毒両親❶
わたしは毒両親育ちです。
横柄な父親とヒステリックな母親の元に
ひとり娘として誕生しました。
その時点で人生詰んでました。
毒父
エリート商社の経理や監査の仕事で平日勤務で夜9時前後に帰って来ていた。テレビとタバコとパチンコ大好き人間で、帰って来たら、「ただいま」くらいは言っていたが、夜ご飯は相当量あるのに毎回3分以内に食べ終わり、そのまま室内で喫煙しながらずっとテレビを見始める。そしてテレビ見ながらお菓子やピーナッツを食べ続ける。もちろん肥満が凄かった。ビデオに録画した時代劇やお気に入りのドラマを繰り返し繰り返し見続ける。会話は視聴してるテレビに対してしか行わない。テレビのリモコンで時折、たぬき腹をペチペチペチペチ叩きながら訳のわからないことしか言っていなかった。
休みの日に母に言われて、わたしを公園に連れて行ってくれても、全く笑顔もなく会話もなくめんどくさそうに外出する毒父。わたしがブランコに乗ったら、頼んでもないのに、すんごいバカ力でわたしを背後から押して、そのままわたしは空中を飛びブランコから落下、運悪く前日の雨で出来た水たまりに頭から着地した事が何回もあった。もちろんタンコブができて、号泣しながら家に戻る。母によると、わたしの頭を何回洗っても洗ってもなかなか砂利が取れなかったのだそうだ。
会話がはじまったと思ったら、わたしを気づかったりしているのではなく、人の事をバカにしたような目線になり、鼻で笑って終了するみたいな感じが多かった。父親と話すと嫌だったり怖かったりした記憶しかないのだ。
小学校からは関西に住んでいたのだか、わたしがどうしても関西弁になっているのに対して「お父さんは、関西弁が嫌いだから、関西弁なんて話すな!」といきなり大きな声で怒りながら言うのだ。低学年の頃は毎回そうやって怒られた記憶しかない。毎回、自分が3分でご飯を食べ終えると、わたしは毎回食事に2時間かかっていたのだが、それでも構わず、テレビを付けてタバコを吸い始めるのだ。ランドセルや上着をリビングに置いていたので、ランドセルや上着にタバコの匂いが付いてしまっていた。直接毒父に「リビングでタバコ吸わないでよ!ランドセルにタバコの臭いが付いたやんか!」すると毒父は、まるでそう言ったわたしのほうが悪いとばかりに睨みながら不機嫌そうにしていたのだ。
毒父は有名大学出身なので、宿題が分からない時に聞いたのだか、その説明が難しくてわたしには全く理解出来なかった。それが分からないから分からんのよ。しまいには毒父に「そんな事も分からないのか!」と言われたのだ。子どもながらに二度と聞いてはいけない相手なんだとは理解できた。頭が良い人はそれが分からない人の「分からない」と言う事自体が分からないのだそうだ。教える事が出来る人は分からなかったタイプの人でそう言う人に聞くべきらしい。
わたしが中学生になるといきなり「お父さんの歯ブラシとパンツを共用にしなさい」と朝顔を合わす度に言われるようになる。えっと、幼稚園の先生が「人の歯ブラシは汚いので、使わないようにしましょう」と言っていたよなぁ、無理に決まってるだろう。わたしはと言うと、その頃には痩せの大食いで、ガリガリ体型だったので、「お前の3Lのパンツなんかガバガバで身につけれるわけないだろ、バーカ!」と心の中で思い、無視し続けた。毎朝毎晩顔を合わすとそればかり言うのだ。数ヶ月後、いきなり「お前はお父さんの言う事を聞かないから!!」と一方的に怒鳴られ続けたのだ。と言うか、はたしてそんな強要を聞ける人がどこにいると言うのだろう。
歯ブラシとパンツ共用と言い始めてから、毒父のことが特に大嫌いになった。気持ち悪くて仕方がなかった。
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