臨床観について③

臨床において自分が何を大切にしているか、ということを考えると、最も重要だと感じるのは、「その人の世界を尊重する」という事のように感じます。

まず前提として、私たちは様々な、個々それぞれ異なる生き方をしています。ただ表面上の行動だけではなく、思考はもちろんのこと、感覚レベルで異なる生き方を積み上げながら生きています。

それでもおそらくは社会性動物の特性なのでしょうが、お互いに共感し、互いの感情を感じ取り、同調するということも(測定はできませんが)どうやら行っているわけです。

究極的にはその人を理解する事は不可能なわけですが、それでもその人の感じている世界に言葉を介して歩み寄ることができるし、想像力を駆使して思いを馳せることができる。

カウンセリングの中では、言葉で伝わってくる情報、視覚的に伝わってくる情報、またこちらの感覚の共鳴によって伝わってくる情報を、想像力を駆使し、理論や技法を助けにしながら、「その人がどのような人か」に歩寄って行きます。

その過程で、その人が今どんな困難を感じていて、その背景に何が課題としてあり、それをどのようにすればお手伝いすることができるか。そのようなことをカウンセリングの中では考えています。

時折、他の支援者を見ていると、それを段階的に行わずに真っ向からクライエントに直面させたり、精神的なキャパシティなどを考慮せずに、支援を進めようとする方も見受けられます。

そのような場合、相談が中断になっていたり、その人の回復度合いにそぐわない過酷な労働をしているようなことも見受けられます。

そのように考えていて気付くのは、おそらくカウンセリングでは、その人の思考、感情、行動、また感受性、感覚、そしてどのように生きたいかと言う意思や方向性、価値観、選択。そのような生きる営みを、見つめ、支え、深めるのを手伝う仕事なのではないか、と思いました。

でもこれが最適解というようにも、ちょっと感じられないなぁ。

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