見出し画像

先生に想いを託されたペンは今僕の想いを書き綴る

僕の年季の入った(ボロボロの)筆箱には、100円ほどのネームペンや定規と共に、立派なペンが二本入っています。

こちらと

画像2

こちらです。

画像1


どちらもいただきものです。青い方は高校三年生の時に国語科の先生から、琉球松の方は先日初めてお会いしたおじ様から贈られました。贈られてから毎日使わせていただいています。

僕にとってこの二本のペンはお守りみたいになっています。

今日はその二本のペンのエピソードをお話しします。深イイ話しかどうか判定をお願いします。


青い方のペンのエピソード

高校三年生の時、僕は受験勉強の傍ら一本の短編を書き上げました。どうしても書きたくてたまらない切ない出来事があって、作品にしたんですね。

それまでの人生とその頃の苦しさをぶつけて作品とすることで気持ちに整理をつけたという形です。

あれが僕が初めて完成させた物語でした。

親友との思い出、両親の離婚、足の病気、不登校だった頃のこと、父とのこと、大切な人を傷つけたこと…そういうものを無理やり全部突っ込んで書きました。

書いている間はいろいろ思い出して、自分を真剣に書くってこんなに苦しいのかと気が狂いそうでした(少々大げさ)。それでも書きたい、書かなければという気持ちが強くあってなんとか形になりました。

そうして書き上がったばかりの、誤字ばかりの作品を、僕はいつも図書室に居る島袋先生に見せに行きました。初めて書き上げた作品をどうしても読んでもらいたかったんです。「こんなに身を削ったんだ、誰かに読ませたい」と必死でした。酷評される怖さもかなりありましたが。

作品については、今読み返してみると拙いところばかりですが、あの頃の重たい空気がしっかりと乗っかっていてちゃんと胸がキュッと苦しくなります(笑)

数日後、廊下で島袋先生とすれ違った時「時間があれば、放課後に図書室に来てください。原稿読んだのでお返しします」と声をかけられました。

いよいよか…と思いつつ、気になって仕方がなくて、掃除もそこそこに階段を駆け下り図書室へ向かいました。

司書室で司書のお姉さんと談笑している先生に声をかけ、先生が出てくるのを待ちます。

少しして出てきた島袋先生は、僕の原稿に青いペンを添えて渡してくれました。筆記体で僕の名前が彫ってあってかっこいいんです。

僕が受け取ると先生は「高校を卒業してもぜひ書き続けてください。そのペンは私からのプレゼントです」と言って微笑み、それから、僕の作品について優しい感想を述べてくださり、他の国語の先生と当時の僕の担任にもつい見せてしまいましたと伝えてくれました。嬉しくて泣きそうでした。

どうやら他の先生にも見せましたというのは本当だったようで、廊下ですれ違った他の国語科の先生数人から「よかったよ」と言われたのを覚えています。担任も一言ではない感想を伝えてくれました。優しい先生たちだなあとしみじみ思いました。


そんな歴史を踏まえて、改めて青いペンを見てみましょう笑。

画像3

ね、いいペンでしょ。


琉球松のペンのエピソード

こちらは直近の出来事すぎて先ほどのペンほど厚みのある話ではありませんが、なんとかします笑。

僕は高校を卒業して富山大学に入学しました。沖縄の友達に富山に行くことを話した時には「富山ってどこだっけ?」とか「富山って何があったっけ?」「米騒動…?」と言われたりしました。

そんな富山で僕はいろいろ新たなことを始め(いろいろ迷惑もかけ)、たくさんの方と繋がりました。まさかまさかの沖縄県民のおっちゃんとも繋がることができました。

そのまさかで繋がったおっちゃんが紹介してくれたおじ様とつい一昨日お会いしたんです。ランチを奢っていただきました。

その方、岡山にある大学の入試課で働いているそうですが今は沖縄に住んでいるんだそうです。お孫さんが3名いて一緒に楽しく暮らしているそうです。一応名刺をもらったのですがいろいろアクティブにやっていらっしゃるスーパーマンなもので結局よくわかりませんでした。

