity that this formality was complied with. The supplies were seized and many a man's life saved thereby.

『The daily morning journal and courier』1898年9月7日

1899年1月1日 『The Seattle post-intelligencer』(斧の記述なし・ドア破壊・医療品(medical comforts))

兵站部が必要物資を供給できなかったとき、フローレンス・ナイチンゲールは自由に使える莫大な資金を持っていたので、即座に自分で供給した。足腰の重い役人たちは、彼女たちの素早い足が、助けや憐れみのあらゆる道において彼らを凌駕していることに気づいた。フローレンス・ナイチンゲールの鋼鉄のような毅然とした意志の仮面として機能していた穏やかな平静を打ち破ったのは、たった一度の怒りの閃光だけだったと伝えられている。

英国から物資が届いた。病人たちはそれらの不足で苦しんでいた。しかし、役所仕事の常として、物資を支給する前に監査委員会の「監査」を受ける必要があった。監査委員会は足取りも重く、夜になってもその作業を終えていなかった。そのため、倉庫は公的な冷淡さともに施錠され、病人には使用が拒否された。つまり、何百人もの病人のニーズと、彼らが必要とする医療品の間に、赤いテープ(役所仕事)の象徴である鍵のかかったドアがあったのだ。フローレンス・ナイチンゲールは、数人の雑役兵を呼び、ドアまで歩いて行き、静かにドアを破壊して開けるように命じた。そして、倉庫の物資は配布された。 『コーンヒル』から。

It the commissariat failed to supply requisites, Florence Nightingale, who had great funds at her disposal, Instantly provided them herself, and the heavy-footed officials found the swift feet of these women outrunning them in every path of help and pity. Only one flash of anger be reported to have broken the serene calm which served as a mask for the steel-like and resolute will of Florence Nightingale.
Some stores had arrived from England; sick men were languishing for them. But routine required that they should be "inspected" by a board before being issued, and the board, moving with heavy-footed slowness, had not completed its work when night fell. The stores were, therefore, with official phlegm, locked up, and their use denied to the sicks. Between the needs of hundreds sick men, that is , and the comforts they required was the locked door, the symbol of red tape. Florence Nightingale called a couple of orderlies, walked to the door, and quietly ordered them to burst it open, and the stores to be distributed. The Cornhill.

『The Seattle post-intelligencer』1899年1月1日

1899年1月6日 『The Olneyville times』同じ内容を記載


1899年1月24日『The Wilmington daily Republican』同じ内容を記載



1899年1月22日 『The Indianapolis journal』(斧の記述なし・ドア破壊・薬(medicines)と明記、語り手が牧師)

フローレンス・ナイチンゲール、レッドテープ(役所仕事)をカット。カンザスシティ・ジャーナル

穏やかなフローレンス・ナイチンゲールでさえ、憤怒の念を抱くことがあったというのは、読んでいて楽しいことである。フィチェット牧師によるクリミアでの彼女の仕事の記述の中で、彼女の仕事に対する官僚主義的な障害の前での彼女の行動が語られている。何百人もの病人や瀕死の人たちが、到着した薬や特別食を欲しがっていたが、不器用な監査委員会がそれらを監査している間、開封されずにそのままになっていた。フローレンス・ナイチンゲールは数人の雑役兵を呼び寄せ、臆することなく倉庫の扉を壊して開けるよう命じた。このか弱い女性が将軍の権威を簒奪したとき、彼らは息をのんだに違いないが、従った。このことについての捜査も軍法会議もなかった。

Florence Nightingale Cut Red Tape. Kansas City Journal.

It is delightful to read that even gentle Florence Nightingale was capable of indignant wrath. In a description of her work in the Crimea, by Rev. Mr. Fitchett, we are told of her behavior in the presence of bureaucratic obstacles to her work. Hundreds of sick and dying men were pining for medicines and delicacies, which had arrived, but were lying unopened while a clumsy board of inspection was passing on them.
At nightfall the board adjourned with its work unfinished. Florence Nightingale called a couple of orderlies and unhesitatingly commanded them to break open the door of the storehouse. And though they must have held their breath when this frail woman usurped the authority of the general, they obeyed. There was never any investigation or court-martial.

