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客席から見える景色⑧Dr.ハインリッヒ

いちお笑いファンが、客席から芸人さんを見たときに覚えた感覚をエッセイ調で1000文字程度で書いていきます。

第八弾はDr.ハインリッヒお姉様。単独で受けた痛烈な激情を文字に。


客席から見える景色⑦

黒と濃淡の境い目の色、それを大きな水瓶にたっぷりと齎して。躰の胸元のあたりから粘り気のある液体を流し込んでいく。できるだけ神聖に、凛として荘厳とする。それが儀式の定めごと、透明な器にはヒトのかたちをした泥人形ができあがる。その人形をいざ、魂を容れる工程を行う作業場まで一人ひとり手作業で運んでいる。僕はここの作業員だったが、あの作業場の中身がどういうふうになっていて、どんなことが行われているのか、何も知らない。白い敷居に囲まれた部屋の前に置かれた、味気の無いステレンス製のプレートに泥の塊を載せるだけ。黒衣を纏ったふたりがその仕事を仰せつかっていると聞き及んだこともあるが、それも風の噂程度で保証はない。ヒラ天使の僕には遠く及ばない、格式高い大天使なのだろう。もし、…万が一にも…、僕が彼らに会うことができたなら、いの一番に、こう聞くだろう。人間の魂は何処に容れるのですか、と。僕がまだ人間として生きていたころ、それは脳であったり心臓であったり、そういう場所にあるとされてきた。そもそも魂に実体はあるのであろうか。人間は生命を持つ物体であるが、だからといって魂がすなわち物体であるということもなし。遵って魂とは、可能的に生命を持つ自然的物体の、【形相としての】実体である。そんなものを如何やって、人体の何処に押し込んでいるのか。僕は黙々と、粘土を捏ねる。ほぼ気絶状態に似た重苦しい勤めの中で、決して開くことのない鉄製の扉は深夜の青ざめた街路灯のように目の醒める神秘だ。人の生涯は専ら、暗鬱で、疑惑に充ち、苦悩と矛盾に覆われている。彼らが持ちうる精神、魂、心、愛、つまり人間のおよそ主体的なるものは常に肉叢に繫縛され、それらにひねもす絶叫、忘我、反抗、拒絶、断念、新しきものへの待望などが太刀打ちしている。僕ははからずもたった一つの個体を普段より念入りに混ぜ合わせ、形成し、体裁を整えた。そしてもしもこの躰に魂あるいは神的主体性が含まれるのだとしたら、それは黒と濃淡の境い目の色、いわゆる闇の色をした蝶々、または林檎のかたちが良いと思った。誰かがこの人間の心に触れた時、そういうかたちの境界をなぞれば素晴らしい。

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