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オススメするのも躊躇するほど衝撃だった「奪われた僕たち」

久しぶりに度肝を抜かれるドラマに
出会ってしまったと思った。
それは、好きとか嫌いとかそういう
次元をゆうに超えていて、各話が
終わるごとに自分の中にずっしりと
重たい何かが残るような、そこから
逃れようとしても、目を背けては
いけないと思わされるようなそんな
感覚だった。過去に見た作品だと、
「アバランチ」や「エルピス」を
見たときの感覚に近い気がする。

MBSに新設された”ドラマフィル”。
その前身となる”ドラマシャワー”は
KADOKAWAが設立したBLドラマ
レーベル「トゥンク」の元、1年間
限定の枠としてスタート。好評に
つき、その後も放送が継続された。
この枠の最後を飾ったドラマ、
「マイストロベリーフィルム」は
それまでのBLドラマとは異なり、
ボーイズラブ以外の要素も含んだ
ドラマだったため、私はてっきり
ドラマフィルは様々な恋愛模様を
描く枠になるのだと思っていた。
しかし、その予想は思わぬ形で
裏切られることになった。
ドラマフィル枠1作目として放送
されたそのドラマは、恋愛の”れ”の
字もないようなとんでもない衝撃
作品だったのだ。


衝撃作すぎた「奪われた僕たち」

この作品は、善人からヒール役まで
様々な役をこなす須賀健太と、舞台
俳優界では知らない人はいないほど
高い人気を誇る荒牧慶彦がW主演を
務めた、サイコスリラー作品である。

あらすじ
目覚める男。体が思うように
動かないようだ。そこに近付く男。
動かない体で、何とか逃げようと
する男。ゆっくりと追い詰めていく
何者か。やがて男の体に、凶器が
振り下ろされ――。
細かい仕事で何とか食い繋ぐ日々が
続く自身の現状に、行き詰まりを
感じるフリーの映像ディレクター
堺洋一。自宅兼事務所のマンション
に帰ると、荷物と手紙が届いていた。
荷物に添えられていた手紙には、
”私の活動を記録してくれませんか?
一度ご連絡下さい。きっと、興味を
持って頂けると思います”の文字。
そして、仕事に溢れた堺は、軽い
気持ちで荷物を開け、愕然とする―。
中には、人間の指が一本入っていた。
「……!」言葉を失う。警察に電話
しようとするが、直前でその手を
止め、考え込む。「これは、人生を
変えるきっかけになるのでは……」
そんな予感で、書かれていた連絡
先にコンタクトを取る事にした。
そして、指定された郊外に佇む家を
訪れる。中に入ると、堺洋一を迎え
たのは、一人の男、光見京だった。
光見京と出会った事で、殺人の
記録を撮り続ける事になった
堺洋一に何が待ち受けるのか…。
 

ホームページから引用

情報解禁された日、このあらすじを
読みながら、どっちがどっちの役を
やるのだろうかと思った記憶がある。
荒牧慶彦は舞台だと高貴な役柄、
ドラマだと人懐っこい役柄という
印象が強いけれど、闇落ち役もまた
かなり似合うイメージがあった。
そして、須賀健太はここ最近、
これまでの可愛らしいという印象を
一気に塗り替える狂気役が多い
印象があった。どちらかというと、
須賀健太が光見役かと思っていたが
最終話まで見終えた今、何の疑問も
抱かず光見役は荒牧慶彦で、堺役が
須賀健太だったと言い切れる。

この作品は、内容のヘビーさも含め
なかなか大々的にオススメ!と
言えるタイプの作品ではない。でも
誰かに伝えたい。というわけで、
一人で抱えているこの作品の凄さを、
2人の演技の素晴らしさも合わせて
吐き出していきたい。

自己が確立された光見の怖さ

光見京という男は、サイコパスだ。
表面はピアノ講師としてにこやかに
子どもたちにピアノを教えながら、
裏面では、裁かれない罪を犯した
人を殺している。堺が撮影を始めて
最初に犠牲となったのが、虐待の
通知を受けながらも、動かなかった
市役所職員。この作品の恐ろしさを
最初に感じたのはここだった。
光見の考えは既に確立されていて、
何を言ってもびくともしないことを
痛感させられたからだと思う。

市役所職員の中に助けたい気持ちが
あったとしても、市役所の方針で
動けなかっただけにしても、きっと
そんなことは関係ないのだ。光見に
とっては通報を受けたのに動かず、
見殺しにしたということがすべて。

光見には、結果以外どうでもいい。
その人だって本当はなんて可能性を
諭したところで、届くことはない。
光見の活動の軸は他人の命を奪った
人間に報いを受けさせること。
報いを受けさせるため自分で殺す。
この行動は矛盾してるように思う。
だとしたら、光見も報いを受ける
立場になるからだ。しかし、光見は
それすらも自分で理解している。
その証拠に、堺に対して、捕まれば
自分は死刑になると話していた。
罪の意識はあるけど活動を続ける。
正論で止めようと光見は変わらない。

自分の中に確固たる信念があって、
いつか自分も報いを受けると悟った
光見には、何を言っても無駄だと
思わされる。すべてを悟ったような
佇まいこそが光見の怖さだと思う。

光見を否定できなくなる堺

度肝を抜かれたのは第2話のラスト。
光見の話を聞いた堺は、自身の作品で
かつて取材をしていた被害者遺族の
元を訪れる。そこで堺は、苦しみを
抱えたままの遺族と対面する。

その足で今度は加害者の元を訪れる
堺。加害者は結婚し、妻のお腹には
新しい命が存在していた。複雑な
感情を抱きながら事件について聞く
堺に対し、加害者はこう答えた。