『The Indianapolis journal』1899年1月22日

1901年の日本での伝記のソースとされる『ニューヨークイブニングポスト』の記事は出てきませんでしたが、だいたいこの時期の新聞は上記のように全く同じ記事が、地方新聞に載ることもあるので、上記の時期のいずれかを読んでいた可能性があります。

なお、余談ですが、1906年には「マスケット銃」に武装が変わっていました。

1906年8月23日『The Minneapolis journal』

スクタリでは、フローレンス・ナイチンゲールが兵士のマスケット銃の銃床で英国の官僚主義を打破し、物資を入手し、飢えた人、病人、負傷者に食料と衣服を与えました。

At Scutari Florence Nightingale smashed British red tape with the butts of her soldiers' muskets to get supplies and feed and clothe starving, sick and wounded men.

『The Minneapolis journal』1906年8月23日

誤読? 参考文献を発見へ

ここまで来た際に今回、新聞調査の起点とした『19世紀の日本におけるナイチンゲール伝 : 明治期国定修身教科書におけるナイチンゲール像分析のための予備的考察』で紹介されている「安孫子貞治郎訳「フロレンス ナイチンゲール」『人道之偉人』(1901)」をちゃんと読むことにしました。国会図書館でデジタル化されています。

そして、「安孫子貞治郎訳」と「訳」の文字に気づき、「もしかして、「新聞紙」からエピソードを拾って翻訳したのではなく、ほとんど全文をそのまま翻訳したのでは?」と思い至りました。

論文にあった一文「この伝記は「ニューヨーク エベリング ポスト」を主な情報源にしており」が原文でどうなっているかを確認したところ、この新聞の通信員をしていた「リチャード・シマツ・コルミック」が語り手となっている文章があることから、「彼の文章を翻訳したのでは?」と思い至り、検索したところ、クリミア戦争の従軍体験を記した本が出てきました。

なお、以下を含めて、このリチャード・シマツ・コルミックの本については、ちゃんと先行研究をされた方のテキストで、後述する「結論」まで含めて取り上げられていました。恥ずかしい……

『A Visit to the Camp Before Sevastopol』
Richard Cunningham McCormick
D. Appleton, 1855

気を取り直して書きます。

さて、この本の挿絵と、先ほどの伝記の挿絵が一致したことで、「斧で薬箱を奪った」ことを日本語で記した伝記の原典に近づきました。

『人道之偉人』(1901)p.79
『A Visit to the Camp Before Sevastopol』

そして、だいたいの伝記記載の情報が、この本にある程度まで依拠していると判明しました。

「予は当時嬢に就て下の如き逸事を聞けり。一日俄に薬品の必要起れり。当時の規則は薬庫の錠は医師に賦与し,医師の不在には薬庫を開くこと能はずなれり。嬢は沈思黙考の末,命令を下して斧を以て扉を破らしめて薬品を取出だし,以て急を救ふことを得たり。思ふ,頑強の武夫斧を持して戸側に立ち,細き柔なる而も遠くへ透き徹る声が開けと命令を下したる当時の形状を。而して,又杓子定木の弊は確かに此教訓によりて認められたることを」

『人道之偉人』(1901)p.86

ところが、上記のこの一文が『A Visit to the Camp Before Sevastopol』の原文には存在しません(これが先述の先行研究に記載ある結論)。

よくよく読むと、『人道之偉人』(1901)には「ナイチンゲールが80歳を超えている」(1820年生まれなので1900年の誕生日以降の情報)、「看護学校の卒業生が25000人」など、明らかに、『A Visit to the Camp Before Sevastopol』の刊行された1855年にはない情報がありました。

これは、翻訳者が書き足したのか、翻訳時に修正したのでしょうか?

そこで文中に登場していた歴史家Kinglakeの文字を含めてGoogle Booksで検索したところ、『True Stories of Heroic Lives Stirring Tales of Courage and Devotion of Men and Women of the Nineteenth Century... 1899』という本が出てきました。

Google Booksでは読めませんでしたが、「19世紀の偉人の伝記そのまま」かつ、出版時期に近い1899年なので、「もしかして、これをそのまま翻訳パクリしたのでは?」と思い、PDFを探したところ、ありました! 

