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傍らで祈ってくれる人がいるから

一同がゲツセマネという所に来ると、イエスは弟子たちに、「わたしが祈っている間、ここに座っていなさい」と言われた。そして、ペトロ、ヤコブ、ヨハネを伴われたが、イエスはひどく恐れてもだえ始め、彼らに言われた。「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、目を覚ましていなさい。」少し進んで行って地面にひれ伏し、できることなら、この苦しみの時が自分から過ぎ去るようにと祈り、こう言われた。「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように。」それから、戻って御覧になると、弟子たちは眠っていたので、ペトロに言われた。「シモン、眠っているのか。わずか一時も目を覚ましていられなかったのか。誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えても、肉体は弱い。」

新約聖書 マルコによる福音書 14章32-38節 (新共同訳)

こんにちは、くどちんです。キリスト教学校で聖書科教員をしている、牧師です。

来たる2021年2月17日は、キリスト教の暦で「灰の水曜日」と呼ばれる日です。この日から「受難節(または四旬節、レント)」と呼ばれる期間に入ります。文字通り、主イエスが十字架で死なれる「受難」の出来事を覚えて過ごす、どちらかと言えば暗く、静かに過ごす期間です。

どうしてイエスが十字架で死なねばならなかったのか。それは私たちの罪を代わって背負ったゆえだとキリスト教では理解します。受難節は、この私たちの罪について見詰め、深い悔い改めを心に刻む日々であるといえます。

わざわざ「自分の罪を見詰める」というのは、陰鬱で、不愉快なことのように思われますね。私は中高生と共に聖書を学んでいますが、やはり「罪」の話はなかなか理解してもらいにくい、伝わりにくい概念だなぁ、と思います。

明るく朗らか。元気。楽しい。にぎやか。快活。それは「良い」ものであると、多くの人が納得します。

一方、暗く沈み込むこと。静けさ。悲しみ。涙。悔い。これらは多くの場合、「避けたいこと」と思われるのではないでしょうか。

悲しいことは避けたい、涙や悔いはできる限り取り除きたい、静けさをにぎやかさで埋めたい。その気持ちは私にもあります。けれども、この「暗い部分」もまた私たちの生きる営みの大切な一部であり、そのところをおろそかにしてしまうと、実は不健全になってしまうのでしょう。

以前、声優の山口享佑子先生の「美Voice講座」を受講したことを記事に書きました。

この時に面白いなと思ったのは、「息をしっかり吸うためには、その前にしっかり吐かなければならない」ということでした。吐くことと吸うことは裏表。「どちらか一方」というのは成り立たないんですよね。

そういえば、年末にずばりこんな記事も書きましたね。

光は暗闇の中でこそ、その輝きが大きな意味を持つ。冬の寒さを超えてこそ、花は咲く。大きく吐くから大きく吸えるし、深く屈むからこそ、高く跳べる。

うん、やっぱり「裏表」両方が大事なんです。だから「裏」もちゃんと受け止めていかなきゃなりませんね。でも……。でも?

……分かってはいる……分かってはいるけど……。そうは言ってもやっぱり「暗い」所に目を向けるのはしんどいよ~! そんな気持ちも正直なところ。

暗さや悲しみとじっくり向き合うのには、エネルギーが要ります。そのエネルギーの要ることから逃げずに取り組むためにはどうすればいい?

そう考えていてふと、思い起こしたのが冒頭に挙げた聖書箇所でした。もしかしたらそのエネルギーは、「誰かと共にいること」「独りではないこと」から来るのかな、と。

この聖書箇所はイエスが十字架にかかる前夜の場面です。まさに受難の始まり。迫り来る自分の死を予感して苦しむイエスは、その痛みと向き合うべく祈りを捧げます。その際、弟子たちに「ここで目を覚まして座っていてくれ、ここで祈っていてくれ」と仰っているのですね。

私なんぞの抱える痛みとはもちろん桁違い。とはいえイエスさまもまた、痛みや暗さを抱え込むにはお一人では辛いこともあったのだな。弟子たちが「そこにいること」「自分のために傍らに留まっていてくれること」を必要とされたのだな。そんな風に感じ、慰められる思いがします。(残念な弟子たちはそのことに気付かず、眠りこけてしまうんですけど……)

今、大なり小なりほとんどの人が辛さを抱え、それと向き合わざるを得ない日々を過ごしています。

そういう中で迎える受難節。自らの暗さを受け入れ、罪と向き合うことも大事にしつつ、ただ暗さの中に呑み込まれるのではない、「共に祈る仲間がいること」を思う期間にできればいいな、と思います。

あなたが隣に座っていること、それだけで励まされる、苦しいことを乗り越えようとする力を得る、そういう人がきっといるはずです。


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