「罪償ったんで」
「関わらないでください」

その言葉を聞いて、堺の中で何かが
崩れた。堺は加害者を殴り、大きな
コンクリートブロックで加害者の
頭を殴ろうとする。

その後ろでは、光見が調律している
ピアノの音が不穏に鳴り響く。

この瞬間、堺は光見側に堕ちたと
言っても過言ではないと思う。
人の命を奪った報いを受けさせる
ためにその人を殺す光見と、罪を
償ったからと被害者遺族の痛みを
忘れる加害者を殺そうとした堺。

光見の活動を非難していたはずが、
自分も同じ加害性を持っていた
堺を見て、私は完全に食らった。

何かの作品で人を殺めてしまう
可能性は誰にでもあって、その
ボーダーは意外と身近にあるという
話を聞いたことがある。堺がその
ボーダーを超えようとした瞬間を
私は見せつけられた。なんて惨い
ドラマなんだと衝撃を受けた。

でも「奪われた僕たち」はここで
止まらず第3話から、その惨さは
さらに勢いを増した。

光見は、一線を超えそうになった
堺に対し、自分の活動を止めようと
思えば止められる位置にいたのに、
止めなかった君もまた犯罪者だと
言う。ここでさらに私は食らった。

第1話の被害者は、虐待の通報を
受けていたにも関わらず見過ごした
市役所の職員だった。堺も同じだ。
目の前で殺人が行われているのに、
撮影しているのに、止めなかった。
堺は光見でもあり、光見が殺した
被害者でもあるのかもしれない。
そう思わされる構成に、私はもう
動けなくなってしまった。

誰のことも許していない光見

光見の計画には当初、協力者がいた。
学生時代から光見を慕う竹下だ。

竹下は、最初の殺人の目撃者だった。
学生時代、いじめの主犯だった滝沢
という生徒を殺した光見。命は平等
と言いながら、何もしない人たちに
嫌悪感を抱いていた竹下は、唯一
口だけではない裁きを下した光見を
崇拝するようになる。だからこそ、
光見の活動にも協力的だった。

憧れの光見と作業ができることが
嬉しかったのか、薬学部の知識を
生かして光見に協力しはじめる。
そして注射に入れる薬品が完成する。

すると光見は竹下に自分を殺すように
指示する。人を殺めた自分も裁かれる
べき。だからこの計画は僕を殺して、
君が引き継いでくれと。でも、光見を
崇拝する竹下にそんなことができる
はずがない。竹下が拒むと、光見は
容赦なく竹下に注射を打った。

光見からすれば、滝沢を殺した自分を
崇拝した竹下も裁かれる側の人間。
きっと初めから、光見は誰のことも
許してない。もちろん自分のことも。
協力を頼んだ竹下ですら光見は
躊躇わずに殺せてしまう。光見に
許される人なんているのか、竹下が
苦しむ姿を画面越しに見ているだけの
私にはもう分からなくなっていた。

人の持つ加害性とボーダー

※ここからは本格的なネタバレ有



第5話では、村で起きた毒殺事件の
加害者が光見の母だということが
明らかになる。堺はこの事件で
両親を失っていた。

光見の母は、越してきたばかりの
村でお店を営んでいた。しかし、
ある時、集会への不参加を伝えた
ことがきっかけで村八分にされる
ようになった。店に入られ、光見の
ピアノが壊されるなど、嫌がらせは
次第にヒートアップしていった。

崩れゆく母を見た光見は、ネットで
毒物を購入した。本当に殺す気が
あったかは定かではない。ただ、
いつでも住人たちを殺せるんだと
心を保つために、お守りのような
感覚でそれを持っていた。しかし、
ある日母がそれを見つけてしまう。
自分自身も追い詰められていた上に、
息子が毒物を購入するまでになった
現状に耐えきれなかったのか、母親は
その毒物を飲み物に混ぜて、村の
住民たちを殺し、自分も命を絶った。

堺の両親は、直接手は加えていない
ものの、村八分にされる光見の母を
見て見ぬふりして過ごしていた。
堺も幼いながらそれを感じていた。

光見の話からその記憶が蘇った堺は
両親を「奪われた」憤りと、同時に
光見も「奪われた」側だということ、
自分の両親も「奪った」側かもしれ
ないという事実に雁字搦めになり、
光見を刺した。というより、光見に
刺すように仕向けられたと言った
ほうが正しいかもしれない。

それは言葉が出ないラストだった。
集会への参加を断っただけで陰湿な
いじめをして村八分にした住民たち、
追い詰められて住民たちを毒殺した
光見の母、そのきっかけとなる毒物
を購入した光見、そしてその光見を
殺す堺。奪われていく連鎖。堺が
光見を刺すたび、誰もが被害者にも
加害者にもなり得るということを
深く刻み込まれた。

そしてこの作品は、恐ろしい場面を
ポップに描く演出が幾度となく
用いられていた。まるで楽しいことが
起こったような明るい楽曲の中で
人が消えていく。その演出こそが、
加害者と被害者のボーダーそのもので
堺と光見の間で揺らぐ正義と悪を
体現しているような気がした。

新枠で一本目からこんなに衝撃を
与えてくるかね…と言葉を失った。
荒牧慶彦の温度を感じない、今にも
消えてしまいそうな儚さと冷酷さ、
須賀健太のこの世界の全て諦めて
いるような冷たい空気感に飲まれて、
目を背けたいと思いながら最後まで
背けることができなかった。

それでいて、ドラマフィル枠2作目は
ビジネスで結婚した2人の恋模様を
描き、3作目では年の差BLドラマを
放送するというからふり幅が凄い。
1本目から衝撃作品を持ってきた
ドラマフィル枠、これからの作品が
どんな形になるのか楽しみだ。

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