そして、まさにこれこそが原文で、そのまま翻訳していたのです。ありがとうございます。

この本でナイチンゲールの項目を書いている「語り手」はRICHARD J. HINTON.で、この名前も、そして本のタイトルも、それを翻訳したであろう日本の伝記で消されていたので、よくわからなくなっていました。イラストも同じです(この本も『A Visit to the Camp Before Sevastopol』の絵をまるパクしていて良いのか的な疑問がありつつ)。

『True Stories of Heroic Lives Stirring Tales of Courage and Devotion of Men and Women of the Nineteenth Century』から

そして、ようやくあの「斧」「薬」の一文の原文に辿り着きました。

ロンドンの『タイムズ』紙の代理人マクドナルドは、ミス・ナイチンゲールの有能な援助者だった。彼は必要な資金をすべて持っており、「ランプを持った淑女」のように、規則を破り、必要な人々を助けるために役所仕事と官僚主義のしがらみをすべて断ち切ることができた。

そうそう、私(伝記の著者RICHARD J. HINTON.)は、ミス・ナイチンゲールが、医療物資の管理者が、今は不在の権限者の命令なしには開けられないと宣言したため、施錠された医療物資を入れた倉庫のドアを、彼女が破壊させた事件についても聞いたことがある。彼女は医療物資を必要としていた。そこで斧を持った男が(ナイチンゲールの要請で)現れ、ナイチンゲールは小さな声で命令し、ドアを開けさせた。官僚主義は教訓を得たのである。

MacDonald, agent of the London Times, was Miss Nightingale's efficient aid. He had all the money needed, and like the ' Lady of the Lamp' was able, ready, and willing to break rules and cut all bonds of red tape and officialism in order to help those who needed.

Yes, I heard about the incident of Miss Nightingale having the locked door of a medical storeroom broken in when the medical official declared it could not be opened without some absent person's order. The supplies were needed. A man and an ax appeared, a low-voiced order was given, and then the door was opened. Officialism learned its lesson.

『True Stories of Heroic Lives Stirring Tales of Courage and Devotion of Men and Women of the Nineteenth Century』p.308

以下、『人道之偉人』(1901)とようやく一致しました。

「予は当時嬢に就て下の如き逸事を聞けり。一日俄に薬品の必要起れり。当時の規則は薬庫の錠は医師に賦与し,医師の不在には薬庫を開くこと能はずなれり。嬢は沈思黙考の末,命令を下して斧を以て扉を破らしめて薬品を取出だし,以て急を救ふことを得たり。思ふ,頑強の武夫斧を持して戸側に立ち,細き柔なる而も遠くへ透き徹る声が開けと命令を下したる当時の形状を。而して,又杓子定木の弊は確かに此教訓によりて認められたることを」

『人道之偉人』(1901)p.86

では、この語り手たるRICHARD J. HINTON.が何者か、というところですが、英国生まれでありつつ、アメリカに渡り、アメリカ軍将校などになった人物であり、作家・ジャーナリストでもあるとのこと。

そこから彼がこの伝記の文章を書いていた1899年よりも前の時期に接していた情報については、これまでに列挙した新聞などで報じられたものを利用したのでしょう。

アメリカの新聞では、以下の記事が刊行時期に近くなっています。

  • 1898年9月7日 『The daily morning journal and courier』(斧でドア破壊・医療品medical suppliesと明記)

  • 1899年1月22日 『The Indianapolis journal』(斧の記述なし・ドア破壊・薬(medicines)と明記、語り手が牧師)

ただ、ここで先行研究された方たちのこれまでの考察に戻るのですが、「薬箱を破壊した」ではありません。あくまでも「斧」で破壊しているのは「(鍵がかかった倉庫の)扉」までです。

