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フローレンス・ナイチンゲールが薬箱を斧で壊した逸話の原典をどうしても探したいのでなにか情報があり次第ここに書くというnote

半ば個人的なメモとして書いてるので読みづらい部分があるかもしれません。あと英語が全然わからないので私がした翻訳はあまり信用しないでください。


まず前提として

という話題があり、それに対して「ネットロアをめぐる冒険」様が以下の記事を出しました。

まとめると、ナイチンゲールが斧を使って薬庫の扉を壊したという逸話は少なくとも1901年(ナイチンゲールの命日は1910年8月13日なのでまだご存命)の時点では日本に伝わっていた。しかし海外の資料で1901年より前の資料でそれらしい言及はまだ見つかっていない。という状況です。

ナイチンゲールはクリミア戦争の活躍中にはもうイギリスで英雄視されて、それからずっと市民の間で様々な噂が飛び交っていたと思われるので、古い資料を見つけたからといってそれが史実になるわけじゃありません。多分、ナイチンゲール自身か、彼女と交流のあった人の証言でもなければ史実としての十分な証拠にはならないでしょう。
でもそれはそれとしてどこまで遡れるのかというのはずっと気になってて、思い立っては調べてを繰り返してます。そういうnoteです。

1913年クック版の記述

まず、第一に確認したい点について、上記記事内でも引用されている19世紀の日本におけるナイチンゲール伝という論文

こちらで1901年の日本の書籍「人道之偉人」が紹介されており、以下のように記されています。

「予は当時嬢に就て下の如き逸事を聞けり。一日俄に薬品の必要起れり。当時の規則は薬庫の錠は医師に賦与し,医師の不在には薬庫を開くこと能はずなれり。嬢は沈思黙考の末,命令を下して斧を以て扉を破らしめて薬品を取出だし,以て急を救ふことを得たり。思ふ,頑強の武夫斧を持して戸側に立ち,細き柔なる而も遠くへ透き徹る声が開けと命令を下したる当時の形状を。而して,又杓子定木の弊は確かに此教訓によりて認められたることを」(p.86)。同様のエピソードはクック第 1 巻にもある(p.273)。病人の看病だけでなく,医薬品,食料,衣糧の調達まで彼女が担ったことを印象的に示すエピソードである。

この同様のエピソードはクック第1巻にもある。という文章について、実際のクック版273ページには以下のように書いてあります。

次の挿話は、フローレンスがそうした遅延に苛立っていたことから生まれたに違いない。あるとき、フローレンスは政府から送られた貨物の荷解きを厳命した。役人たちは監察局から文句を言われないかと気を揉んであたふたしていたが、彼女は歯牙にも掛けなかった。この話はローバック委員会でも取り上げられた。確認されてはいないが、フローレンスならそのくらいのことは平気でやったろう。  「ナイティンゲール[その生涯と思想]Ⅰ」時空出版、中村妙子 訳より引用

2020/09/10補足
ローバック委員会は、病院や傷病兵の扱いに関して、各委員会が提出した報告書から実情を審議する下院の特別委員会。もしそこで取り上げられたとしたならば、少なくともこの逸話は戦地の医師・看護師・兵士などのなかで既に話題として上がっていた可能性が高い。

また、原書での該当箇所は202ページから203ページにかけて。こちらはネット上のアーカイブで閲覧可能

Miss Nightingale's impatience at such delays was the origin, doubtless, of a story which had wide currency at the time that on one occasion she ordered a Government consignment to be opened forcibly, while the officials wrung their hands at the thought of what the Board of Survey might presently say. The story was mentioned in the Roebuck Committee ; and, though it was not confirmed, I think that Miss Nightingale was quite capable of the dreadful deed.   「The Life of Florence Nightingale」初版 1913年11月 エドワード・クック 著より引用

読んで分かる通り、同様のエピソードと言われたらそうかもしれないとはいえ、クック版には薬庫(薬箱)とも、破壊したとも書いてないし、もちろん斧というワードもありません。

