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鬼三の名は? 高千穂を取り巻く阿蘇と宇佐

旭大神文書において、初めて登場する鬼八。

この文書においては、首を切られ霜を降らせたとは記載されていない。

この文書は文治5年(1189)の書である。

その後の建武5年(1338)においても霜というワードは出てこない。

延宝2年(1674)の高千穂庄神明帳においても鬼八は出てくるが、霜宮とは出てこない。

霜宮と出てくるのは、私が持っている資料では文久3年(1863)樋口種実の高千穂庄神蹟明細記で登場する。

阿蘇家伝(江戸後期)、阿蘇写略記、共に健磐龍命が五穀豊穣のために、「霜宮」を祭るとして「鬼八」の名前はでていない。
 肥後国志(大正5年)には、大明神の使臣「鬼八法師」が出てきて霜を降らせ「霜宮」と祭られたとしている。
 これらの文書と旭大神文書のとあわせ考えると「きはち」は旭大神文書が一番古く、これが肥後へ伝わり、「キンパチ」となり「霜宮」と結び付いた。それが逆に高千穂へ移入され“霜宮鬼八”となった。

鬼八の祟りを鎮魂するために始められたししかけ祭りは元々は霜とは結びついておらず、純粋に鬼八の霊魂を鎮めるためだったのだろう。

次に十社大明神こと三毛入野命の名が出てきたのは、安永5年(1776)の御神体奉作彩色書附である。

旭大神文書において十社と明記されているので、十社様はおられたと思われるが、神武天皇の王子、正市位様とあり、神武の王子ということは、日子八耳命であることはご承知の通りだが、「宇佐八幡宮縁起」や「阿蘇嶽御縁起」において共通して書かれてあるのは、神武天皇の第一王子は「高千穂明神」次兄は「阿蘇嶽明神」最弟は「八幡大菩薩」とある。

つまりは、①高千穂②阿蘇③宇佐となる。

今では、長男が跡取りという認識が高いと思うが、古事記・日本書紀からも見られる末子が跡取りになることが多く、宇佐領として強い勢力を持っていた宇佐氏が高千穂を支配すべく、長兄とし、自らは三男としたのではないだろうか?

これは高千穂神社門主神であるが、宇佐神宮の善神王のお祭りしているものと同じであるという社伝も残されている。

上が右の門主、高良明神、下が左の門主で阿蘇大明神とある。

現在は伊邪那岐、伊邪那美であるという。

高千穂を取り巻く宇佐と、阿蘇の関係は今後の課題とする。

次兄である阿蘇大明神は神武天皇の、次男神八耳命の息子健磐龍命であるから、間違いがなそうであるし、三男の神渟名川耳命は2代目天皇ということで、宇佐神宮が重要なポジションであったということであろう。

ということは高千穂明神は、やはり日子八井耳命なのであろうか??

草部吉見神社の説明で高千穂に留まった日子八井耳命が草部へ移り、大蛇を倒したとある。

https://note.com/kucky918/n/nb6d2bd740adc
以前草部吉見神社についてまとめたもの。

この草部は日下部氏と関連がありそうで、阿蘇神社の神官群の中枢に日下部氏の名があるという。

九州の日下部氏族はいずれも古代の要地に拠点を置く。阿蘇の祖族、「草部吉見(くさかべよしみ)氏族」も日下部とされる。草部吉見氏族は阿蘇の主神、健磐龍命を祖とする阿蘇国造、阿蘇大宮司家よりも古い阿蘇の族。祖神の草部吉見神は神武天皇の皇子、日子八井命とされる。その裔とされる阿蘇神社の神官群の中枢に日下部(草部)氏がある。
高良大社の祠官家に日下部(草壁)氏。また、景行期に火の葦北に入った吉備氏族。

日下部氏の系譜より引用

https://blog.goo.ne.jp/araki-sennen/e/d1be380db7c17442b32223f925f5e445

草部にも尾仲野神社という高千穂八十八社があるが、この大蛇が鬼八と同じように、阿蘇一族に敗れたと言っても過言ではないだろう。

高千穂神社の門主神にもある高良明神とも関連があり、やはり宇佐、阿蘇、そして、日下部氏が重要氏族であるのは間違いなさそうだ。

この大蛇が何者であるか!?

蛇といえば、大物主神、三輪。

豊後大神氏の祖である。

蛇神である。

つまり、阿蘇一族と高千穂を支配した大神氏の戦いではないだろうか??

お互いの領地争いとして、草部はその中間だったのではないだろうか?

日子八井耳命が高千穂から、この地へ移られたというのであれば、大神氏から奪われた旧三田井家(興梠)が阿蘇氏と婚姻関係を結ぶため、ここ草部で居を構えた。

というのが、腑に落ちる。

そう考えると、槵觸神社で宮相撲をした力士は翌日草部吉見神社でも相撲をした事や、阿蘇霜宮として、興梠氏の者が火焚き神事に奉仕していたことも繋がってくる。

高千穂神社や興梠家系図など、過去の焼失により、詳しく事が分からない現在であるが、意図的な火災ではないかと思う。

それが、分かっては不都合である氏族が何者かは分からないが、消されてしまったのではないだろうか?

こういった歴史ミステリーが非常に楽しい。

気になる神社の祭りを今後は見に行きたいものである。

参考文献
高千穂皇神の御栄え
天孫神蹟地 大高千穂の全貌
別表に掲げる神社に指定申請






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