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キリの良さそしてキリの無さ

去年、4月になったとともに「何か新しいことをしよう」とnoteを始めた。誰に頼まれたわけでもなく、誰に届けるためでもないけれど、なんとなく毎週更新を自分に課し(てしまっ)た。今までの人生で数々の決意を早々に捨ててきた飽き性の僕としては非常に珍しく、まだ少し遠いところではあるものの1年の区切りが見えてきたほどに続いている。一応、このキリの良いところまで走ったら一旦「何か新しいことを」のチャレンジは成功したものとして、毎週更新のノルマからは解放されようかな、なんて思っている。その後はゆるく続けていく。誰に頼まれたわけでもないのだから文句は受け付けない。

キリというのは良ければ良いほど良い(非常に頭の悪そうな一文である)。そうして僕が思ったのは、ちょうど50回で一年を迎えられないだろうか、ということだった。一年365日、週でいうと52週と少し。毎週律儀に更新していれば越してしまうところなのだが、思い返すとサボった日があった。理由は忘れたけれど、一回はライジングサンの日と被ったせいだった気がする。これは過去の僕が起こした怠惰に他ならないが、今となっては立派な功績である。カレンダーを見て、4月までの残りの土曜日を数える。来週が43回、44、45…するとどうだろう。あと一回サボれば、3月30日に50回を迎えることになる。

この一回は大事な一回だ。ただのサボりとはワケが違って、明確な意義があるのだから。だからこそ使い所は難しい。先走って使ってしまえばその先絶対に落とせなくなるし、温存すれば一週残して50回を達成してしまう。せっかくのチャレンジ成功の温度感を高めるためには、なんとしてもキリが良いのが良い(非常に頭の悪そうな一文である)。

しかしここで僕はまたしても思う。3月30日に50回を迎えても、厳密な1周年には2日残っているのだ。それならば次の週まで伸ばしたほうが本当のチャレンジ成功になるのではないか。キリの良さは、追えば追うほどキリが無いのである。キリキリうるさい。胃がキリキリしてしまいそうで、ギリギリしない。


「どうやってサボるか」なんていう、読んでくれている人に対しては失礼極まりない話題で今回を終えようとしている。話題がある日もない日も、noteが用意してくれたお題や思い出話を擦ってなんとか続けてきた僕である。今回話題にした「サボり」がいつやってくるのかに注目しつつ、春までもう少しだけお付き合いいただきたい。

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