住吉大社-地域のお宝さがし-54

所在地 〒558-0045 大阪市住吉区住吉2-9-89

住吉神宮寺をみる前に、簡単に住吉大社を見ておきましょう。

■住吉大社■
 ●概要●
 住吉大社は、摂津国の「一之宮」であり、全国に数多設けられている住吉神社の総本社でもあります。また、海上交通の守り神としても知られ、江戸時代には、廻船問屋から600基以上の石灯籠が奉納されたと言われています。海が近く、3月3日からはじまる住吉浦での「潮干狩」は、大坂の人々には楽しみな行事の一つです。5月には「御田植神事」が催され、6月には、朔日の「天王寺愛染祭り」に続き、多くの神社や蔵屋敷で祭りが催され、高まる祭り気分は25日の「天満天神祭り」で最高潮に達し、月末の「住吉祭り」で締めくくられます(注1)。
 境内には、本殿域(第一本宮から第四本宮)の西面に表参道、南面に東・西楽所や石舞台など、東面に南・北高蔵、摂・末社など、北面に旧神宮寺跡(現在の神苑・文華館付近)、摂社大海神社などが配されています(図1)。ことに、表参道の反橋(図2)は、住吉大社の代表的な景観といえます。

図1

図1 住吉大社配置図

図2

図2 反橋

 本宮社殿と神宮寺は、慶長11年(1606)、豊臣秀頼の命により造営されましたが、大坂夏の陣(慶長20年)で社殿および伽藍が焼亡し、元和4年(1618)、徳川秀忠の命により再興されます(注2)。以降、承応4年(=1655、明暦元年)・宝永6年(1709、注3)・宝暦8年(1758)に造営されますが、享和2年(1802)に焼失し、文化7年(1810)に造営され(注4)、明治維新に至ります。
 明治維新後、社号を「住吉神社」と定めますが、昭和21年(1946)、「住吉大社」に改称されました(注5)。

注1)『江戸時代図誌3大坂』(p84~85、筑摩書房、1976年)
注2)小野木重勝他「元和造営の住吉神宮寺西塔について」(『日本建築学会論文報告集』第63号、1959年10号)。一方、『住吉大社歴史的建造物調査報告書(本文編)』(p11、2009年)によると、社殿の焼亡については、本殿4棟は焼亡しなかったので、慶長の造営による箇所を修復したのであろうかと指摘されている。
注3)『摂津名所図会大成』(巻7、p26)では、「住吉大神社・・宝永五年改造・・」とあるが、『摂陽奇観』(24巻上p32、『浪速叢書』3所収)には、「宝永六己丑 三月住吉社御修復」とある。また、前掲2) 『住吉大社歴史的建造物調査報告書(本文編)』(p17)も宝永6年としている。
注4)前掲3)『摂津名所図会大成』(巻7、p26)に、「文化七年再営旧観に復す」とある。
注5)ウィキペディア「住吉大社」

●施設●
 周辺の施設を少し見ておきましょう。

高蔵(図3、2棟、重要文化財):本殿域の東部に位置し、慶長12年に建立されました。2棟ともに高床形式で、前面中央部に階段が設けられ、壁面は、板を組み合わせて積み上げた「板校倉造り」、屋根は本瓦葺きで、「寄棟造り」です。

図3

図3高蔵

図4

図4御文庫

御文庫(図4、登録文化財):本殿域の北東部に位置し、享保8年(1723)に、書籍商の発願により建立されました。壁面は、下部は、平瓦を斜め45度に張り付け、目地に漆喰を盛り上げた「なまこ壁」、上部は漆喰塗りの「大壁造り」、屋根は本瓦葺きで、「寄棟造り」です。前面中央部に両開き戸を設け、「唐破風」が備えられています。江戸時代末期に改修され、昭和前期に現在地に移築されたそうです(注5)。

招魂社(図5、重要文化財):本殿域の東北部に位置し、元和5年(1619)に建立されました。基壇上に建ち、屋根は本瓦葺きで、「入母屋造り」です。軒は、「地垂木」(じだるき)と「飛檐垂木」(ひえんだるき)で構成される「二軒」(ふたのき)で、前面に「向拝」(ごはい)が設けられています。「水引虹梁」(みずひきこうりょう)の木鼻は、「莫鼻」(ばくばな)(注6)、彫物による「手挟み」(たばさみ)が設けられています(図6)。

図5

図5 招魂社外観

図6

図6 招魂社向拝

 壁面は、正面の柱間は三間、建具は中央部に両開き戸、両端は「蔀戸」(しとみど)とし、最下部に「地長押」、建具上部に「内法長押」、柱頂部に「頭貫」(かしらぬき)が設けられ、木鼻は「拳鼻」(こぶしばな)、組物は「出三斗」(でみつど)、中備(なかぞなえ)はありません。(図7)側面の柱間は三間、中央部を両開き戸とし、両端は壁面、最下部に「地長押」、「腰長押」・「内法長押」、柱頂部に「頭貫」が設けられ、木鼻は「拳鼻」、中備は中央部が「蟇股」(かえるまた)、両端に「蓑束」(みのづか)が備えられ、側面の最奥に「脇障子」が設けられています(図8)。

図7

図7 招魂社正面軒隅

図8

図8 招魂社側面

注6)象をかたどった「象鼻」の可能性もあるが、丸い目の形から「莫鼻」と判断した。

■本宮社殿■
 現在の本宮社殿(図9~10、4棟、国宝)は、文化7年(1810)に造営されました。本宮の形式は、「住吉造り」と称され、屋根の反りがない、回り縁・高欄を付けないなど、現存する神社では最も古い形式を伝えていると考えられています。木部の大陸風の丹の着色、懸魚などは寺院建築の影響でしょう。

図9第一本宮

図9 第一本宮本殿

図10手前第三、奥第二

図10 第二本宮(奥)・第三本宮(手前)本殿

■閑話休題■
 図1に、神宮寺の大まかな位置を記しておきましたが、本殿域のすぐ横に寺院があったことなど、現在では想像もつきません。

次回は、住吉大社神宮寺から、江戸時代の神仏習合寺社の景観をみます。

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