かつて相棒だった君へ
深夜のファミレスでひとり、仕事で疲れ果ててミックスグリルを食べていた時、一通のSMSがとどいた。
たったひとこと。スマートフォンの連絡帳アプリに登録された人物からのものではないようで、名前は非表示。迷惑メールの類かもしれない。そう思い、特にアクションを起こさず、食べ続けていると、ふたたびメール受信通知があった。
…こいつ誰なんだ?
見当がつかない。なぜなら日常生活で使っているメインの連絡手段は主にメッセージアプリで、SMSはほぼ使っていないからだ。
SMSは電話番号あてに送信される短いメールだ。オレの電話番号を知っているひとからの連絡ということになるが…今となってはこの電話番号を知ってるひとは…仕事の関係者か、親族くらいじゃないかと思う。けれど、その場合こんな文面にはならないだろう。では、スパムか?この番号をたまたまランダム抽出してSMSを送ることもできないわけじゃないと思うし…
嫌な気配しかしない。
会社で資料を作りすぎてもう文字も見る気も打つ気も起きないし。無視を決め込んでみる。
数十分後、またSMSが来た。
そして、また1通…
…馴れ馴れしいな。誰なんだ、ほんと。
着信拒否にしようかな…そう思ったとき、また一通。
相棒…
オレはハッとした。
これまでの人生の中で、相棒と言えるやつは一人しかいない。
「このメール、”マツシマ”からだ」
◇ ◇ ◇
今となってはしがないサラリーマンに成りさがったオレだが、昔はそれなりに知名度のある漫才師だった。
小さいころからお笑い番組が大好きで、お笑いと名の付くものであれば大抵は観ていたし、テレビやYouTubeでありとあらゆる漫才コンビをチェックしていた。劇場にひいきのコンビを見に行くこともあった。たまに親戚の前で漫談のまねごとをしたり、小学校のお楽しみ会で同級生と即席コンビを組み漫才っぽいことをしたことも…オレは子供のころから重度の「お笑い中毒」だった。
やがて、オレの興味は笑いの「構造」に移り、笑いを「分析」するようになった。どうやったらお客さんの心をつかめるのか、テンポ・間・笑い待ち、ツッコミの強弱、ネタの選び方…などなど、大学ノートにびっしりと研究結果を書き綴り、10代の間で書いた分析ノートは100冊にも及んだ。
大学生になったころ、自分も舞台に立ちたいと思うようになった。分析したお笑い理論を試してみたくなったのだ。
漫才のホンを書き、相棒を探した。だが、そうそううまく自分の理念に迎合できる相棒が見つかるわけはない。大学に進学し、お笑い研究会にも顔を出していたが、そこにいるヤツは大抵「ビートたけしみたいになりたい」「ダウンタウンみたいになりたい」などと「〇〇になりたい」系だった。自分の型を持とうとせず、誰かの真似ばかり。真似をすれば面白くなると思ってる浅はかなやつらだらけ…そもそも、百歩譲って”憧れの人と一緒に仕事したい”とかならわかるが”憧れの人みたいになりたい”なんて…最初からお笑い芸人の目標として破綻しているじゃないか。
オレの「お笑い中毒」についてこられる奴を相方にしたい…ならば、いっそ、自分でイベントを主催して面白い奴らに集まってもらったらいいんじゃないか?と考えた。そこでオーディションをし、自分の相棒を探したり、それが無理なら自分が書いたネタをやってくれるコンビを探すのもありだろう。
今思えば若いからできたことでありかなり大胆な発想だったなと思う。フリーで学生、名も知れてないお笑い芸人の自主興行。あたりまえに客が呼べない。だからちょっとだけ名前のある漫才コンビをスペシャルゲストに呼んだりもして、まずはとりあえずイベントの知名度を上げることに専念した。最初の2~3回はかなり赤字だった。ちょっと危ないところで借金もした。でも、同時期にわりかし稼げるアルバイトを見つけ、そちらが大当たりしたおかげで、5回目からは借金せずに興行が打てるようになり、うわさを聴きつけた骨のあるお笑いのやつらが集まるようになって、イベントの質も上がった。7回目には自然と客が集まって、イベントは完全に黒字となった。
順調に客足を増やしていたイベント9回目、オレに一人の男が声をかけてきた。
