SVについて③

費用的な問題はありますが、SVはやはり必要なように感じます。自分自身もちょくちょく受けていない時期があり、その時期は「果たして自分の支援がどの程度適切なのか」と、確かめる足場のないような感覚を覚えます。

でも、SVで何が得られているのか。

代わりの手段はないのか。


SVで得られるものについてまず浮かぶのが、他者の視点を獲得するということ。カウンセリングについて同業者と話していると「○○先生の言葉が降りてきた」みたいなことを聞くことがあります。

つまり、スーパーバイザーの視点が、自分の中に取り込まれ、面接中で「先生なら何と言うだろう」と吟味し、それがふさわしいタイミングで言葉が発せられる。これは単に真似るということではなく、指導者の視点が支援者の中に取り込まれていくことを示唆しています。

支援の中で、自分の関わりをセルフチェックする視点というのは、控え目に言ってめちゃくちゃ重要です。必須、必要不可欠と言って差し障りがない。そうした視点を培う場というのが1つ、SVの役割としてまずあるでしょう。

そう考えると、もしSVの経験が得にくい状況であるならば、例えば同僚や仲間に話をしてみる、意見を聞く、または入門書を読み返してみるなどは、代替の学びとして有用なのかもしれません。


また、もう一つ、似た内容になりますが、自分の関わりを一歩引いてみる経験も得られます。これはSVの資料作りなどで顕著ですが、自分の関わりを、その状況を想起しながら言語化、つまり文字に書き起こしてみること。

それ自体でも、自分の体験を相対化するトレーニングになりますが、さらにそれを他者に話すと言う経験。これ自体、バイジーにとってカウンセリング体験に近いものがある気がします。つまり、支援者としての未完了の体験を、SVを通して自分の中にしっかり落とし込んでいく。見えていない面を発見していく。

もしこうした作業を自分で行うならば、面接の逐語録を作る作業は、似たような側面があるでしょう。自分が面接の瞬間瞬間で、どのようなことを感じ、どう捉え、どのように反応したか。どのような見立てを考え、見立てのもとにどのような行動を起こし、それがリアルタイムに刻々とどのように変化していったのか。

この作業は、実際取り組んでみると1時間あるいはそれ以上はかかります。しかしやってみると、学びも非常に大きいのが分かります。余裕があるなら、特定のケースに絞って日常的に行うと、色々な発見が得られるでしょう。少なくとも支援は滑らかになる(と思います)。


そして、SVから得られるものとして、新しい知見を得ると言う点。これは例えば、技法や、言葉がけの工夫などもありますが、スーパーバイザーの佇まいや言葉遣い、話し方から、意識的・無意識的に学ぶ側面もあります。あるいは、意外とそちらの方が学びの重要度としては大きいのかもしれません。

個人的な印象ですが、SVというと知識や知見の獲得が強調、というか目が行きやすいように思います。しかし、そうした表面的な問題解決は、時に本質を見誤らせます。Clさんでも、問題解決に目がいくことで本質的な悩みから目を背けている(そのように適応している)方が時々いますよね。

こうした点は、書物よりはおそらく、例えば著作を書かれた先生の研修に参加するとか、スーパービジョンを受けるとか、あるいはその先生の動画を見てみるとか、そうすることによってこそ得られる部分なのかもしれません。


今自分が浮かぶ限りでも、これらの学びが挙げられます。多分もっと他にもあるでしょう。そう考えると、スーパービジョンは、ある意味「効率が良い学びの場」なのかもしれません。

スーパービジョンで得られる体験を、自分なりに他の方法で学び補うこともできるでしょうが、恐らく限界がある。

ただし、その限界を踏まえた上で、意識的に自己研鑽を積むのであるならば、別に「スーパービジョンを受けていない」と卑下することもないのではないでしょうか。

スーパービジョンを受けること自体が、専門性の担保ではありません。どのように受けているかの質の問題もある。また、受けてないとしても、そのリスクを踏まえた上で、必要なトレーニングをセルフプロデュースをすることはできる。

それがおそらく専門性ということなのではないでしょうか。

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