いずれにしても、『人道之偉人』(1901)をめぐる謎は解消しました。

「ハンマーを持った淑女」について

ここまで長くなってしまいましたが、続けて、さくっとハンマーの話を追いかけてみます。実はハンマーで破壊についてはあまり見ず、語り手も限定されます。

上記で言えば、『超人ナイチンゲール』(2023)が「ハンマーをもった天使、マルクスを動かす」として、倉庫襲撃時にハンマーを手にしたという仮説を入れています。

ナイチンゲールは屈強な男たちをひきつれて倉庫にいく。手にはハンマーでももっていただろうか。いつものように責任者の命令がないとダメだというこっぱ役人。しかし、ナイチンゲールはこういった。わたしがその責任者で
えっ。あっけにとられる役人。それをしり目に、ナイチンゲールが檄をとばす。野郎ども、やっちまいな。ヘイ! 倉庫をこじあけて、なかにのりこんでいく男たち(略)

栗原康『超人ナイチンゲール』p.169

そして、同書ではマルクスがこの事件を報じたとして、これまでに挙げてきたマルクスによる新聞記事を引用します。その出典元は、『ナイチンゲールの越境6・戦争 ナイチンゲールはなぜ戦地クリミアに赴いたのか』p.40になります。ただ、ここでは今まで調べたように、ナイチンゲールが何を持っていたか明確になっていません。

この本を通じて、マルクスの報道を知り、私の調査が始まっています。その調査は以下にまとめたものとなります。

さて、この、『ナイチンゲールの越境6・戦争 ナイチンゲールはなぜ戦地クリミアに赴いたのか』は「6」とあるように、シリーズがあります。

たまたまその次の『ナイチンゲールの越境7・伝記 創造られたヒロイン、ナイチンゲールの虚像と実像 』を読んでいると、「ハンマーとナイチンゲール」のイメージが、語られていました。

ハンマーとナイチンゲールの組み合わせの語り手は、同書の『創作談義でナイチンゲールを「人々のために戦う烈女」として語る』と題したコラムを書いた加納佳代子氏です。

加納氏は医療法人財団緑雲会多摩病院の看護部長であり、また渥美講談塾にも入り、講談看護師・加納塩梅としても活動しているという経歴の持ち主です。

ここで加納氏は、「ナイチンゲールは『ランプを持った淑女』だけではなく、「カナヅチを持った貴婦人」と兵士たちから呼ばれていた」(同書p.103)と紹介しています。そして、この「カナヅチを持った貴婦人」の創作講談のメインとした資料は、『ナイチンゲール: 現在の看護のあり方を確立した、イギリスの不屈の運動家』という伝記だと触れています。

そこで、同書を入手して読んでみると、「備品庫におしいってシーツや包帯などを取り出す看護婦」と題したイラストと、それを補足するテキストが記されていました。以下、引用します。

兵士たちの苦しみについて新聞何度を読んで知ったイギリス国民は、シーツや包帯や食べ物を船に何隻分も寄贈しました。問題は、無能な医務官たちがそれをきちんとくばらないことでした。兵士たちはフローレンス・ナイチンゲールのことを「かなづちをもった婦人」と呼びました。フローレンスは兵士の苦痛をすこしでもやわらげようと、ほんとうに備品庫におしいって包帯などを取り出しました。

『ナイチンゲール: 現在の看護のあり方を確立した、イギリスの不屈の運動家』p.89

これまでこのテキストを読んだ方には、「倉庫襲撃は史実としてありえない」ということをこれまで論証してきたので、この話が「本当ではない」可能性が高いことがご理解いただけると思います。

では、このパム・ブラウンはどこからこのエピソードを持ってきたのかと参考文献をみようとしましたが載っておらず。そこで、ナイチンゲール資料の主たる資料の公式伝記クック版と、信頼性が高いセシル・ウーダム=スミス版の英語版を含めて探しましたが、やはりエピソードが見つかりません。