「あの…イベント主催のナカジマさんですか?」
「はい。そうですが」
目の前にいたのは、金色の頭髪をツンツンさせた、一見パンクロッカーみたいな身なりの男だった。オレはちょっとだけ警戒しながら話を聴く。
「あの、オレ、このお笑いライブに出たくて…オーディションあれば参加したいんですが…そういうのありますか?」
見た目より丁寧な話し方するな…と思って顔をじっと見る。どこかで見た顔だ…よそのお笑いイベントで見たことがある気もするが…はて…
「今度のオーディションは来月頭、2日の12時からです。会場はここ。事前申し込みとかいらないから、当日もし来られるならぜひドーゾ!」
「わかりました!ありがとうございます!絶対行きます」
「君、事務所所属してる芸人さん?」
「いえ、フリーです!」
「そう、普段はよそのイベント出てたりするの?」
「はい!アマチュアのお笑いイベントに出たりしてます!あと、知り合いのスナックで定期的に漫談みたいなのやってて…そうだ…これ…」
見た目がパンクなその男は、おもむろに手に持っていたトートバックからガサゴソとチラシを取り出し、オレにくれた。
「こんなのやってるんです!」
「”マツシマエージ 愉快な独演会”…ですか。定期的にやってるんですね」
「はい!月2回」
「じゃあネタもいっぱい持ってそうだ。楽しみだよ」
「ありがとうございます!では、来月2日オーディションよろしくお願いします!」
そういって見た目がパンクな男は、礼儀正しく挨拶をして、会場を出て行った。
あらためてチラシに目を通す…
”マツシマエージ 愉快な独演会 in スナック浜木綿”
浜木綿…って何て読むんだっけ?「はまゆう」か。花の名前だよな。ずいぶん渋そうなスナックで独演会やってるな。どんなお笑いやっているのか見当がつかない。けれども、興味がわいた。そして、チラシに印刷されている見た目がパンクな男の顔をジーっと見つめる。やはりこの顔見たことがあるな…そして、名前…マツシマ…エージ…マツシマ…どこかで…
「あ!!!マツシマ!?」
眠っていた記憶がよみがえった!思い出した!見たことあるはずだ。
こいつはオレの小学校の同級生じゃないか!!
しかも、お楽しみ会で組んだ漫才即席コンビの「相棒」マツシマだ!!
あいつ、お笑いやっていたのか?!
あの時からずっと?それともつい最近?
オレと同級で、いまお笑いをやっている奴がいたなんて!
正直びっくりした。そして俄然マツシマに興味がわいた。
オレは、来月のオーディションを待つことなく
”マツシマエージ 愉快な独演会 in スナック浜木綿”を見に行った。
正直、最高だった。古ぼけたスナックで繰り広げられるシュールな切り口のお笑い。狭い店なのに、客もたくさんいた。オレの作り上げてきたお笑いにはない概念で勝負をしている。ひさびさに個性的な芸人に会えてうれしくなった。翌月、オーディションも一応やるにはやったがもちろん合格。マツシマを即レギュラーにした。
ただ、マツシマはオレが小学の同級生・ナカジマだとわかっているのかどうなのかわからなかった。忘れているわけはない。小学生の即席漫才とはいえ稽古もかなりしたんだし。しかしイベントの準備などもあって言うタイミングをすっかり見失ってしまった。
そして迎えたお笑いイベント第10回。マツシマはとても嬉しそうだった。
「マツシマエージで~す!今回からこのイベントに出演させてもらえることになりました~!みんなよろしくね」
オレの出番は最後から3番目だったので、ステージに上がったマツシマを客席の隅から見ていた。すると、マツシマがこんなことを話し始めたのである。
「オレ、子供のころからずーっとお笑いが大好きで、いろんなイベントに出てるんですけど…特にこのイベントは、オレにとっての登竜門みたいなもんで、出演するの夢だったんですよ~!なんせこのイベントの主催者・ナカジマくんは、オレと小学の同級生でして」
マツシマ…やっぱり覚えていたのか。
会場からも「へ~」「そうなんだ」と、どよめきが起こる。
