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うつ病の治療における「認知」を自分なりに考えてみました

認知という言葉はとても抽象的ですが、うつ病を治療するうえで最重要キーワードです。

「認知」とは、辞書的には単に「事象について知ること、ないし知識を持つこと(出典:広辞苑)」でありますが、もう少し深くこの認知について考察してみたいと思います。

まず、私の中で「認知」とは、自身の生い立ちや環境によって形成される「人格」で決まる、事象に対する信念であると考えています。

そして、この認知において、他人と食い違いが起きたり、自身の中での認知のゆがみによって自他に対して攻撃的になったりして、思考の悪循環へと陥ってしまうのが私たち人間です。しかも、私たちはそういったスパイラルに簡単に吸い込まれてしまうことを知っているにもかかわらず、大人になってもなかなかこの(主観的な)「認知」にひどく縛られるものです。

しかし、私たちは起きている間に何かしら見たり聞いたり味わったりすることで常に認知をしています。しかし、その何気ない生活の一コマを切り取っても十人十色生き方の違いから別々の認知をします。ここで注意すべきことは、これらの「認知」というのが客観的にみて妥当かどうかということです。

当たり前ですが、信念は誰しもが持っている基本的価値観です。ところが、それがあまりにも強く出てしまうと攻撃的な態度をとってしまいがちだということをあらかじめ自分に戒めておく必要があります。

うつ病治療で必ず受けることになる認知行動療法は、「新たな自分に変わりましょう!」といった自己啓発セミナー的なものではなく、あくまでものの見方を柔軟にし、多面的に一つの事象を見る訓練です。

具体的にどのようなことをするのか一例を紹介すると、下記リンクのような見つめなおし日記と呼ばれる反証(今の自分の認知が本当に正しいのか疑い、真実でないことを立証すること)を目的とした訓練を行い、それを自助グループなどで共有することで考え方の幅を広げるといった内容です。

見つめなおし日記(簡易版みつめなおし日記.pdfなどを参考)

結果として、今まで同じ事象に対して例えば今の認知だと「100」の怒りを感じていたのが、反証を行い、事象の見方を変えることで「50」に緩和されるといった効果をもたらしてくれます(あくまで主観的な数値ですが、感情的に怒りがおさまったという事実が最も重要です)。

ただし、認知行動療法は嫌な気分を完全に消し去ることを目的としていないことに注意が必要です。そうした認知は逆に責任転嫁などの逆の意味で「誤った」認知を行っている可能性が高いからです。要するに「折り合いをつけられる」レベルに下げることが最も適当だと私は思います。

先述したように、認知というのは自分の生い立ちによって十人十色異なりますから、まずはその事実を客観的にみる必要があります。そして、それを踏まえたうえで、自分が勝手に思い浮かぶ思考(自動思考)をキャッチして科学的に論理立てて分析することが認知行動療法の要でしょう。

うつ病でない人も嫌なことがあったときに見つめなおし日記やここでは紹介しなかった7コラム法というものを試してみると心が楽になるかもしれませんね。

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