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ちょっとしんどくても正しい姿勢で

「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。」

新約聖書 マタイによる福音書7章13-14節 (新共同訳)

こんにちは、くどちんです。キリスト教主義学校で聖書科教員をしている、牧師です。

「姿勢を正してみましょう」と言われたら、皆さんはどうしますか? 何気なく取っていた姿勢から改めて、ぐっと背筋を伸ばす人が多いのではないかな、と思います。

というわけで、「正しい姿勢」について思い巡らしていた今日この頃。

きっかけは、こちら。

この記事にくっつけたイラストで、「ダンス教えて〜」と書いた私。もちろんそれは嘘じゃないけど、「ほんとに教わろう」とまでは思っていなかった私。ところがそれを聞きつけた例のバイタリティ溢れる友人「はたぼう」がすぐ取り次いでくださって、ちょびっと教わっちゃうことになったのです……!(↓ はたぼうについてはこちらをどうぞ…本当に面白い人ですので…)

そういうわけで、運動オンチでダンスどころかラジオ体操さええっちらおっちらな私にご指導くださることになったのが「えりさん」。キュートな美人さんだけど全然気取ってなくて気さくで、朗らかな笑顔のお姉さん。

えりさん……ダンスを教えてくださるような方だから当たり前なんかもしれんけど、めちゃくちゃ姿勢がいい! そして体のラインがしなやかで美しい!

肩甲骨周りを動かすように言われた時、体が固まってなかなか上手くいかない私に、「こうだっ」とばかりにTシャツを脱いで自分の肩甲骨を見せて実践くださった。その背中の美しかったこと……! 「健! 康! 美!」って感じでした。目指したい背中。

おっと、閑話休題。(つい熱くなってしまった)

そうやっていざ体を動かそうとしてみると、自分が日頃いかにアンバランスな、偏った姿勢で過ごしているか、改めて思い知ることになりました。骨盤とかめっちゃ歪んでるんやろな…。教壇に立つ時もつい片方の脚に重心をかけてしまっている気がするし。とりあえず、「えりさんの顔を思い出す度に、癖で組んでしまっている脚を戻す、丸めてしまっている背中を伸ばす」という約束を実践中です。(今もこれ書きながら「そうだった!」と思って真っ直ぐ座り直してみた)

「正しい姿勢を」と言われて、わざと椅子からずり落ちるような座り方にする人はいませんよね。しゃっきり背筋を伸ばして座ります。「良い姿勢」「正しい姿勢」というくらいですから、背筋を伸ばし、腰を真っ直ぐにしたその姿勢は、やっぱり体にも良いのです。

それなのに、なぜその「良い姿勢」がずっと保てないのでしょう。

それは「悪い姿勢」の方が楽だから、なんでしょうね。「良い姿勢」はくたびれる。「悪い姿勢」はだらしないけど楽。

そう思うと、「良い方を選び取ること」「良い状態を保ち続けること」は、実は難しいことなんだなぁと思います。えりさん曰く、「慣れれば良い姿勢の方が楽になる」とのことですが、だらしない姿勢に慣れきってしまっているクドウにとっては、その境地に達するまでにだいぶ時間がかかりそうです…。諦めずにぼちぼちがんばろ。

「あなたの前に良いものと悪いものがあります。どちらを選びますか」と言われれば、誰もが普通は「良い方」を選びたいはず。それなのに、実際には「自分にとって良い方を選ぶ」のは困難で、「良い方ではないけれど、自分にとって楽な方を選ぶ」ということをしてしまっている。こういうことが、体の姿勢以外にも私たちの周りにはたくさんありそうです。

ちゃんとしたご飯食べた方がいいのになーって思いながら、面倒でいい加減なものでお腹を膨らませて済ませてしまったり。早く寝なきゃなーって思いながらダラダラ夜ふかししちゃったり。運動しなきゃーって言いながら、何も始めようとしなかったり。

内面的なものもそうですよね。誰かが陰口みたいな話をしているのを諌めることもできず、何となく場に合わせて頷いちゃってたり。困っている人がいることを知りながら、自分のことで手一杯で配慮するのを怠ったり。耳に痛いけど大事なアドバイスをしてくれる人を知りながら、つい敬遠しちゃったり。ありがとうやごめんなさいといった言葉を言うべき時に、気恥ずかしさや気まずさが先に立ってしまって先延ばしにしたり。

冒頭に引用した聖句、「狭い門から入りなさい」はとても有名な言葉ですが、それに続く「滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い」という言葉にはぎくっとさせられます。広々した、滅びへの道……。その先にあるものは自分にとって良くないものだと知りつつも、楽に歩ける目先の広い道を選んでしまいがちな私たち。

「本当は、どうすることが自分にとって良いことか」を、長い目でよく考えないといけませんね。もちろん、あんまりストイックになるのも息が詰まってしまうものですけれども、「自分は『良い方』ではなく、『楽な方』を選んではいないかな」と、時々は自分自身を点検したいものです。「そして、たとえ少々困難であっても、本当に自分をより良く高めてくれる方を選べるように、真の意味で「自分を大事に」していけたらなぁと思います。

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