「小学校のお楽しみ会でね、ナカジマくんとオレ、漫才コンビを組んだことがあるんですよ!あの時のナカジマくんとの絡みと、クラスメイトの笑い声を浴びる快感が忘れられなくて、こんなんなっちゃいました~!もうお嫁にいけない!ナカジマくん!責任取って!!」
オレをみつけて指さすマツシマ。会場がドッと沸く。
「…とかなんやかんや言ってますけども。ショートコントまいりましょ」
マツシマのネタはやはり最強だった。打ち上げの席で、改めてマツシマと話し、言い出すタイミングがなかったことを詫びた。そして覚えていてうれしかったことも伝えた。マツシマも、オーディションの話を聴きにきたときにはオレがあのナカジマだとは思っていなかったという。そして、あとから気が付いたが、言うならネタ中に言おうと思ったらしい。
後日、アンケートを集計したがお客さんの票を誰よりも集めていたのはマツシマだった。そしてアンケートの集計をしながらふと思った。今のオレとマツシマが、コンビを組んだら大化けできるんじゃないだろうかと。
オレのお笑いは、序盤コツコツと仕掛けを積み上げて最後に爆発させる「クラシック」なつくりだ。マツシマはこれまでのお笑いにない「新しい概念」を武器にしている。その「クラシック」と「新しい概念」が融合したら、会場全体が笑いで震えるようなビックバンが起こせるかも…
オレはマツシマにメールした。
間髪入れず、マツシマから返事が来た。
二人の気持ちが一致していた。オレは二人の熱が冷めないうちに早々にネタ合わせをしたいと思いすぐさまファミレスで待ち合わせの約束を取り付け、会うや否や「会議」。やりたいことの方向性を合わせ、互いのネタを持ち寄り、組み合わせた。コンビ名は二人の名字を組み合わせて「ナカマツシマジマ」とした。お試しで組んだコンビとは思えないほど、息がぴったりで、とても面白かった。やがてお試しではなく、正式にコンビを組んで、自主興行のイベントはもちろん、いろんな場所に出まくった。あちこちで噂になり、たくさん声をかけられるようになり、そして、ついにはテレビから出演依頼が…!
順風満帆、に見えた。だが忙しくなったことで弊害が生まれた。もともとマツシマはネタを忘れやすい。ネタの流れを度忘れしてしまったり、きっかけを飛ばしてしまうというミスが目立ち始めた。緊張すると悪癖が顕著に出る。もともとピンでやっていたんだし、漫才に慣れていなかったということもあるかもしれない。
先輩芸人から大きな舞台を任されたときのことだ。いつもより多めにマツシマと稽古をした。これで大丈夫だろうと安心した。けれどもマツシマはネタを飛ばした。オレはそのことも想定してホンを組み立ててあったから事なきを得たが、はっきり言って失望した。あんなに稽古をしても忘れるなんて…こいつはアマチュアの気分が抜け切れてないんじゃないのか。
「舞台に上がって、途中までは良かったんだけど…ふっと頭が真っ白になっちゃって、ゴメン‥‥」
マツシマは泣きそうな顔で言った。だが、その時の舞台は先輩たちも観ている大事な舞台。オレもいいとこ見せたくていっぱいいっぱいで、オレはマツシマを許せる心など持ち合わせてなかった。
「やる気がねえならやめちまえ!!」
オレは楽屋でマツシマを怒鳴りつけた。
「…ゴメン」
消えそうな声でそういうと、マツシマは楽屋を出て行った。
それっきり顔を合わせることはなかった。
それから「ナカマツシマジマ」は自然消滅。
その後、マツシマの姿を見たことはない。
オレ…ナカジマは…新しい相棒を探すもうまくいかず、構成作家として数年裏方に回った。だが、一度スポットライトを浴びた身…お笑いの前線に立てていない今の自分の姿が情けなくなり、お笑いをやめた。そんなオレを見かね、かつて自主興行をしていた時にお世話になっていたアルバイト先の社長が声をかけてくれて、今のオレ、今の仕事がある。
◇ ◇ ◇
時を戻そう…
この簡素なメールの一文を読んだとき、いろんな思い出が一瞬で駆け巡った。小学生の時のこと、自主興行をやってた時のこと、マツシマとの再会、「ナカマツシマジマ」の活動時代、舞台上での冷や汗、楽屋で怒鳴りつけたこと、最後に見たマツシマのあの表情…長年、胸の底にドロリとした重たいものがへばりついているような厭な感覚…それをあらためて認識させられた。