1913年ロンドン・タイムズ紙の記述

一方で、似たようなエピソードが2007年の「The Women's Movement in Wartime」という女性運動を取り扱った本にも書かれています。厳密にはナイチンゲールではなくメーブル・スト・クレア・ストバートという人物に関する文章ですが。

The Times ran an article entitled ’In the Footsteps of Florence Nightingale', which drew welcome parallels with Nightingale's less angelic qualities,

In the same fine spirit of independence which led Florence Nightingale to order the store-rooms of Skutari-in-Asia to be broken open in defiance of staff officers and red-tape Mrs Stobart went to Bulgaria,and, having seen the Queen and the medical authorities,secured an invitation for the Women's Comvoy Hospital to come and work in Kirk Kilisse.(20 Novenver 1913)

英語は全くできないので機械翻訳頼み(google翻訳とDeepL翻訳併用)になってしまいますが、多分だいたい以下のような事が書いてあります。間違ってたらすみません……

"タイムズ紙は「フローレンス・ナイチンゲールの足跡で」と題した記事を掲載し、ナイチンゲールの天使的でない側面との類似性を記述した。
「フローレンス・ナイチンゲールが役員やレッドテープ(繁文縟礼-細かすぎるなどの理由で非効率な規則や手続きのこと)に反抗して、スクタリ・イン・アジアの貯蔵庫を壊すことを命じたのと同じ独立の精神で、ストバート夫人はブルガリアに行き、女王と医療当局に会って、カーク・キリス(第一次バルカン戦争のなかで起こった戦いの地区のひとつ)で働くための婦人会病院の招待状を手に入れた。(1913年11月20日)」"

クック版が本国で刊行された1913年11月と同時期に出た新聞記事内の文章のようで内容も似てますが、前者が貨物であるのに対して、こちらは貯蔵庫になっていたり、貯蔵庫の名前らしきものが記してあったりと、微妙な差異が見られます。そして何より、荷解きではなく壊すと書いてあります。

ただ、新聞でその逸話がさも当たり前かのように淡々と話していることから、これより前のタイムズ紙で同様の話が語られている可能性もあります。(残念ながらロンドン・タイムズのデジタルアーカイブは基本的に教育機関や研究機関でしか見られず、一般人が調べるには大学図書館などに足を運ばないといけないので、現状はこれ以上遡れなさそうです。)

また、googleブックスを漁っていると以下のような文書を発見

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independence which led Florence Nightingale to order the store-rooms of Skutari-inAsia to be broken open in defiance of staff officers and red...

文章は先程の「The Women's Movement in Wartime」と完全に同じ(Skutari-in-AsiaがSkutari-inAsiaになってる程度)なので、こちらも多分、原文はストバート夫人に関する話、つまりタイムズ紙の「フローレンス・ナイチンゲールの足跡で」だと思われます。
この「British Journal of Nursing、Incorporating the Nursing Record」は19世紀後半から20世紀初頭にかけてイギリスで発行された看護雑誌のようで、イギリス王立看護協会(Royal College of Nursing)のサイトにて、全てのアーカイブが無料で閲覧できます。

ただ、先程のgoogleブックスの文章、該当記事では51巻の512ページにあるとなっているのですが、アーカイブでキーワードを検索しても、51巻どころか、どの巻にも引っかかりません。念の為、broken openとかstore-roomとか、Skutariとかで検索をかけてみましたが、それらしい文章はおろか、ナイチンゲール本人について書かれているものもほとんどありませんでした。
じゃあgoogleブックスのほうはどうなのかというと

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この有様で何も見えません。一応、特筆すべき点として、左上の方にⅣとみられる文字があることと、唯一見えてる見出しに下線が引いてあることです。イギリス王立看護協会のアーカイブでは(ざっと見たページのなかには)このような線や表記はありませんでした。googleブックスのほうの提供元はシカゴ大学となっており、大学サイトのほうで検索をかけるとたしかに所蔵しているようですが、公開はされていないようで確認できませんでした。
そもそもタイムズ紙の記事が元であるなら、それをそっくりそのまま看護雑誌に乗せているのか?という点でちょっとこの情報は怪しいです(新聞のコラムがあとでまとめられて書籍化することはあると思うので否定はできませんが……)

