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「あんにょん!」イースターの平和が全ての人にあるように。

その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。そう言って、手とわき腹とをお見せになった。弟子たちは、主を見て喜んだ。
新約聖書 ヨハネによる福音書 20章19-20節 (新共同訳)

こんにちは、くどちんです。キリスト教主義学校で聖書科教員をしている、牧師です。

今日はイースター、復活日です。
最近は巷でもイースターのイベントをちょこちょこ見かけるようになりましたね。おおむね「うさぎ」と「卵」のモチーフの春のイベント、という理解のようです。

イースターは、イエス・キリストの復活を祝う日です。十字架で処刑されたイエスでしたが、それから3日目に当たる日曜日の朝、墓からその遺体が消えているのが発見されました。そして、生前導いていた弟子たちの前に次々にその姿を現し始めたのです。
「墓から出て来る」というところが、「卵から生まれてくる新たないのち」のイメージと重なったり、「いのち→繁殖」みたいな連想から「多産の象徴としてのうさぎ」が思い浮かべられたりして、昨今のイベントモチーフ的扱いになっているようです。
「なんとなく楽しそう~、映える~」という辺りから興味を持ってもらって、やがてイースターの意味について知る人が増えたらいいなぁ、なんて思います(^^)

復活のイエスの姿や行いは、「福音書」と呼ばれるイエスの物語を記した文書に複数記されています。それぞれに少しずつ違いがあって面白いので、ぜひいつか読み比べていただけたらとも思うのですが、ここでは冒頭に「ヨハネによる福音書」の中の一場面を引用してみました。

イエスの死から3日目、弟子たちは自分たちへの追及を恐れて人目を避けてある家の中に閉じこもっていたようです。そりゃそうですよね、なにせイエスは十字架で処刑された身。そのイエスにくっついていた弟子たちだって、同類と見做されても仕方が無いわけです。

師を喪った悲しみに加え、自分たちの身の上さえ危ぶまれる不安の中で、弟子たちの心の中は真っ暗になっていたことでしょう。「家の戸に鍵をかけていた」という一言は、捕らわれたくないという彼らの現実的な行動であると共に、彼らの心もまた閉ざされているということを示す表現にもなっているように読めます。

そんな彼らのもとに、復活のイエスが表れます。イエスは弟子たちの「真ん中に立ち」、「あなたがたに平和があるように」と言われました。
「平和があるように」というこの言葉は、ユダヤの人々にとっては聞きなれた「シャローム」という挨拶です。「シャローム」とは「平和」という意味のヘブライ語で、「こんにちは」「さようなら」といった日頃の挨拶のように使われていたのですね。
今私は韓国語を勉強していますが、ご存じ韓国語の挨拶「안녕!(あんにょん)」とよく似ているように思います。「안녕(あんにょん)」も漢字で書くと「安寧」で、相手が無事でいること、元気でいることを願ったり確認したりする意味合いの挨拶です。「シャローム」と、使い方も意味するところも通じますね。

鍵をかけて閉じこもっていた弟子たちのところに、「平和」「安寧」と言いながら、死んだはずのイエスが現れた……。それも彼らの「真ん中」に立って。

この時の彼らは、取り巻く状況も心の中も、とても「平和」で「安寧」な穏やかさとは言えなかったはずです。そんな彼らの目の前に立ったイエスは、「平和」「安寧」の言葉を投げかけてくださったのです。「大丈夫、心を安らかにしていなさい」。そんな温かい慰めと励ましのメッセージが感じられる場面です。

弟子たちが「平和」「安寧」でいられなかった理由は複雑です。師であるイエスが罪人とされたことへの動揺も、処刑されてしまったことへの衝撃もも、師を喪ったという悲嘆も、師を守るどころか逃げ出してしまった自分への悔恨も、自らに迫る追及への恐怖も、これからの生き方への指針を失ったという不安も……。人が「平和」を見失う時に感じる種々の感情の「幕の内弁当」のようです。てんこもりの詰め合わせ。なんならデザートの果物付き、くらいの感じ。

そういう意味で、ここに描かれる弟子たちの姿は、「不安な時の私たちそのもの」だということです。安寧を失った時、私たちは心を閉ざし、鍵をかけ、内向きになって震えて縮こまってしまう。そんな姿です。

でもそんな私たちに、イエスは「平和、安寧があなたたちにあるように!」と、目の前を明るくしてくれます。鍵をかけたはずの扉を軽々と通り越して、私たちに安寧を宣言してくださるのです。

今日はイースター、復活日。「イースターおめでとう」「ハッピーイースター」と挨拶を交わす私たち。
でも今の私たちは心のどこかで感じています。「そんなのんきに『ハッピー』なんて言える状況じゃないよね、今は……」と。そして、安寧からかけ離れたこの世の有様を思い巡らし、思わずため息をついてしまう。そんなこの頃です。

でも、そんな今日だからこそ、「あなたがたに平和があるように」「私たちに安寧が与えられることを信じよう」と、挨拶のように力強く言葉にしたいとも思います。

平和があるように。安寧がもたらされますように。この世界に生きる全ての人に。


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