そこで、Lady with the Hammerで検索すると、一冊の本の紹介記事が出てきました。

そして「ランプを持つ淑女」? 実際には、ナイチンゲールは兵士たちの間では「ハンマーを持った淑女」として知られていた。彼女は、一挙手一投足を妨害する軍司令官に反抗して、必要な医薬品を放出するために鍵のかかった倉庫に侵入したのだ。もちろん、彼らは彼女を尊敬していた。しかし、ラッセルが知っていたように、力強く、好戦的で、反抗的な女性は、『タイムズ』紙の読者にとってはあまりにも粗野で淑女らしくない。

上記記事からの引用

では、この根拠はどこにあるかと、この本『Rebel Women: The renegades, viragos and heroines who changed the world, from the French Revolution to today』を購入して、参考文献を見ました。

こちらで、'The Lady With the Hammer': Votes for Women, 9 April 1912.に記載があると示されます。

『 Votes for Women』は女性の参政権運動についての新聞でした。

ネット上では該当号を探せなかったのですが、Google Booksで再掲らしき1912年8月9日の記事「THE LADY WITH THE HAMMER」を見つけました。

『Votes For Women』1912年8月9日p.737

THE LADY WITH THE HAMMER

*ミセス・マンセル=ムーリンは、昨年、W.S.P.U.の応接間での会合に招かれて出席し、フローレンス・ナイチンゲールは "ランプを持った淑女 "として知られているが、彼女については "ハンマーを持った淑女 "と呼びたい、と語った。

フローレンス・ナイチンゲールが初めてスクタリに行ったとき、彼女は倉庫の鍵を開けることを断られた。しかし、座って待つだけでは飽き足らず、病人のために倉庫が必要だと主張し、ハンマーの助けを借りてドアを壊した。

図版は、フローレンス・ナイチンゲール記念基金のためにウォータールー・プレイスに建立されるアーサー・G・ウォーカー作のブロンズ像のための石膏鋳型である。

ハンマーについては、現状ではこのEdith Mansell-Moullinが初期の語り手となりそうです。

「ハンマー」でも新聞記事を遡ることも考えましたが、ちょっと時間がないので、現状ではこのぐらいにしておきます。

まとめ

これまで、「ナイチンゲールは英軍倉庫を襲撃したか」について、以下のようにマルクスの報道記事から始まり、調査を行ってきました。少なくとも、「そもそも倉庫を襲撃したこと」自体は議会で否定されており、ナイチンゲールの行動原理にも合致せず、そもそも襲撃の必要性もない、というところで論証してきました。

調べていくと、「そもそも何を奪ったのか明確ではない」ところが変遷し、医療用品や医薬品へシフトしていったこと。

「ドアを(壊して)開ける」描写になっていることから、その壊す道具として「斧」が描写に加わっていっていることが、サンプリングした範囲で見えてきています。

なかには24名の兵士を率いていったり、1906年の記事で「マスケット銃で武装した」兵士たちで襲撃したりと、話が広がることもありますが、これも、この時代の新聞記事の正確性の問題や、地方紙などで転載を繰り返すうちに語り手が書き加えて情報が変質していっているようでもあります。

明治時代に日本に入ってきた伝記についても、こうしたアメリカでの情報の広がりの影響を受けて「斧で破壊」を盛り込んでいるようですが、数冊、子供向け中心の「ナイチンゲール伝記」(日本・海外含めて)を読んでみたところ、その多くで「倉庫襲撃の話がそもそもない」「軍医ジョン・ホールの出番も少ない」ようです。

この辺りの非専門家による児童向け伝記や、以下の話を広めた元になっている伝記については、別の機会に調べてみようと思います。


なぜナイチンゲールのイメージ(の歴史的な正しさ)に時間を費やしているかと言えば、ナイチンゲール全集を出しているリン・マクドナルドの影響です。

ナイチンゲールは偉大さと評価の多様性ゆえ、肯定・批判の両サイドから、実際と外れた評価をされやすく、マクドナルドはその訂正に努めています。

なので、マクドナルドの資料によって恩恵を受ける立場としては、できるだけ正しいとされる情報(イメージを含めて)を届けることに、努めたいと思う次第です。

その中には、こういうものもあります。


イメージ調査関連?

こういうのも調べているので、今回のようなイメージ調査は、その派生的なところもあるかもです。ご興味があれば是非。


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