吉口周吾の口四丁(くちよんちょう)

吉口周吾の口四丁(くちよんちょう)

最近の記事

愚にも(思い)つかない

記念すべき50回目であり、noteを始めてから(ほぼ)一年の区切りでもある。しかし考えてみれば50という数字が「記念すべき」感じがするのは、100の半分であるというところが大きいのではないか。となれば、今回をしっかり記念にするには100回を目標にしなければ意味がない。毎週更新は今回で一旦やめにすると決めたので、その目標は未来の僕に託そう。 毎週何かを書くという生活をしてみると、いかに自分がトピックスやエピソードやイベントのない人生を送っているかに気付かされる。あっという間に

    • ※これはつまらない文章です

      最近とあるWEB記事に辿り着いて少し読んだ。それは「◯◯な人5選」みたいな内容の記事で、なんの根拠もない5選のそれぞれに対して筆者が偏見と悪意に塗れた意見を面白おかしく述べている感じだった。一目でわかるジョーク記事である。 正直なところ、その記事は僕には刺さらなかった。別に「他人に対する偏見をジョークにするな」「性格の悪さをコンテンツにするな」みたいなイマっぽい炎上めいたことを言いたいわけではなくて、単純にその記事のユーモアは(僕にとって)つまらなかった。元来僕は、性格の悪い

      • ノームコアの向こうは

        下着じゃない方のパンツのことをパンツと呼ぶのに慣れた。一昔前だとパンツとかアウターとかは「ぶっている」言葉として扱われがちだったし東京03もそんなコントをやっていたけれど、いつの間にか随分市民権を得たものだ。(言葉にダサいも何もないとは思うのだけれど、便宜上言うならば)ズボンと呼ぶダサさとパンツと呼ぶ恥ずかしさを天秤にかけて、前者の重みが増してきた感じがする。 それでも僕の中でボトムスはいまだにキリコ・キュービィが登場する装甲騎兵のアレみたいだなと思うし、トップスはいまだにチ

        • 春を待ちながら

          それでも暮らしは続いていく。 マイナンバーカードの暗証番号を間違えて、ロックされてしまった。しかもこれで2回目だ。こういうときに使用する4桁の数字なんて自分の中では数パターンしかないのに、前回の僕は気まぐれにセキュリティ精神を発揮していつもと違う数字を設定していたらしい。ある意味ではその効果を実証できたわけだが、締め出されるのが自分自身になるとは。暗証番号なんて、マイナンバーよりもマイナンバーなはずじゃないか。未来の自分は思ったよりも信頼できないのだと肝に銘じて、また区役所

          希少性の魔物

          僕には魔物が潜んでいる。 その魔物はときに僕を苦しめ、またときに気持ちよくもさせてくる。 僕と同時に生まれて、僕とともに大きくなった。 正体は「希少性の魔物」である。 AB型という時点で、日本人の約10%しかいないという。 小さいころから変人のレッテルを貼られ、天才肌のプレッシャーをかけられてきた。 僕が思うに、AB型が変人なのはその気質によるものだけではなくて、周りからのそういう扱いに応えてきた結果でもあるのだろう。しかもちょうど多感な思春期のころ、世間では血液型ごとの「

          忘れもしない忘れた日のこと

          家に帰ると母親にその日の出来事を話すのが習慣だった。泣き虫だった小学校低学年のころなんかは、学校から帰るなり「今日も泣いた!」と内容と一致しない元気な声で報告をしていたらしい。あとはどんな授業があったとか、誰とどんな話をしたかとか、そんななんてことのないことを話していた。タイトルにある「忘れもしない忘れた日」とは中学一年生の11月11日のことで、その日も僕はいつものように帰宅したのだった。 異変はすぐに起きた。というよりも既に起きていた。母親に今日の出来事を話したいのだけれ

          世界の広さオレンジ一個分

          海外に行ったことがない。というよりそもそもの旅行経験が少なくて、国内ですら北海道から出た回数は数える程度だ。中学の修学旅行で行った東北。高校では大阪・京都・奈良・東京に、千葉(という名のディズニーランド)、神奈川(という名の横浜)。プライベートでは小学生のころ家族で行った大阪、卒業旅行で行った京都。せっかくプライベートなのに修学旅行先ともろ被りで、僕にとっての日本はこの範囲しかないのではないかとすら思ってしまう。本当に47もある?あとは埼玉にも数回(翔んで)行ったはずだが、祖

          僕なりのウエストサイドストーリー

          普段モノトーンの服しか着ない僕が、珍しく(なんなら人生初かもしれない)淡いブルーのデニムを買った。北海道の冬はもう少し続くけれど、僕はもう来たる春を見据えているのでこんな浮かれたチョイスもしてしまう。 僕は服は好きだが服屋の接客が苦手で、服屋にいるおしゃれな客も苦手。「仲のいい店員がいてさ」みたいなものに憧れつつも、「仲のいい店員がいてさ」という人は苦手。こんな難儀な性格と自意識で、服を買うのはオンラインばかりになってしまった。そうしているうちに自分の体のサイズを把握してき

