都島工業学校の生徒作品③-地域のお宝さがし-35
所在地:〒534-0015 大阪市都島区善源寺町1-5-64
■卒業設計■
建築の設計において、平面の計画はその第一歩といえます。具体的な平面の創案に際し、設計する建築物の機能、動線、周辺の自然環境や社会環境などを考慮し、多岐にわたる要件を分析・総合しながら平面が構想されます。その有効な手法であるA.クラインの動線理論が、棚橋諒の「小住宅平面研究の新方法」によって、昭和4年に紹介されていますので(注1)、当時の生徒達は、当然この動線計画の手法を知っていたと思われます。
立面の計画は、現在でも学生が最も苦心するところで、内部の空間を考えながら断面との調整を行う作業は、学生の設計課題における最大のポイントといえます。『図集』からは、課題に取り組む生徒達が、様々な作品を研究している様子が窺われます。作品を紹介しながら、類似点などを見てみましょう。
注1)木村徳国「昭和初期における中廊下形・居間中心形住宅様式の展開と融合」(『北海道大学工学部研究報告』20号、1958年)。
●民衆娯楽場(作者多田敦士・安藤善治郎、図集9~11、表1参照)
1階平面図(図1)を見ると、正面の扇形の庇が突き出た中央部入口の右端に映画館入口の反対側に劇場、左側奥に「オペラスクール玄関」があり、「練習場」から劇場に連絡されています。図2との比較から、全面に示された柱位置から、1階はピロティで、劇場以外は複数の棟で構成されていることが分かります。
図1
図2
規模は、規模は5~6階建て、外観は、陸屋根・横長の連続窓・ピロティなどで形成され、各棟の配置はコルビュジェの「セントロソイウス」(図3、1929年=昭和4年、注2)に類似しています。この建物は、中央共同組合会館としてモスクワに建築されたようです。ちなみに、図3を反転させてみると、図面表現も含めて、類似性がより明白になり、コルビュジェへの深い傾倒が窺われます。よくここまで、読み込んだものと感心します。また左側の立面構成は、前川國男の東京帝室博物館設計競技応募案(図4、昭和6年、注3)を想起させます。
図3
図4
注2)藤岡通夫他『建築史』(市ヶ谷出版、1998年)
3)井上章一『アートキッチュ・ジャパネスク』(青土社、1987年)
●水泳競技場(作者谷山清雄、図集6~7)・工藝技術員養成所(作者澤田正作、同28~29)
この二作品に採用された、柱・壁面で区画された大きな窓(図5・6)の意匠はインターナショナル・スタイルで、山田守の「東京逓信病院」(図7、昭和12年、注4)を想起させます。また図5は、背景を全面に着色し、樹形を切り抜くような卓越した表現がなされています。
図5
図6
図7
注4)藤岡通夫他『建築史』(市ヶ谷出版、1998年)
●教会堂(作者保田稔男、図集14~16、表1参照)
1階平面図(図8)を見ると、北側の東西方向に教会堂、西端から南・西へと折れ曲がる部分に、「日曜学校教室」「教室」「遊戯室」「保姆室」などが設けられていることから本作品は教会堂とそれに付属する教育部門(幼稚園)と思われます。
この矩形の平面を連続して構成する形態は、「バウハウス」(図9、1925~26年)を想起させます。
図8
図9
■卒業設計作品を見ながら、類似した元の作品を掲げていますが、勿論、筆者の思い違いや誤りもあると思います。また、似ているから悪いと非難しているのではありません。『図集』の「作品選定に当たって」で、長尾勝馬がいうように、「何かで得たヒントやら、感覚やらによって」作成したのでしょうが、参考にした作品をよく研究し、自分のものにしていると感心してしまいます。
なるべく多くの作品を紹介したいと思っています。次回は、卒業設計と平常課題作品を紹介します。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?