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みんなちがって、みんないい。

近年よく耳にする「自己肯定感」という言葉。

なぜ自己肯定感を高めたいのかはわからないけれど、とにかく流行っている。自己肯定感を高めるとお金持ちになったり、モテ期が来るのだろうか。年中人気のダイエットサプリや新興宗教のように流行っている。

まるでたまごっちだ。

しかも自己を肯定することではなく、肯定した「感じ」を高めようという事らしい。そんなふわっとした概念が流行っているなんて信じ難いけど、

まるでたまごっちだ

時を同じくして「LGBT」「多様性」という言葉も流行っている。
Lはレズビアン、Gはゲイ、Bはバイ、Tはたまごっち。
知っているようで知らないけれど、とにかく流行っている。
多様性と外国人がなぜかセットで話されることが多い気がするけど
多様性とグローバル化とは「くちばしっち」と「おやじっち」くらい違うんじゃないかと思ってしまう。

今更なぜこんな事を議論しているのかわかならいけれど、
初期ゆとり世代の僕は小学校の教科書に掲載されていた
金子みすゞ氏のこんな詩を覚えている。

**「私と小鳥と鈴と」
 私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが
飛べる小鳥は私のやうに、
地面を速くは走れない。
私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のやうに
たくさんな唄は知らないよ。
鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。**

この詩が、自己肯定感も多様性についてもすべてを表現しており
今更なにを議論しているのかさっぱりわからない。ガチで1世紀も時代遅れなのだから驚いてる間に孫が生まれてぽっくり死んでしまうくらいの時代遅れ感まるだしだ。
金子みすゞ氏の時代としては今から約120年前の明治36年(1903)という時代に自己肯定感と多様性について解説されていたことになる(すげえ)

小学生の時は、その美しさを知っていたはずなのに
どうして大人になると、わざわざ解らないフリをするんだろう。
小学生の時はたまごっち面白かったのにおとなになった今、何が面白いのかまったくわからない。たまごっちを作ったのは大人だって言うのに。
本当は、わからないフリをしているんじゃないのか?

前フリはこれくらいにして、ぼくの考える
今日から「自己肯定感」と「多様性」を育む簡単な捉え方を紹介します。
育てたところで、何が得られるのかなんてわかりません。
しかし、それはたまごっちも同じこと。
育てること自体に意義があるんだぞ、いいな!

まずはじめに、自己肯定感と自信は、まったくの別物だと捉える。
順序で言うと先に自己肯定感を育み
自信を付けていくのはその後の話。

この順序を逆にすると、たまごっちからピーローピーローという音がする(死んだときの音)

褒めて自己肯定感を伸ばす、成功体験を積み重ねて自己肯定感を伸ばす。
という話をよく聴くのだけど、それははっきりと「自信」の分野です。

自分の長所を伸ばしていく、自分の武器を持つことで
あらゆるシーンに対応する「自信」が養われる。

一方、自己肯定感はというと「伸ばす」物ではない。
まず「自己」という言葉は内なる自分ではなく
客観的な自分、他から見える自分という意味合いが強い。
客観的に自分を見て、その自分を肯定してあげる感覚。
という構成のわかりにくい言葉だ。
その点たまごっちはボタンが3つしかないから、とても簡単だ。

どうすれば自己肯定感を育めるのか。

それは多様性にヒントがある。
たまごっちにも色んな種類のたまごっちがいるけれど
それぞれに優劣の設定はない、好きなたまごっちに育てればよいのだ。

多様性の尊重って
自分は自分、人は人。ということであって
異なる価値観の正しさを証明することでも
間違いを証明することでもないんだ。

自分はこうだけど違う人もいるんだなというフラットな気持ち。
それは否定でも肯定でもないし、同調することでもない。

違いを知ることであり、違うという事実を受け入れることなんだ。

わたしのたまごっちはおやじっちで
あの子のたまごっちはくちばしっちだった。
それだけの話しだ。
ぼくもあの子も何も間違えてないし、同じである必要もない。
それぞれが違う事実を知り、受け入れることが「多様性の尊重」に値する。

さて、ぼくがあの子がくちばしっちである事実を受け入れた時に何が起こったか。ぼくはあの子がくちばしっちである事実を肯定したという事になる。

同時に、あの子もまたぼくがおやじっちである事実を肯定している。

まったく難しいことなんかじゃないんだ。
ふたりは、ちがう。という事を認識し事実を受け入れるだけ。
これは客観的に自分を肯定する感覚(※自己肯定感)そのものだ。

どんなあなたであってもいいのだ。
褒められることがなくても、自分のいいところを知らなくも。
武器がなくても、自分が何者かがわからなくても。

あなたが、他の誰かをわたしとは違う人であることを受け入れることが
あなた自身を肯定することになる。

あなたはあなたでいいんだよ。
あなたは存在していいんだ。
あなたの存在は肯定されているんだ。
おやじっちだとしてもいいんだよ。

自信が欲しくなったなら、それはその時に考えればいい。
たまごっちが欲しくなったなら、秋葉原にならべばいいんだ。

みんなちがって、みんないいんだから。
ピーローピーロー。


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