オレはもう二度と会えないだろうと思っていた「相棒」に思い切って返信してみることにした。
◇ ◇ ◇
約束の時間…ファミレスに向かうと、マツシマは、すでに席についていた。
スーツ姿で、かつてのようなパンクロッカーのようないでたちでは、ない。
「あ!ナカジマ!こっちこっち!」
オレの姿をみつけて、マツシマが手を振る。
「ひさしぶり、あの時…以来だな」
マツシマが、ちょっと気まずそうな表情をしたので、オレは空気を換えた。
「マツシマ…なんだよそのスーツ姿。髪型も真面目になっちゃって。似合わねえな」
「久しぶりに会ったのにディスりかよ~!お客様に商品を説明して売る仕事なんだから、これ」
「営業職なのかよ」
「ああ、しゃべりだけはうまいから」
「オレの電話番号、消してなかったんだな」
「ああ、電話番号変わってなくてよかったよ~」
オレの連絡帳にマツシマの番号がなかったことをふと思い出し、自己嫌悪…
そんなオレの心中など知らず、マツシマは昔と変わらない人懐っこそうな笑顔を見せる。
「ナカジマはいま何やってんの?事務職?」
「そうね。社員の教育係という感じかな‥」
「あ~、似合いそう。しかしやつれてるなぁ。あんなに昔はきらきらとがってイケメンだったのにぃ」
「毎日終電近くまで働いてるサラリーマンだからな…哀れだろ」
「ちゃんと食ってるのか?」
「金はあるんだ。けど時間がなくてな」
「大変なんだな。じゃあ、ファミレスじゃなくてもっとスタミナのつくようなもの食いに行くか?焼肉とか?」
「いや、心配は無用」
「じゃあさ、こういうの飲んだらどう?これ、オレも普段飲んでるんだけど、結構調子よくなるんだよ」
マツシマはカバンから小瓶を取り出し、テーブルの上に置いた。
「…これは?」
「へへ、オレの今お気に入りの商品」
それはサプリメントだった。しかも、ネット界隈ではいろいろな意味で"怪しい"と噂される有名なサプリ…
このサプリを販売している会社は、まず客にサプリを買わせて、さらにその客に「このサプリを他の人に紹介して買わせれば利益が出るよ」と仲介者になるよう勧誘する…所謂”マルチ商法”のような商売をしていることで有名なところだった。
「マツシマ、これを売ってるのか?」
「このサプリ知ってる?」
「知ってるも何も…マルチ商法っぽい会社が売ってるサプリだろ?お友達に広めるやつ。マツシマの営業ってこれ?その会社に勤めてるのか?」
「契約社員みたいな感じ」
「…まさかオレをビジネスに勧誘する気じゃないだろうな」
「あ、勧誘とかじゃないよ…オレはサプリ売ってるだけで…」
「そもそも、こんなサプリ効果あんのかよ?」
「人聞きの悪いこと言わないでよ!これは本当に効果があるんだから!」
そういって、突然マツシマが商品の説明をし始めた。
「このサプリメントは完全に有機農法で作られてるんだぜ!でね!」
どでかい声でいきなりセールストークを始めたもんだから、ファミレスの客が皆こっちを見ている。
「トーンを抑えてくれ…ここは舞台じゃないんだ。みんな見てるぞ。恥ずかしい」
「おっとすまんすまん。つい興奮してさ…でね!このサプリは未知のパワーを持っていてさ…この資料みてくれよ!」
「マツシマ、そんな話をオレにするためにここに呼んだわけ?」
「違う違う!いけね…話の流れで、いつもの癖が出ちゃって…ゴメン。あのさ…本当は…」
「あ~いいよいいよ。売り歩いてんのも事実なんだろ。途中まで聞いちゃったら気になるじゃん。買うかどうかはおいといて、まず話したいなら聞いてやるから。ほら、話しろよ」
「え…あ、聞いてくれるの?じゃあさ…」
久しぶりの再会だというのに、このオレがマツシマからマルチ商法のセールスを受けるとは思わなかった。けど、とりあえず話を聴いてやることにした。
「このサプリメントは完全に有機農法で作られててね、アメリカの医学博士のお墨付きなわけよ!」
マツシマはカバンの中をごそごそとあさり始めた。取り出したるは…パワーポイントの資料…マルチ商法ではお決まりのパターン!
