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親の幸せ、それは…。

我が家には
夕食後に
もれなくおやつタイムがあります。

その名も

お楽しみ会

何のひねりもない
ベタなネーミングですけれど。

夕食の片づけを終え
口火を切るのはたいてい私。

「お楽しみ会しよう!」

お楽しみ会と言っても
食べるものは
私がスーパーで買ったお菓子や
主人が仕事の帰りに
コンビニで買ってきたお菓子など
本当にささやかなものばかり。

その日は
2日連続で
同じお菓子が並びました。

それは、
買い物中、
誘惑に負けて買ってしまった
4個入りワッフル。

2日連続
カロリー高めのおやつです。

我が家は3人家族なので
4個入りの場合は
息子が2個で
私と主人が1個ずつ食べます。

それがお決まりなのですが…
息子は
最後の1個には
なかなか手を出しません。

遠慮しているのですね。

今日も
私の「どうぞ」の言葉に
ようやく
「ありがとうございます」
と最後のワッフルに手を伸ばしました。

その幸せそうな顔を見て
私たちもにっこり。

突然主人が言いました。

「おれさ、
 小さい頃
 不思議でしょうがなかったんだよね。
 どうして大人は、
 こんなにおいしいものを
 『食べていいよ』って
 子どもにくれるんだろうって」

それを聞いて、
すかさず息子が私たちにたずねました。

「なんでなの?」

「それはね、
 子どもがおいしそうに食べている顔を
 見ているだけで幸せだからだよ。
 ねっ」

主人の顔を見て
にっこり笑いました。

主人もにっこり頷きました。

それを見て
息子は
それならばというように
おいしそうに
その最後のワッフルを
ほおばりました。

子どもの喜ぶ顔
幸せな顔を見ることは
親にとって何よりの幸せ。


息子の幸せそうな顔を見ていたら
ある女性の姿が浮かびました。

それは…

児童精神科医の
佐々木正美先生のお母様。

正美先生が小さい頃
(第2次世界大戦中のこと)
正美先生のお母様は
3人の子どもたちと
一緒に食事をしないで
ずっとおさんどんを
していたと言います。

「おかわり」
と差し出す茶碗に
「もっとよう噛んで食べなあかんで」
とご飯を盛り付けてくれたのだと。

食べ盛りの正美先生たちは
母親の分を残しておく
などということは
考えもしなかったと言います。

とにかく食べて、食べて…
それでもいつも
空腹を感じ続けていたのだと。

当時の母親が
自分たちが全て食べ終わった後で
一体何を食べて
飢えをしのいでいたのか…。

3人とも
母親が食事をしているところを
見たことがなかったのだそうです。

あの暗く、貧しく希望のない時代に、
来る日も来る日も苦難の続いた毎日を、
母はどうしてあのように
強く生きることができたのか。
原稿を書きながら、
私は涙があふれてきて途方に暮れています。
私にはできない。
私たち夫婦にはできない。
そんな思いでいっぱいになります。

「人生のおさらい」     
自分の番を生きるということ
佐々木正美著 相田みつを書

当時のお母様のことを思い出し
その無償の愛に
感謝があふれ
涙がとまらなかった正美先生。

正美先生のお母様のようなことは
私には到底できません。

それでも
息子を思う時
自分の命と引き換えにしてでも守りたい
そう思います。

子どもが先に逝く…
親として
これほど耐え難いことはありません。

私が生きて
なぜあの子が…

それでも生きる…
いえ…
だからこそ
命の限り精一杯生きる…


さだまさしさんの新曲「孤悲」が
テレビで流れていました。

今わたしに何が出来るでしょう
あなたのさいわいのために

その歌い出しに涙があふれました。

あなたが苦しむときは迷わず
私は独りの修羅となり
生命を尽くしてあなたを護るでしょう
ささやかな 存在を懸けて
あなたが安らぐ時には
たおやかな菩薩のように
あなたのために あなたのために
未来を祈りましょう

さだまさし「孤悲」より

息子よ
あなたには生きていてほしい

幸せであってほしい

その日
ワッフルを
おいしそうにほおばる
息子の姿が
愛おしくてたまりませんでした。

あなたの幸せは
私たち夫婦の幸せ。

愛しい息子よ
今日も幸せをありがとう…

この時代に
平和な日本に
親子として結ばれ
共に暮らせる幸せに
今に
心から感謝したい…

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