教育分析について③

教育分析を受けて感じるのは、自分自身のカウンセリング体験としても、非常に役立っているという点です。

支援者は、常に純然たる支援者にはなりえません。支援者の当事者性と言うものが話題となりますが、支援者も自分自身の生育歴から培ってきた、パーソナリティーや病理を抱きながら生きています。

自分自身を知ると言う事は、支援のみならず、他の職種との連携や、スーパービジョンの受け方、職場での働き方など、多岐にわたって影響を及ぼします。

そうした、自分自身に向き合う体験を、カウンセリングや個人分析、教育分析といった面接構造の中で取り組むと言うことが、カウンセリングを実施するのにも反映されます。

カウンセリング以外の時間をクライエントがどのように過ごし、また一挙手一投足がどのように影響を及ぼし、面接構造がどのような守りを与えてくれるのか、といったことを肌で感じ取ることができる。

むしろ、率直に言えば、カウンセラーは誰しも、まず自分自身がカウンセリングを受ける体験を積み重ねる必要が、トレーニングとしてもあると私は考えています。

しかし、特に過去にトラウマ体験があるような方の場合、支援者であっても、自分自身がカウンセリングを受けることに躊躇すると言うような傾向が見られます。

これはある意味とても自然な反応ではあるのですが、なかなか難しいものです。

カウンセリングや個人分析を受けるにあたり、その必要性がまず内発的に自信から湧いてきた方が良い。人から言われてやると言うのは、動機の出発点としてその後大きく歪みが生じ得る。

また、多くの場合、意識下の抵抗感や、トラウマ体験により刻まれた身体的反応など、コントロールできない領域において、カウンセリングの抵抗感は生じやすいです。

また、仮にカウンセリングや個人分析を受け始めたとしても、その指導者との相性は非常に大きな影響を及ぼします。

私の場合、非常に幸運に恵まれ、自身と相性の良い先生に巡り会えたように感じます。相性が形作られていったともいえます。

しかし周りを見ていると、逆に個人分析や教育分析の中で気づきを持ってしまうようなパターンを見ますし、周りを見ていると、決してそれは少なくは無いようです。研修の場でも、そういった事例に言及されていることがあります。

なので、支援者自身のカウンセリング体験や教育面積などは、非常に重要なものではあるのですが、出会い方が難しい。これはスーパービジョンにおいても同様でしょう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?