タイミングばっちりに出してくるな…間が最高だぜ。
「こっちが、このサプリを飲んだマウスの血液の血糖値でね…」
すげー必死…
あー、売り上げノルマとかあるもんな。
「なにしろね、かつて未確認飛行物体がやってきて、ミステリー・サークルができた畑で栽培された野菜をミクロ製法で粉末にしてているから、粉末自体にパワーがあってね…」
わかるよ、マツシマ。
セールストークの台本、しっかり覚えたんだな。
「さらにこのサプリを水で溶かすと浄化作用があってね!ほら、普通の水と、サプリを溶かした水とでは、密度が変わるんだよ!グラフ見てみて!」
すらすらとしゃべっている。
すごく稽古をしたんだな。
「顕微鏡で見ると結晶の形とかも、ホラ!こっちはギザギザだけど、こっちはなめらかなんだ!」
昔やっていた漫才の時なんかよりもずっと稽古しただろ。
でも…でもな…マツシマ‥‥言葉が嘘っぽいんだ。言わされているからだ。
商材を信じ切れてなくて、自分の言葉になってないんだよ。
「でね、うちのばーちゃんがさ、悪性のガンがあったんだけど、このサプリメントでさ、ガンが寛容してさ!すごいんだぜ、このサプリ」
これも嘘だな。そもそもマツシマのばーちゃんは亡くなってたはずだ。オレ香典出した記憶あるもん。
マツシマは根が優しい。人の生き死にの話をする時は違和感がでるんだ。「ナカマツシマジマ」の漫才台本を書くときは、マツシマのテンポが悪くならないよう、そういった要素はすべて排除していたくらいだ。
オレにはわかる。
君の話芸に惚れてたからわかるんだよ。
ずっと一緒にお笑いやって、一緒に天下を取ろうと思っていたんだからな。
オレは騙せないぜ。
そもそも、洗脳じみたこういう仕事、マツシマに向いてない…とオレは思う。マツシマのやっていることにケチをつけるつもりもない。だが、この手のセールスは長引けば長引くほど変な空気になる。オレは言葉を選びつつ話題を変えようと試みた。
「悪いけど、そのサプリメントはいらないな。そういうの、たくさんあるんだよ。うちにも」
「そっか。じゃあこっちのサプリはどう?」
マツシマはカバンから違うサプリメントを出してきた。
「これは、記憶力を良くするサプリメントでさ!」
【キオクヨクナール】イチョウ葉由来フラボノイド配糖体、イチョウ葉由来テルペンラクトンを配合したサプリだ。
「これ、本当に効くんだよ!いまみたいにさ、商品の説明するじゃん?言葉が出てこなくてさ、最初のうちはよく失敗してしたんだけど…このサプリを飲み始めたらさ、もう記憶力が良くなりまくり!全然忘れなくなったの!」
「…ほんとかぁ?」
「ホントだってば!」
マツシマのトークが急になめらかになった。本当に信じられる商材だからなのだろうか。漫才コンビだった時のような、会話の気持ちよさに思わずオレも饒舌になる。
「このセールストークもこのサプリのおかげで覚えられたんだな?」
「そうそう…っておーい!!セールストークって何だよ!?オレは本当のことしか言ってないよ~!」
「じゃあ、昔これがあったら、マツシマはネタを飛ばさずにいまごろ日本一の漫才コンビになれたかもしんないってことだな?」
「そうかもしれないな~いまだったらナカジマの作ってくれた面白い長尺の漫才の台本も忘れずすらすらやれるし、段取りも忘れないし‥オレたち解散しなくてもよかったかも…な~んちゃって!!」
二人ともハッとして、気まずい空気が流れた。
マツシマは急にシュンとして、声を震わせる。
「…あの時…ごめんな」
「…あの時?」
「ナカジマに、楽屋で叱られて、逃げ出したあの時…オレ、あれ以上もう何も言えなくてさ」
マツシマは訥々と話を続けた。
「ナカジマ…頭いいしさ。お笑いのセンスもサイコーだし。オレ、ナカジマの考える漫才、大好きでさ…でもオレはナカジマについてくのが精いっぱいだった。ナカジマには、オレの話…言い訳にしか聴こえなかったと思うけど…オレ、昔からバカで、気が利かなくて、本当に物覚えが悪くてさ…」
