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昨日を生きる。

人は思ったよりも多くのことを忘れてしまう。
大切にしたかった日々さえも風化してしまう、記憶は尊い。

いつの日か僕が死ぬ時は、そんな尊い記憶をどれだけ残せるのだろうか。

ある事をきっかけに、記憶が鮮明に蘇った事はありませんか?
雨の音を聴くと
昔住んでいた家の、マドの外の景色が眩しかった事を思い出す。
金木犀の香りで、むかし家族ででかけた公園で泣き喚いた事を思い出す。
トーキング・ヘッズを聴いて、昔の恋人の青いTシャツと笑窪を思い出す。
うな重を食べて、ふるさとのジリジリと暑い夏の日差しを思い出す。
雪が降ると、あなたは初めて見る雪に感動して、夜も更けているのに夢中になって雪と踊っていたのを思い出す。
久しぶりにかいた汗の匂いで、なりふり構わずギターを弾きまくったステージを思い出す。

ある事や物がきっかけで、記憶が鮮明に蘇る。
なんて経験がきっとあると思う。
僕は記憶のトリガーの事を「栞(しおり)」と呼んでいる。

栞に触れることで蘇った記憶は、苦い思い出も、辛かった思い出も
どうしてだろう、僕にとって大切な思い出となっていた。

思い出す行為はある種、昇華されたエンターテインメントとなっている。
苦しい今日も、辛い今日も、希望をもって栞をはさむ。
いつかその栞をめくった時「あの時は辛かったなあ。」なんて空を仰ぎながら穏やかに思う日が来ることを創造しながら、明日の自分へ栞を贈る。
そうして一歩一歩、
やがてくる終わりの日の自分へ、自分だけの特別な物語を紡いでいくんだ。

自分にとって何が幸せかなんて、そんなのわからない。
思い返した時にはじめてわかるのだと思う。
「ああ、幸せだったな。」って。

何を思いながら死にたいのだろうか、その景色を再現することが僕にとって「ありたい姿」なんだと思う。

だからこそ、
僕が終わりを迎える日に思い出したい今日の「残し方」を大切にしたい。
寂しい日も、悲しい日も、美しく残す。そういう栞の挟み方をするために多種多様な「瞳」を育てておきたいのだ。

本を読み、
音楽に耳を傾け、
絵画をなぞり、
舌を踊らせる。
香りにため息を混ぜ、
肌を撃つ寒さに恋文を書き、
冷たい夏を一気飲みする。

そういった感性を育てることが、過ぎ去ったあの日を美しく再生するための幸せの材料なのだと思う。

特別なものが目の前になくても
特別に観る「瞳」があれば、きっと明日への自分へ栞を贈ることができる。

今日、この日。
世界はコロナウイルスの蔓延により、人々は苦しみ
経済は血の巡りが悪くなり、薄暗い雲が連綿と続いているようだ。
まもなく、3月11日|東日本大震災から9年が経ち、未だ悲しみが僕たちを包む。

栞、それは瞳だ。
瞳、それは希望だ。
明日を諦めない希望だ。
暗闇を泳ぎ続けた爪痕だ。

僕は、一歩一歩
思い出したい昨日を生きていく。

思い出したい明日へ死にゆく。
思い出したい今日に、栞を挿みながら。

歯、磨いて寝ろよ。

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