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哲学の話 「テセウスの船」

世の中で最も非生産的な学問と言われている哲学。
それでいて今でも好きな人間は好きな学問でもある。

哲学の様々なテーマについては何千年も前から議論、討論が繰り返され今に至る。


例えば数年前にドラマになった「テセウスの船」。
ドラマや小説としてこのタイトルを知っていても「テセウスの船とは何なのか」は意外と知られていない。

『テセウスがクレタ島から帰還した際に使われた船はその後の時代まで保管されていた。しかし老朽化していた為に新しい木材で補強をしていくうちに元々の船の素材とすっかり入れ替わってしまった。当時の素材が残っていないこの船は果たして元の「テセウスの船」と言えるのか』

普通の人は「どうでもいいこと」と一蹴するであろうこのテーマは哲学者にとっては食いつかない筈が無いパラドックスで当然様々な議論が為され様々な喩えが唱えられた。


是か非か。
そうとも言えるしそうではないとも言える。

論破するのも楽しいだろう、賛同者がいれば嬉しいだろう、考えるだけでも議論するだけでも哲学者にとっては充実した時間となる。

この非生産的な時間が自らの視野を広げ新しい発見を得る事で思考はより深く潜って行く。

否定的な意見さえも刺激的と感じるのは自分の思考の可能性をより高め広げてくれるからだ。


まぁ哲学者というのは大概偏屈で理屈っぽい上に協調性に欠けるのであまり社交的とは言えない。
自分の世界が狭くなるくらいなら他人と笑顔で関わる必要性は無い。


それで本人は充分満足出来るからだ。
敵がいた方がより楽しめるからだ。



ちなみに私は文章を書くのが好きだが書いた文章はnoteなどのコンテンツに投げ付けるだけで終わる。
この文章もどの文章も思い入れが無いのでゴミみたいたモノだ。
なので過去に書いた文章は基本的に覚えていない。

そういう使い方はnoteでは間違いかもしれないが私は好きな事を嫌いになりたくないので一生懸命に文章を書きたくない、その時に思った事や感じた事をただ垂れ流すだけ。

だから自由に文章を書ける。
それが出来ないのなら文章は書かない。


今回は哲学について書いたがそもそも言いたいのは他人に合わせたり無条件に受け入れたりしていると自分の視野が狭くなり周りが見えなくなる、それが自分の可能性や思考を縛るから嫌いという事。

共同作業も嫌いという事。

それで離れて行くなら止める気も無いという事。


ああ、そろそろ書くのが面倒臭くなってきたので終わる。

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