見出し画像

『邪神捜査 -警視庁信仰問題管理室-』第3話「別人事件」⑥


 一週間ぶりぐらいに訪れた坪井邸は静まり返っていた。
 もともと坪井の妻加奈しか住んでいない上、大きな庭もある屋敷なので人の気配がしないというのもあるが。
 インターフォンを鳴らすと、坪井加奈が出た。

『はい』
「○×署の久遠です。ご無沙汰しております」
『……何の御用でしょう?』

 やはり警戒されている。
 とはいえ、降三世警視の命令に逆らうこともできないので乗り気ではないが、面会を要請することにした。
 奥さんは少し間をあけてから遠隔操作で扉を開けてくれた。

「行きましょう」
「そうだね」

 案内されたのは、なんと洋二郎と美鳥が殺害された居間だった。
 すでに完全に片づけられて事件の痕跡すら残ってはいないが、無言の拒絶を受けている気がする。
 僕たちにコーヒーも出そうとせず、坪井加奈はソファーの対面に座った。
 冷たい表情をしている。非人間的なぐらいに。

「……いったい何の御用でしょうか。わたしの主人は人殺しの罪で起訴されたそうですが、それについてのお話ですか」
「えっと、実は……」

 何て説明しようかと口を開きかけたとき、やはりというかじっとしていられいな変人が横から口を挟んできた。
 さっきまでは黙っていてくれたのが不思議なくらいだ。
 どうも坪井加奈をじつと観察していたようだけど。

「君が、坪井巳一郎の細君か?」
「……そうですが。坪井加奈と申します。あなたは随分と不躾な方ですわね」
「そうか、それはすまない。私は降三世明という、警視庁の警視だ。桜田門では信仰問題管理室の室長をしている。この部署に聞き覚えはないかい?」
「―――? いいえ」
「残念だ。もう少し世間に認知されていてもいいと思っていたのだが」

 いやあ、警視庁の恥部というか、厄介者ですからできたら周知されない方がいいと思いますよ、あんたのところは。
 ただ、坪井加奈に対してこの口の利き方はちょっと意外だった。
 もう少し礼儀正しい人だったはずだから。

「さて、単刀直入に言おうか。……とっととその肉体から出ていき、本当の奥さんの精神をもどしたまえ。こちらとしては、そちらの調査作業をいつまでも野放しにするつもりはないのだ。言っていることがわからないとは言わせないよ」

 警視の言っていることは僕には理解できなかった。
 果たして、坪井加奈も似たような顔を……していなかった。
 これまで通りに無表情のままだ。
 それでも声だけは動揺しているように震えていた。

「あの……刑事さんが何を言っているのか……?」
「そうですよ、警視。あなたが何をおっしゃっているのか、僕にもわかりません。説明してください」
「わからないはずがないだろう。君らは〈偉大なる種族〉などという御大層な呼び名をつけられている知的種族だろうに。もう、これ以上、私の眼は誤魔化せないし、そちらの真意もおおよそのところは把握している。だから、最悪の事態に陥る前に私の提案に従った方がましだと思うがね。どうだい?」

 横から眼を見てみた。
 間違いなく冗談を言っているものではない。
 真剣に物事に挑んでいるときの、降三世警視の鋭い眼差しだった。
 つまりは彼の言っていることは事実なのだろう。
 多少のけれん・・・ひっかけ・・・・はあるだろうが、この眼の時の彼は本当に信用できる。
 僕は経験則上、よく知っているのだ。

「偉大なる種族って、さっき話していたものですか」
「ああ、イースという惑星からこの地球に飛来した精神体種族のことさ。はたして、時系列にそって話すのならば、現在から遥か未来からこいつらはこの時代に干渉してきているはずだ。そして、この女はその未来にいるはずの種族のものであり、精神だけ・・・・でここにやってきているのだ」

 僕は坪井の奥さんを見た。
 どうみても外見はただの人間だ。
 ちょっとぼうっとしているところもあると思うが、僕には普通の人間にしか見えない。
 しかし、違うというのか。
 降三世警視の言っていることが事実ならば、この人は人間ではない・・・・・・
 さっきやっていた警視の恋ダンスもどきはその入れ替わりを揶揄していたということなのか?

「―――わたしは……」
「いや、結構。しらばっくれるというのならね。だから、これから私と久遠君との会話を聞いていてくれればいい。それに間違っているところがあったらどんどん指摘してくれ。少なくとも、私は君の下手な誤魔化しや茶番に付き合う気はない。どんなはぐらかし方をするかを聞いて見たいところだが、おそらく時間の無駄だろう。さて、どうだい、久遠君。私に質問はあるかな?」
「……最初から、といいたいところですけれど」

 おかしいとは思っていたのだ。
 降三世警視は警察官の身分は有しているが、警察官ではない。
 むしろ、学者やその類だ。
 それが僕の事件に意見を述べるだけならばともかく、こんなに協力的になってくれるはずがなかった。
 以前の事件でもわかっていたはずなのに。
 しかし、いつも通りの狂った直観力と推理力を発揮して、自分の得意分野に属するものだと嗅ぎ取ってついてきただけなのだ。
 また、また……
 この事件も彼の領分の事件なのか。
 ―――なんとかいう神話についての……