「いや、あれは大きな舞台だったし…それで…」
「実はさ、そういうの昔からなんだ…小さいころから。段取りとか正確に覚えていられなくて…緊張すると余計に。親もオレの行動に違和感があって、医者に見せたんだ。そうしたら、ちょっと記憶の仕組みに異常があるかもしれないって言われて…いまも、たまに病院に通ってるんだよね」
「え…」
初めて聞く話だった。
「小学生の時も、本当はそれを伝えられたらよかったんだけど…みんなから嫌われるの怖くて言えなくてさ。だけどナカジマから漫才やろうって言われたとき嬉しくてね、ついそのこと忘れてコンビを組んだ。オレに合わせて、ナカジマ稽古たくさん付き合ってくれたじゃん?ほんとありがたかったな。あの時の漫才が楽しくて、オレ将来お笑い芸人になろう!漫才コンビとしてやっていきたい!と思うようになったんだ」
マツシマは一生懸命話し続けた。
「高校の頃は、同級生と漫才コンビを組んでたんだ。だけど全然だめだった。やっぱりネタや段取りを覚えらえないんだよ。頑張ってみたんだけど、全然直せないの。ナカジマくらいぴったりあわせてくれる相手っていなくてね…だからせめてピンでやろうって思って。ピンだったら全部自分である程度リカバリできるし、責任とれるじゃん?相棒に迷惑かけないで済む。だからオレ、ピン芸人を選んだんだよね」
知らない話の連続…コンビを組んでいた時もここまでの話は聞いたことがなかった。
「お笑いイベントで偶然に再会して…ナカジマからまた漫才コンビやろうって言われたとき嬉しくて、嬉しくて!!やっぱり漫才やりたかったからさ!オレ、今度こそは足引っ張らないように頑張らなきゃって思って…思ってたんだけど…やっぱりだめだった」
泣きそうになるのをこらえている…マツシマはそんな様子だった。
「商品の紹介は、テレカクシ、コウジツ!セールスなんか別にするつもりなくて。ナカジマだったら、お前こんなことやってんのかよーって面白可笑しく突っ込んでくれるかなと思ったんだ。今日の本当の目的はね…ちゃんとナカジマに会って、あの日のこと、逃げずにしっかりと自分の言葉で伝えたかった。あやまりたかったんだ」
マツシマはその場に立って、深々と頭をさげた。
「あの時は、オレのせいで、ナカジマに恥かかせちゃって…最高の漫才ができず、その後も勝手に連絡を絶ってしまい申し訳ありませんでした!!」
オレは、愕然とした。
マツシマは、やる気がないわけじゃなかった。
アマチュア気質じゃなかった。
オレと漫才を楽しもうとしていてくれていた。
オレと最高の漫才を作り上げようとしてくれていた。
なのにオレは…マツシマの気持ちと向き合わず、苦しさをわかってやれずに…怒鳴りつけて…
「…頭あげてくれ」
「でも…」
「あの時、オレも悪かったんだ。オレも余裕がなさ過ぎた。本当は…オレ、大した人間じゃないよ。いっぱいいっぱいだったんだ。それに、マツシマのこと…表面的にダメだって決めつけて、ちゃんとわかってあげてなかった。もしちゃんと問題に向き合えていたら、オレたち日本一の漫才コンビになれたかもしれなかったのに…本当、ゴメン」
「いやいやいやいやナカジマが頭下げる理由がこれっぽっちもないじゃん!ナカジマのおかげで引き上げてもらったんだよ、オレ。それにあのことがあったから、オレは漫才やっちゃだめなんだってあきらめがついたんだ。今のオレがあるのはナカジマのおかげ。感謝してる!」
「でも…だからってこんなマルチ商法に手を染めなくても」
「心配ご無用、これは副業だからさ!」
「そうなの?!」
「オレ…今もあの”浜木綿”で独演会をやってるんだ。あくまで本業はピン芸人!!サプリ販売は、独演会の資金稼ぎ!」
「え!?」
「びっくりしちゃうだろ?古臭いあのスナック、まだやってるんだぜ」
「いやそうじゃなくて…マツシマ…ピンでお笑い続けてるんだ?」
