自分を「良いもの」と思えたら、一層大切にできるかも。
彼らの神なる主は、その日、彼らを救い
その民を羊のように養われる。彼らは王冠の宝石のように
主の土地の上で高貴な光を放つ。
旧約聖書 ゼカリヤ書 9章16節 (新共同訳)
こんにちは、くどちんです。キリスト教学校で聖書科教員をしている、牧師です。
聞いてください! 私は! 先週! 2度も床の拭き掃除をしました~!!!(ぱんぱかぱーん)
盛大に自分を褒めてやりたいです。いや、いわゆる「ていねいな暮らし」をしておられる方も大勢おられることでしょう。分かっております。しかしながら私は「ていねいな暮らし」とはかけ離れたところで日常を泳いでおりましたのです。床拭きはおろか、掃除機もかけない日が続いたりしますし、取り込んだ洗濯物が数日分うず高く積まれる中から子どもたちが自分のズボンを引っ張り出して着ていく様を横目で見ていたりもするのです。ポテトサラダだの冷凍餃子だのが話題になっているようですが、食卓を調えることさえ自分ではできずにオット任せなことも多く、「作り置き冷凍で、家事の先取り」とか「重曹で地球に優しいお掃除」とか「一輪挿しから始める、花のある生活」などの雑誌の特集タイトルを見ると、「ごめんなさい……」とそっと目を逸らす、そんなしっちゃかめっちゃかな暮らしぶりなのです。
そんな私が! 床を! 週に! 2度も拭いた!!
自分で自分を褒めてあげたいです!!(注:メダルは獲ってません)
まあそのくらい、私にしてみれば快挙と言うべき出来事なのでした。
事の発端は、ラグマットを洗ったことでした。7月末日に梅雨明けして以来、「こりゃもう何かを干さないわけにはいきませんよね」と要求してくるような日差しに押され、布団だの枕だのを次々と干していました。その延長で、「いつもコロコロや掃除機で済ませているラグだけど、今日はいっそ洗っちゃうか。すぐ乾きそうだし」と、洗濯したのです。するとまあ……ラグの下……そりゃ汚いよね……(描写については自主規制)。掃除機をかけてみたもののすっきりとはいかず、「よっしゃ、夏休みにしかできんやろし、久々に全面拭き掃除しちゃうか」と重い腰をあげることになったのでした。
拭くとさすがにさっぱり! その日は家族に押し売りのように「今日床気持ち良いやろ、拭いてん」と言いまくっていたのですが、数日経つとなーんとなく埃っぽくぺたぺたしてくるんですよね……。そうすると、「せっかくきれいになったのに、もったいない!」という気になって、ついに週に2度目の拭き掃除をするに至った、というわけです。
「良い状態」を知ると、「それを損なうのが惜しまれる」という感じ。ありますよね。
逆に、「良い状態が損なわれると、途端に大事にする気が失せる」というケースもあります。
携帯電話の画面に初めに付いてるシートとか、きれいな状態でしばらくそのまま置いときたくなりますよね。でもだんだん端っこがめくれて埃なんか付いてきちゃうと、「もういいやー」と思ってべりっと剥がせてしまいます。新しく買った本は、帯まで付いたきれいなままで読み始めてみても、カバーがややくたびれてきたところで特に執着も無くなって、帯もカバーもどこかへやってしまったり。大事に着ていた服も、くたびれやほつれが生じてくると部屋着に降格して、少々の汚れには無頓着になったり。
そこでふと、ものだけでなく「私たち、自分自身」についても同じようなところはあるかもしれないな、と思いました。
健康的な生活ができていると、気分も前向きになって勉強なんかもはかどったり。素敵だと思える新しい服を着たら、心なしか姿勢も良くなったり。誰かに褒めてもらって自信が持てたら、苦手な相手にも明るく挨拶できる小さな勇気が湧いてきたり。
これまた逆もあります。住まいや食事をおろそかにしていたら、精神的にも殺伐としてきたり。小さな嘘から後ろめたい気持ちになって、塞ぎ込んでしまったり。誰かの悪口を言っているうちに、自棄になって振る舞いまで荒れてきたり。
冒頭の聖句は、旧約聖書の中で語られる預言の言葉です。救いの完成の日、神さまはあなたがたを大切に養ってくださる、あなたがたの存在は王冠の宝石のように輝く——という喜びと望みに満ちた約束です。
「王冠の宝石」! 自分のことをそんな素晴らしいものだと思えたら、決してぞんざいには扱えないし、小さな傷一つつけたくない、ほんの少しの曇りであっても入念に磨いて拭き取りたい……と、大事にしたくなるのではないでしょうか。
「どうせ私なんて」と言いそうになったらこの聖句を思い出して、「私は宝石! 輝く宝石!」と念じてみてはどうでしょう。「そうだ、そんな大事な私に、何かおいしいものでも食べさせてやるか~」なんて、幸せな大らかな気持ちになれるかもしれません。
自分で自分を傷付けそうになる日もありますが、そんな時は静かに祈り、「あなたは宝石のように光っているよ」という神さまからの声に耳を傾けられたらと願います。
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