「さきほど、警視は坪井がカプグラ症候群ではないかとおっしゃっていましたが、それは事実なのですか?」
「いや、私はそんなことは言っていないだろ」
「え、でもさっきは……」
「私は、『長谷川検事が坪井をカプグラ症候群のフリをしているのだと疑っている』と言ったのだ。そして、間違いなく断言できる。坪井巳一郎はカプグラ症候群ではない。それに近しい認知バイアスの麻痺にかかっているおそれはあるが、断じてカプグラ症候群ではない」
「それじゃあ、どうして」
「長谷川検事の推理はさっき言った通りだ。『坪井巳一郎がカプグラ症候群だったとしても、親しい妻については別人には見えていないのだから、それは嘘だろう』ということだね。でも、彼女は浅はかな知識で考えたに過ぎない。なぜなら―――」

「カプグラ症候群は、よく知っている人物が入れ替わったように思えるだけであって、別人に見える訳ではないというものだからだ。坪井の眼には弟妹が別人に見えていた。だったら、もともと坪井はカプグラ症候群ではないということだ。もし心的に問題があったとするならばそれ以外を探すのがベストだろう。フレゴリ症候群とか、その手の疾患は山のようにあるからね。長谷川検事は最初から坪井が気狂いのふりをしていると決めつけてしまっていたから、精神鑑定をなおざりにしてしまったり調査を怠ってしまったのだ。だが、実際に鑑定をしさえすれば、五人の鑑定医がいたとしてうち二人ほどは精神異常があると認めたことだろう」
「どうして、言い切れるんですか?」
「坪井が弟妹を別人だと思いこんで、最終的に仕向けたのは、この女だからだ」
「まさか……」

 僕は坪井の妻を見た。
 表情は氷のようだ。

「そもそもイスの偉大なる種族は、人の精神に干渉できる凶悪な力を持っている。だから、最も親しい弟妹を別人と誤解させ、殺害させるなんてことはそんなに難しいものではない。もともともっていた殺意を増幅することもね」
「なんのために、そんなことをするんですか?」
「金のためさ」

 へっ、金?
 人の精神を乗っ取るような怪物が金のため?
 理解できない。

「これを見たまえ」

 警視が自分のタブレットに表示したデータを見せる。
 人や法人の名前のリストがあった。
 横に万単位の数字がある。

「なんですか、これ」
「この女が定期的に金融機関から振り込んでいる相手と金額さ。さっき、私だけが使える特殊なルートで調べてもらった。これを見る限り、この女は100万を越えない額を定期的に同じ連中に振り込んでいる。そのことを坪井に知られたくなかったんだろう」

 びくりと妻が動いた。
 どうやら核心だったらしい。

「……図星だったようだね。残念なことに、こちらには人手が足りないからこのリストの連中すべてを今すぐに取り押さえることはできない。だが、我々からすると、市井の人間に紛れ込んだ異物―――君たちの種族のグループを確保・把握することができるという、またとない好機なんだ」
「関係……ない」
「そのはずはないな。この振込先、確実に坪井にも君の前歴にもなんの関係もないものたちのはずだ。繋がっていることさえ疑問を感じざる得ないほどにね。学生もいれば、非正規労働者もいる、女子プロゴルファーというのもいる。果たして、彼らに君が定期的に大金を供給する必要性なんて誰が見てもないだろう」
「……そいつらはなにものなんですか?」
「この女と同じ、イスの偉大なる種族が入れ替わった者たちさ。ただし、こいつらは人間とは違う生き物だから、まともな生活費を稼ぎだすことが期待できないから、資産家の妻という裕福な地位にあったこの女が資金源となって援助していたということだ。それがなければ餓死もありうるだろうからね」

 まさか、この表には口座が二十個はあるぞ。
 そんなにいるというのか、化け物と精神をすり替えられた人が。

「イスの偉大なる種族はね、とても知的な連中で、様々な時代や場所の知識を得るため、そこに住む知的生命体の中で最もふさわしい相手と一時的な精神交換をおこなうのさ。精神交換を強制された相手は大いなる種族の体に閉じ込められ、研究対象として情報・知識の提供を求められるという。かつてから、彼らによる調査が進められているという報告は各時代、各地からされている。ちなみに我が国において、ここまで大規模な調査が行われているということは私が知る限りでも初めてだね。これはいい研究資料になる」

 人の精神を無理矢理にのっとって人間のことを調べる化け物……
 そんなものが遥か未来に巣食っているというのか!?
 過去にあたる僕たちの時代を調べようとしているのか!?