一昨日がほんとに初対面でしたが、会った瞬間にわかる優しいオーラみたいなものを感じて終始安心してお話しできました。お店の方とのやり取りや話し方、話す内容、僕の話を聞く姿勢などから人類愛的なものをビンビンに感じる紳士な方でした。

そのおじ様が、ご飯を食べた後にくれたのが琉球松のペンでした。僕がライターをしていると事前にメッセージのやりとりで伝えていたので用意してくれたのです。

ペンには漢字で名前が刻まれています。

ペンを渡す時のおじ様の言葉が忘れられません。
りょうや君ね、最初にFacebookで名前を見た時にすごくいい漢字の並びだなって思ったんだよ。久高諒也。作家としての名前もこのままでいいと思う。僕は別に姓名判断とかはできないけど、すごくかっこいい字面だなって感心して、それで漢字で名前を彫ってもらったんだよ」とのことでした。

こんなに嬉しい名前の褒め方ありますか!?

家に帰って箱を開けると、琉球松の鮮やかな茶色が目に入り、琉球松が放つ甘い匂いがほんのりして「おぉぉ、かっこいい(語彙力喪失)」と素直に喜びが溢れました。青いのと合わせて毎日使っていこうと思います。


初対面の方からもらってまだ二日のペンなのでエピソードとしてはこれくらいですね。これから時間をかけて物語が紡がれて行くことと思います。


それでは、改めて琉球松のペンを見てみましょう。

画像4

いいですねえ。


贈り物ってええな

noteでは度々述べているように、我が家は裕福な家庭ではなく(真面目な分類でいうと貧困層と言ってよい)僕の持ち物のほとんどはお下がりや贈り物で構成されています。

服はいとこや弟から(そう、弟からなのである)もらったものがほとんどで、あとは古着です。高校まで、本はほぼ全て家族以外の方から買ってもらっていました。参考書は、お世話になった先生がお金をくれてそれで買っていました。シャーペンは紹介した二本しか持っていません。今これを書いているMacBookも僕に期待をかけてくれる方からのいただきものです。

そんな感じなので、おかげで僕の持つ物には僕とつながりのある人たちの想いや物語が溢れています。

贈り物やおさがりには「お金じゃないつながりがある」というメッセージが込められてる感じがします。存在自体を認め合う関係というか、そういう温かみを感じます(とか言いながら忘れん坊が病的なので心苦しいのですが・・・)。

いかがでしょうか?

最近は新品を買うよりこっちの方が面白いんじゃないかと思っています。単なるルサンチマンですかね笑

まあでも、そろそろ新品を買って丁寧に使ってから人に譲るのもアリですね。人に贈る方になれる経済力を持った、贈る喜びを噛み締められる大人になりたいものです。

人に静かに想いを託すってことになんかすごく憧れてるんですよね。「サンタさんからのプレゼントだよ」みたいな感じで、押し付けがましくないプレゼントをして満足できる人でありたい…

以上!


最後に

今日の話題にはほぼ関係ないですが、嬉しいことがあったので報告させてください。

最近、ちょくちょく「りょーやの文章読んでるよ、あれ面白かった」みたいなことを知り合いに言ってもらえるようになって、感激しています。読んでくれてありがとう。

昨日の夜にはTwitterのDMで知り合いではない方から「りょーやさんの書く文章が本当にすきです」というメッセージが来たりして、もう俺死期が近いのだろうかという幸せっぷりです。ありがとうございます。

自分が誰かの働きかけによって感じたポジティブな気持ちを伝えるって、すごく大事なことなんだなと学ばせていただきました。

これからも書き続けていくので、どうぞよろしくお願いします。


今回も最後までお読みいただきありがとうございました。



サポートいただいたお金は、僕自身を作家に育てるため(書籍の購入・新しいことを体験する事など)に使わせていただきます。より良い作品を生み出すことでお返しして参ります。