まとめ

というわけで現時点で、「【訂正その2】ナイチンゲールは薬箱を叩き割ったか、アネクドートの被害者」とこのnoteの内容を合わせると

・日本では1901年「人道之偉人」に斧で薬庫を壊した逸話がすでにあった。(命令を下して~とあるので、ナイチンゲール自身が斧を持ったわけじゃない可能性もある)
・「人道之偉人」の逸話の文章がニューヨーク・イブニング・ポストからの引用だとしたら、アメリカでも1901年には同様の逸話がある。
・「人道之偉人」の逸話の文章がRichard Cunningham McCormickの著作からだとしたら、イギリス本国でも1901年には同様の逸話がある。
・1913年のロンドン・タイムズ紙で、薬庫を壊した逸話がある可能性が高い。
・2003年にはアメリカの出版物でも斧で壊した逸話がある。

という状況です。一番古い資料が日本書籍という、ちょっと不思議な状況は未だそのままですね……。
やはりニューヨーク・ポストとロンドン・タイムズは調べないといけなさそうです。ニューヨークのほうは個人でもアーカイブの購読が安くできるので、もしかしたら漁ってみるかもしれません。タイムズ紙は自分で調べられるのがいつになるか分からないし、本音を言えば誰かに丸投げしたいです。
とりあえず今日はここまで。なにか情報や間違いがありましたらお知らせいただけると嬉しいです。

斧=スラング説

ちなみに、根拠というか証拠が何一つない盲言なんですが、斧というのは婦長の態度を表した比喩表現(スラング)なのではないかという仮説を少し前にツイッターでつぶやいてました。

とはいったものの、ネットロアをめぐる冒険様の記事に触れられてる通り2003年の英語書籍で思いっきり「Nightingale seized an axe and broke open」と書いてるわけで、この説はほぼ確実にナシだと思いますが……

追記1:2020/09/10 拳で破壊の逸話について

「ナイチンゲールは斧ではなく拳で薬箱を破壊した」という説があります。代表的なのはやはりいちばん最初に上げたTogetterでのツイートですが、これは補足というだけで詳細は何も書いていません。調べてみると「原文ではなにで壊したか書いてないので素手の可能性がある(ここでいう原文が何かは示されていない)」「都合よく斧を持ってるとは考えづらいので素手でこじ開けたのではないか」という推測が多く、実際にその逸話を説明してるものは少ないです。
しかし、情報提供をいただきまして、下記の書籍にそういったことが書いてあるようです。とは言っても2017年の本なので、もしかしたらこれもネットの情報から拾っている可能性もありますね。(参考文献を見ないとなんとも言えませんが……)

また、改めて調べたところ、黒澤はゆまさんという方の記事に、拳の逸話が書いてあります。

「包帯と消毒液が足りない。この在庫を使わせなさい」

クリミア戦争の時、医療品の欠乏に苛立ったナイチンゲールは、軍医長官ジョン・ホールにそう詰め寄りました。しかし、当時のイギリス軍の官僚主義と無能さの象徴のようだったホールは薄笑いさえ浮かべながら答えます。

「ミス……軍の決まりを知らないようですな。この箱は委員会の許可なしで開けられない。そして委員会が次開かれるのは3週間後です」

次の瞬間、ナイチンゲールは拳骨で箱の蓋を叩き割りました。そして、唖然としているホールに言い放ちます。


「開いたじゃないの。持って行きますからね」

こちらの話のベースはフォークロアをめぐる冒険様の記事内の、Ladybird社のナイチンゲール伝記の内容とほぼ一致していますが、「拳骨で箱の蓋を叩き割りました」と詳細をはっきり書いてあります。
記事の最後に参考文献があるのですが、どの逸話がどれとは書いてないので、追うのは手間がかかりそうです。少なくとも、「実像のナイチンゲール(リン・マクドナルド著)」「ナイチンゲールの『看護覚え書』 イラスト・図解でよくわかる!(金井一薫 著)」にはそういう話はなかったはずなので、残りのどれかにあると思います。(なかったらどうしよう……)