          僕なりのウエストサイドストーリー

          キリの良さそしてキリの無さ

          去年、4月になったとともに「何か新しいことをしよう」とnoteを始めた。誰に頼まれたわけでもなく、誰に届けるためでもないけれど、なんとなく毎週更新を自分に課し(てしまっ)た。今までの人生で数々の決意を早々に捨ててきた飽き性の僕としては非常に珍しく、まだ少し遠いところではあるものの1年の区切りが見えてきたほどに続いている。一応、このキリの良いところまで走ったら一旦「何か新しいことを」のチャレンジは成功したものとして、毎週更新のノルマからは解放されようかな、なんて思っている。その

          大富豪に大不合

          人間誰しも「通ったモノ」「通ってないモノ」を抱えている。僕はどうやら「通ってない」が周りよりも多いようで、しばしば困ってしまうのだ。 少年漫画を「通ってない」。 僕がドンピシャの少年だったころ、某海賊漫画も某忍者漫画も一切触れてこなかった。当然その後の某少年跳躍雑誌作品もよく知らない。あんなに流行っていた某鬼漫画も1秒たりとも見ていない。 少年時代に漫画が教えてくれるはずだった友情・努力・勝利を完全にスルーしてしまった僕は、だからこんなに捻くれてしまったのか。 スポーツを

          初詣MODE

          以前もこんな話をした気がするが、縁起や占いの結果みたいなものは悪くていい。なぜなら、いざ嫌なことが起きたときにそれのせいにできるから。占い1位だったのになあ、よりも占い最下位だったからなあ、の方が心は安定するものである。 さて、初詣に行ってきた。おみくじは末吉だった。確か去年が中吉で、その前がまた末吉。良いほうにも悪いほうにも転び切らないのがいかにも僕らしい。しかしいいぞ。先の理屈でいけばこの末吉は、今年起こる全ての嫌なことへの免疫になるのだ。 おみくじには、こんなことが書

          転倒無視のサンバ

          実家に住んでいたころ、冬になると必ず現れる「魔のスポット」があった。毎日そこを通るときにはドキドキした。それは僕の実家から最寄りの地下鉄駅に向かう道のゴール地点に潜んで、油断した僕を喰らおうと待っているのだ。 家から駅への進行方向と、地面からにょきっと顔を出す地下鉄駅の出入り口はちょうど逆向きに設置されていた。だから駅に入るにはぐるっと小さく180度ターンを決めなければならない。このターンと、沢山の人に踏み固められた雪道はすこぶる相性が悪い。つるっ。どてん。 僕は転ぶのが嫌

          つまんねえねんまつ

          1年が終わって、また新しい1年が始まる。それに大した意味などないことを、僕は知っている。12月31日から1月1日に日を跨いだとて、世界の秩序も住んでいる部屋も僕の見た目も貯金額も、何も変わらないのである。正確には年末ジャンボが当たった場合と、初売りで散財してしまった場合には貯金額は変わるか。どちらにせよそれは生活の一部でしかなくて、年越しが直接原因になるものではない。 それなのに年末にはなぜか「やりきった感」が漂っていて、誰もが全てから解放されたような顔をしている。 「ねん

          いくつかのメリークリスマス

          僕がまだ両親と同じ部屋で寝ていた、幼いころ。 サンタクロースへと手紙を書いてリビングに飾られたツリーの下に置いておく。気づくとその手紙は無くなっていて、クリスマス当日の朝には手紙があった場所にプレゼントが置いてある。サンタはやってくる時間を間違えないよう大変だっただろう。だってその日だけ僕はえらく早起きをするのだ。 まだ空は薄暗くて、リビングには電気がついていた。朝なのに夜みたいで、なんだか不思議だった。 そういえば、僕がさすがに早起きをしすぎた年がある。薄暗いどころでは

          36い日

          朝起きると窓の外が真っ白である。 昨晩まで「今年は雪がなくていいな」「もしやこのまま来ないんじゃないか、冬」なんて思っていた僕を嘲笑うかのように、真っ白である。 毎年やってくるXデー。この瞬間が僕はたまらなく嫌いだ。 札幌生まれ札幌育ち(寒そうなやつは大体友達)。雪の量もカチコチに凍った道も当たり前に染み付いている。しかし毎年しっかり苦痛なのである。例えば倍くらい遠く感じる駅までの道のりとか、一人分に狭められた細道で向こうから人がやってきたときの緊張感とか、その人の靴と自分

          微熱のすゝめ

          なんとなく、自分は昔から品行方正な優等生だったと思い込んでいた。ところが改めて思い返すと、目立って道を外れてこなかっただけでバレないようなズルはちゃっかりやってきたような気もする。というかやってきた。 僕の平熱は36.8℃とか、36.9℃とかそのへんだ。しばしば高めだねと言われるのだが日本人の平熱の平均は36.89℃らしいので見事に平均値である。あと少し頑張れば(何を)、気合を入れれば(どこに)、37℃の大台に乗る。昔から我が家ではこの37℃の大台に乗ると晴れて(何が)微熱