「洋二郎と美鳥の二人は、もともと兄貴の結婚相手のことを疑っていたのだろう。かなりの歳の差結婚だからね。遺産目当てじゃないかと。そこで両親の遺産の行方もあって秘密裏に調べていたら、義理の姉となる加奈が定期的に少なくない額をこうやって、無意味にばら撒いていることに気が付いた。まさか、人間と精神を入れ替えた怪物たちの活動資金なんて夢にも思わない。洋二郎と美鳥は闇社会のマネロンとかそのあたりではないかと推測を巡らせたんだ。……だから、兄の巳一郎と別れさせようとした。だが、この坪井加奈(仮)としては坪井と別れさせられたら、仲間たちの活動資金がなくなってしまう。それは避けたい。そこで、夫の頭に細工をした」
「カプグラ症候群……に」
「いや、それではない。単に、実の弟妹が別人に見え、言っていることがおかしく聞こえる程度のものだろう。他人の精神を乗っ取るイスの偉大なる種族にとっては朝飯前の作業だったろうな。そうして、巳一郎は弟妹を別人だと思い、殺してしまった。その際に、殺意の面でも加奈こいつが何かをした可能性も捨てきれないがね」

 警視の説明の間中、女の無表情は変わらない。

「君が自供せずとも、私はすぐに動かせる人間を使ってこのリストの洗い出しをする。君らがたとえうまく逃れたとしても、イスの偉大なる種族が人間を探ろうとするケースのデータが集められることになって私たちとしては御の字だしね。さあ、どうするね。さっさとそこから出て、仲間たちに危機が迫っていることを告げるかい? それとも……」

 すると、坪井の妻はようやく顔を上げた。

「信仰問題管理室の降三世警視と言ったわね」
「そうだ。それが私の名だ」
「わたしの名前を聞きたいの?」
「ぜひとも」

 女は唇をねじ曲がらせ、

「∇◎◇EEEEESXAWQFT―――よ」

 と言った。
 僕は思わず耳を塞いで、屈みこんで嘔吐しそうになった。
 寿命を奪われたような気分だった。
 隣に座っている警視は逆に眼を爛々と輝かせて、耳孔から血が流れているのさえ気にはしていないようだ。
 そして、僕は目の前の女が間違いなく人の心を乗っ取った怪物だと理解した。

「人の耳では聞き取れない真の名前か。……さすがは人外の種族。発音も素晴らしい」
「女の正体をまじまじと見るものではないわ」
「君らに雌雄の区別があるかも知りたいところだ」

 その言葉には乗らず、

「わかったわ。この女の肉体からは出ていきます。この時代の司直に付き纏われたら、おちおち研究もできませんからね。仲間たちにも、この時代からは退避するように勧めます。それでよろしい?」
「ああ、そうだね。さすがに君たちを拘束する術はないし」
「それだけの知識を持っているというのならば、我々に対抗できる古き印エルダーサインぐらいあるのでしょう。それを使われて虜囚の憂き目にはあいたくはないわ」
「まあ、あることはあるよ。でも、イスの偉大なる種族なんかに使うのはもったいない」
「やっぱりとことんコケにするわね。……別にいいわ。帰らせてもらいます。あと、わたしの主人のことをよろしく。あの人、わたしが入れ替わっても普通に愛してくれたのよ。まったく人間というものはホントに度し難いお人好しよ」

 初めて、この女の人間に近いところを見た気がする。
 そして、次の瞬間には坪井加奈はがくんとソファーに崩れ落ちて、そのまま意識を失ったようだった。

「とりあえず、救急車を呼ぼう。イスの偉大なる種族と精神交換をしていた人間がどういう状態になるのかまだわかっていないし、目が覚めたら精確な聞き取り調査もしたいしね。あと、この家の探索もしたいな。あいつらがどういう生活をしていたかのサンプルとなるだろう」

 どうなってもこの人の姿勢はブレないようだ。
 僕としては人間じゃないものと対面して話をしていたというだけでだいぶ疲労困憊なのだけれど。

「じゃあ、坪井の件は……」
「精神鑑定をすれば、やはり精神病理の一種だったとして無罪か免罪になるだろうね。さっきのイスの偉大なる種族の様子からすれば、利用した道具であったとしても完全な使い捨てにするつもりはなかったようだから、そのぐらいの細工はしておくだろう」
「てことは、アリ慧ちゃんは……」
「検察側は裁判で負けるだろう。相手は刑法39条にひっかかるからね」
「僕はアリ慧ちゃ……長谷川検事に叱られますね」
「なに、君は現存する高次元の生物との会話を直に目撃できたのだ。それはたいした経験だぞ。それに比べれば性格のきついドS気味の検事に叱られるなどたいした不幸ではあるまいさ!」

 慰めているつもりではないよね。
 そんな心持ちをした人間ではないし。

「それに、今回の案件のおかげで、私も長年の懸念が晴れたよ!」
「長年の懸念ですか?」
「ああ、この女を救急車に預けたら、君もぜひ一緒に我が管理室に戻るとしよう! ああ、ようやっとだ!」

 何を言っているのか欠片もわからないが、逃げることはできそうもなかった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?