「もちろん!お笑いが好きだからね!ナカジマもそうでしょ?」
「あ…」
「もしよかったらさ、今度また独演会に来てダメ出ししてよ!昔みたいにさ!ナカジマの批評聴きたいよ!!」
クラクラする。
オレはお笑いをあきらめて、サラリーマンに成りさがった。
マツシマはお笑いをあきらめず、あの独演会をいまでも欠かさず開催している。
暗闇の中にたたきつけられるような気持ちだった。
「オレ、この営業もどーせやるんならトップを目指そうと思ってるんだ」
「いや…マツシマはこの商品の営業向いてないよ…なにか別な仕事を探した方がいいんじゃないか?」
「なんだよ。マルチだからダメだって言いたいのか?」
「いや、そういうわけじゃないけどさ。サプリ…飲んでいるとはいえ、やっぱり覚えるの大変だろ。マニュアルとかさ」
「いやいや、これがまた記憶や段取りを覚える訓練みたいなものでさ、結構やりがいあるんだよ。それに、うちの会社はマニュアルが充実してるからやりやすいんだ。マニュアルの内容も面白いしさ」
「面白い…?」
「コントの台本みたいなんだよ。サプリの説明ひとつとってもテンポよく作られてて、人の興味をどんどんひきつける仕組みになってるの。しゃべりやすいしね」
「そうなのか…?だけど…ミステリーサークルがどうのとか、ばーちゃんのがんの話とかさ、嘘のエピソード話するの、マツシマに似合わないよ」
「え!?」
「あれは良くないぜ。マニュアルにそう書いてあってもさ」
「う~ん…バレたかぁ…嘘っぽくならないように、結構頑張って話したのになぁ」
「いやいやいや、アレは無理だ。それにさ、副業なら、もっと楽な仕事あるだろ。始めちゃったからには、簡単にやめられないとは思うけどさ…早いところ逃げたほうがいいぜ。金回りは良くてもノルマきついんだろうし」
「でも今月ノルマこなさないとやめるにやめられないと思うし…とりあえず、ナカジマクン!よかったら紹介したサプリ、どっちか一つ買って!1個15000円」
「結局買わせるんかいっ!!しかも高いっ!!でも…ま、仕方ない!君のノルマに貢献してあげよう。効果あるってことが目の前で証明されてしまったしな!」
「マイドアリー!ありがとね」
オレは、【キオクヨクナール】を購入した。マイナス15000円。
その後、くだらない話を3時間くらいして、ファミレスを出た。やはりマツシマとの会話はテンポがとても心地よく、いくらでも話していられた。長らく会っていなかったなんて、嘘のようだ。
駅までの道すがら、オレはマツシマに思ったことを伝えた。
「マツシマ…あのさ…さっきのサプリの説明さ」
「なに?やっぱり不安?販売ルートは怪しいけど効き目はあるんだって!」
「いや、そうじゃなくって…やっぱさ、マツシマの話にはチカラがある。人を引き込む魅力があるよ。オレはどう頑張ったって騙されないぞって思って…”審査員”みたいな気持ちで聴いてたけど、テンポとか間とか、抑揚とか…面白くてさ。営業職もいいけど…やっぱり、お笑い芸人が一番合ってるよ」
「マジ?」
「うん」
「ナカジマに言われると自信つくな~!!」
「そうか?」
「だって、ナカジマは、オレの一番尊敬するお笑い芸人だもん」
かつてオレの相棒だった君へ…
どうか、そのままお笑いを続けてくれ。
嘘をつかず、正直な君のままでいてくれ。
オレがたどり着けなかった場所に、
君は、今からでも、余裕でたどり着けると思うぜ。
◇ ◇ ◇
マツシマと別れたあと、オレはホームのベンチに腰掛け、ひとり夜風に当たりながら思った。
あのサプリメントのセールストーク…
ミステリーサークルのくだり、全然面白くねえな…!!
マツシマくらい話術があればまだ何とか聴けるけど…フツーの客はあんなの聴かされたんじゃ引くよな。サプリの売り上げ伸びないわ。あれはマニュアル改善の余地あり。
でも、アイツに面白いって言ってもらえて、嬉しかった。
あのセールスマニュアル
本部でオレが書いたやつなんだ。