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平井俊徳の村々探訪 故事伝説・民話を巡る

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高千穂郷を中心とした村々の歴史を基に、自分で歩いて見たものや、聞いたこと。 そして、知識として得たことを紹介出来たらなと思っています。
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2021年6月の記事一覧

土持氏の第二の居城 西階城 再び

土持氏の第二の居城 西階城 再び

改めて城廻りをしてみた。

以前まとめたものをまずはご覧いただきたい。

さて、ここは延岡市西階。

金堂ヶ池の北側に城跡がある。

ただし、看板はしっかりあるわけではないので正直分かりづらい。

この看板はテニスコートより横の道を登っていくと戦没者慰霊塔があり、そこから西側の山の中へ行く前にある。
よって、テニスコート側より目指す方が分かりやすいと思う。

このように、二の丸、本丸近辺には堀切や

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佐藤越後守

佐藤越後守

ついに天正6年、大友と島津の争いが始まった。

まずは秋月と繋がりがある吉村氏(旧姓が秋月氏)が守る玄武城を攻めた。これは、三田井氏を倒し高千穂を奪うため、土持氏と密に通じていたと評が流れていたからであるが、秋月氏は大友氏とも対立関係にあったものによるのが1番だと思う。

玄武城を落とした大友勢は島津方と通じている日向の入り口を阻む土持氏をは倒そうと縣の松尾城へ兵を向けた。

ところが、大友本隊が

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甲斐宗摂 其の2

甲斐宗摂 其の2

主君である三田井親武を討った不忠者である甲斐宗摂。

いろいろな説があるが、「高千穂治乱記」には

「もしそなたが協力してくれたら、私が太閤殿下に御とりなししましょう」

と言い、利を求め元種の策に同意した。

宗摂は三田井家の中でも重臣であり、城の中も知り尽くしている。

夜中に三田井親武公の御寝所へ忍び込み、手槍にて一突き、御首を討った。その後火を放ち、「三田井親武が首、高橋が軍兵討ち取ったり

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甲斐宗摂 其の1

甲斐宗摂 其の1

慶長4年(1599)高千穂48塁の一つである現日之影町の中崎城主、甲斐宗摂は縣藩主、高橋元種に攻められ、高千穂町と日之影町の堺、鶴の平で自決しようとしたところ、元種の追手、又助は切腹する前に首を落としたという。

これにより、戦国領主である甲斐氏は滅びた。

今でも日之影町大人地区では生前宗摂が好きだったという歌舞伎が伝承されて、大人神社に『宗摂八幡』として合祀され、村人からも慕われていたことが分

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