多孔的な多幸感ーー千田泰広「Brocken 5」を観て

千田泰広「Brocken 5」というインスタレーションを観た。屋外に置かれた立方体のボックスの中に入って、五面の壁および天井に開いた小さな穴から日の光が何本もの細い糸のように差し込む、というコンセプトだったが、その日は曇りだったため、糸は数10本程度であったがそれでも幻想的であった。

表にあるボードにも書いてあったが、ボックスの中にはただポカンとした空間があるのみで、それは「無」と言える。そして壁に開いた穴もまた存在が抜かれたものとして「無」と言える。

するど、この空間は、「無」空間に「無」平面から差し込む光によって、「有」が際立っていることになる。-1×-1=+1となるように、負同士を掛け合わせることによってシンプルな正の存在を認識するような環境であった。

それを美しく思った。実際に数千本の光の糸は見えなかったが、この構造は見えた。その構造の中に身一つを置いた。研ぎ澄まされた洗練であった。ただ箱と穴と太陽だけがあった。発想としては小学生でも思い浮かぶようなシンプルさを、大人の感性と技術でやっている。多分、こういうのは好きだ。他の分野でいえば水墨画のようなシンプルな絵の中の凝縮された技術を感じた。

マイナス同士の掛け算というなら、天井に1つ大きな穴が開いていて、そこに太い日の柱ができても面白いのかもしれない。しかし、それはシンプルにしすぎになってしまうように思う。

そうか、この「Brocken 5」という作品に、「大人によるシンプルさ」を感じたのは、数多の穴から刺す数千本の光の糸という複雑さを内包していたからかもしれない。

現実は複雑だ。自然も複雑だ。それらをシンプルにできれば考えるのは楽だろう。しかし、そのようなことはない。現実はシンプルであり、かつ複雑なのだ。数千本の糸、およびそれを生み出す穴のランダムな羅列な、世界の複雑さを表現しているのではないか。

「Brocken 5」、この箱は私だ。数々の人生での経験において、楽しかったことも辛かったことも、達成も挫折も、加害も被害も、愛も別れも経由することにより、さまざまな傷跡を追っている。脳や心に、小さな孔が無数に開いている。子供にはわずかな数の孔しかなく、だからこそ無邪気だ。それは大人には見ることのできない世界のシンプルな形だ。だが、大人になるほどに多くの孔が開き、そこに光が差し込んでくるのである。

「Brocken 5」、ここは私の心だ。身体だ。傷だらけになった私に差し込む光は、空模様によって変わる。太陽という莫大なエネルギー、地球の生命を作り出すことになった母なる陽は、大気および雲などによって、この場所に差し込む角度(時間、季節)によって、一度も同じでない様相を作り出す。

外の世界(それは一度たりとも同じ瞬間を持たない)が刺激を加え、一瞬一瞬の心、身体を生み出す。

「Brocken 5」は静謐であると同時にダイナミックな踊りのようだ。

私はこの無数の孔=穴を呪わずに祝いたい。私にしかないそれらを愛おしく思う。

多孔的な多幸感がここにはある。

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