片内という集落
押方地区、押方小学校付近の集落は『片内』という。
三田井家ともつながりもあり、興梠ともつながりがあり、非常に興味深い集落である。
県境の熊本は馬見原。
馬見原は九州山脈中部の経済の中心で、物資の流通があった。
高千穂から馬見原へ行くには、今でこそバイパスを通ってあっという間だが、昔は山道が主要道路。
ここ、片内地区、そして、以前紹介した芝原また又三郎がいた芝原地区は宿場的役割を果たしていた。
https://note.com/kucky918/n/n7f1dafee591d
※ 芝原又三郎について
片内には6つの森があり、それぞれ『五輪の森』『おんどりの森』『うば森』『いくさの森』『御霊の森』『天神の森』という。
それぞれの森に歴史の謎を秘めた集落と言えよう。
また、縄文土器、弥生土器も発見されたことから、古くからこの地域には人々の生活があったということだ。
『片内天神社』
村の最奥にあり、水源地にもなっている。
鳥居を登ると社がある。
男女2神がそれぞれ2躰。
近江守の神像とされる。
近江守とは初代高千穂太郎の弟と伝えられており、初代という事は、大分県豊後の大神大太惟基の長男「政次」の弟、阿南次郎ということになる。
阿南氏は16世の孫は三田井の田尻家を継ぎ、高千穂神社の宮司となる。
阿南次郎は大分県豊後阿南郷を任されたので、直接の次男ではないが、この一族であると思われる。
また、上野の橋口地区にある阿南家の先祖供養塔に近江惟吉弟押方片内有墓と書かれてあり、阿南家と片内のなんらかの関係があるが、はっきりとは分からない。
高千穂太郎の乳母がいたとされる『うば森』もあることから、この地域に始めは住んだ!?とも可能性があり、昔の主要道路でもあるから、三田井氏の有力な一族として肥後方面からの備えとして守っていたと考えられる。
また、天神様ということで、雷がよく落ちていたので、雷除けとして作られたと伝えられている。
また、押方小学校裏には『五輪の森』があり、高千穂では1番古い石が使われていると西川先生は言われる。
小学校ができるまでは沢山の五輪塔があったそうだが、埋められてしまったのかあまり発見できないが、文久2年壬戌3月の建立の宝篋印塔がある。
また、『御霊の森』には御霊様の屋敷跡が山中家上にあったそうだが、倒壊し、礎石のみ残っており、御神像は興梠家に祀られてある。
三田井家最後の城主、三田井親武公夫妻の像と言われている。
また、その四男鎮氏が兄の重信に殺害され、その不運を悲しんだ住民が御霊大明神として、祀ったとも言われている。
個人的に興味があるのは、興梠一族が、ここ片内にも存在しており、系図をみると三毛入野命とあるが、三田井本組の興梠とは異なる事が、どのように分かれていったのか、または名乗ったのか!?そのつながりが気になるところだ。
今回、まだまだ分からない点も多々あるが、今後も勉強していきたい。
皆様からのご教授願いたいところだ。
参考文献
甲斐畩常著 高千穂村々探訪
高千穂の故事伝説・民話
興梠隆著 故郷 片内村