インテークについて⑥

インテークについて、非常に重要に思うことがあります。それは、相手の痛みに寄り添うと言うことです。

カウンセリングをしていると、クライエントさんの中には、自分が何で困っているのかわからない、と言う方もいらっしゃいます。往々にして、自分の悩みを言語化できると言うのは、自身の中である程度問題が整理できていることを示します。

逆に「何に困っているかわからない」といった訴えは、それだけ状況が深刻か、あるいは感覚や感情がその方自身に統合されていない(しかし支援を求められている)と推測されます。

それを推し量るには、その方の現在の生活状況や生育歴のみでは把握しにくい。よりメタな視点、その人の佇まい、表情、話し方、内容のまとまりの良さや質など。そうしたものが目安となります。

困っていることが言えなければ、カウンセリングができない訳ではありません。

むしろその方の痛みや、耐え難さ、抱えきれなさ、やりきれなさ。そういった諸々のことを、推し量りながら傍に寄り添うことで、せめて安全であることを伝えられるはずなのです。

しかし、こうした姿勢というものは、容赦なくカウンセラーの姿勢や言動に現れます。それは細かな言葉の選択であり、クライエントの捉え方であり、クライエントに示す表情や姿勢態度などです。

特に顕著に現れるのは、おそらく専門職との会話の際でしょう。時折、残酷な位にクライエントに寄り添わない、突き放すような関わり方をするセラピストがいます。また、弱者として教え導くかのように関わる支援者もいます。

そうした時、それを指摘できる状況があれば救いがありますが、「伝える」というのはそれ程容易でもありません。受け取る側に準備があること、またそれを支えるに足る関係性が必要です。ただ言えば良いものではなく、その点こそが難しい。

そうした場面に出くわすと、私はひどく残念な、やるせない気持ちに陥ります。

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