ちなみに、ジョン・ホール軍医長官はクリミア戦争における病院の主任軍医であり、それにはもちろんスクタリも含まれていますが、本人は基本的にクリミア半島側の病院で勤務していました。ラグラン総司令官の命を受けてスクタリ病棟の視察に行き、そこで何ら問題はないと発言したのは有名な話ですが、これは1854年10月20日までの報告であり、ナイチンゲールがスクタリへ到着する1854年11月より前の話です。

つまり、「ナイチンゲールがホール軍医と在庫について争った」という話は信憑性に欠けます。もちろんナイチンゲールは二度三度とクリミア半島の病院へ向かったわけで、ホール医師もスクタリへ定期的に行った可能性も無いわけではないので、二人に面識が全くなかったとは思えませんが、少なくともLadybird社の文章を見てみると、ホール医師と言い争ってからクリミア半島へ向かっているので時系列が合っていません。

逸話一覧

最後に逸話の種類を完結にまとめてみます
・箱から衣類を取り出すために斧でこじあけた。(2004年_アメリカ)
・命令を下して斧で薬庫の扉を破壊した。(1901年_日本)
・貨物を荷解きするよう周囲の役員に命令した。(1913年_イギリス)
・倉庫を壊すように命令した。(1913年_イギリス)
・ホール医師と言い争い、破壊した。(1959年_イギリス)
・ホール医師と言い争い、拳骨で破壊した。(不明)

追記2:2023/12/19 マルクスによる記事

私の記事を取り上げてくださった別の方の記事ですが、こちらのほうで"「ナイチンゲールが屈強な男性を率いて、現場に物資を開放しない英軍物資倉庫を襲撃し、(斧で叩き壊して)配布した」(上記記事の冒頭より引用)"という逸話の「襲撃」の部分に焦点を当てて調査されています。

詳しくは上記の記事を見ていただけたほうが確実ですが、こちらの方の調査により、1855年4月以前から"ナイチンゲールが襲撃同然の方法で物資倉庫から必要なものを得た"という話がマルクスに伝わり、マルクスが語っているということまでが明らかになっております。

このマルクス準拠の逸話においては「倉庫へ」「強盗に入った・強盗同然の行為を働いた」という内容であり、
私が調査した斧の逸話における「薬箱・扉を」「素手で・斧で破壊した」とは結構異なる詳細ではありますが、逸話としてはじゅうぶん、一方が元ネタで尾ひれがついたのだろうと思えるだけの内容ですね……。

しかし、ここしばらくナイチンゲール系の書籍に手を出してないうちに、かなり情報の進展があったようで、やっぱ歴史・逸話の調査というのは終わりがありませんね……。

「"【訂正その2】ナイチンゲールは薬箱を叩き割ったか、アネクドートの被害者"の記事の調査も含めると、『人道之偉人』の著者とNew York evening postをソースにしてるようなので、ナイチンゲール存命時からイギリスにこのテの逸話はあり、当時の新聞記事のどこかに逸話が語られているのではないか?」
ということを私の記事でも触れており、新聞のソースがそのうち見つかるんじゃないかとは考えていたんですが、まさかそれを語る人物としてカール・マルクスの名前が出てくるとは思いませんでした。
ナイチンゲールという存在の大きさ、また偉大な偉人ゆえの逸話の広がりようを改めて実感しました。

ということで終わり……みたいなまとめの雰囲気になってますが、何か進展があれば当然、引き続きこちらの記事に追記したい所存です。

記事を読んでくれてありがとうございました。 よろしければご支援いただけると励みになります。