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UFOと、TVの弊害について

             UFOとテレビの弊害について


 テレビを見るとバカになる、低俗番組、子供の教育に悪い、視力が悪くなる、など、昔からテレビの弊害はよく言われていた事だ。

 テレビを近くで見ると視力に悪いと言われていたようだが、現在のような薄型の大型画面のテレビが普通になる以前は、ブラウン管と言って、高価で画像の小さいテレビが普通だったようだから、遠くに離れてしまうと小さくてよく見えない。それに、画像を近くで見るのが悪いなら、PCも視力には悪いはずである。過去には奇妙な時代もあったものだが、それでも、テレビは人気があった。理由は単純で他に娯楽がなかったからだ。現在では動画でもゲームでも高画質で楽しめる時代だから、自分の好みに合った好きなものを見て、好きなものを楽しめばいいだけだ。わざわざ偏向報道や、どうだ面白いだろうという魂胆が透けて見えるようなテレビ放送を見る必要はない。ましてテレビ局が海外の勢力に実質的に乗っ取られてしまい、極端に左寄りな内容が多く、プロパガンダを平気で垂れ流す現在、面白いかどうかという以前に、まさに「子供に見せたら、子供が中国寄り、韓国寄りの意見に洗脳された奇妙な子にならないだろうか」という不安がありそうだ。そして、科学は正しいという名目の下に、現代の科学で分からないことを全否定してくるのも、「科学教」というか、科学の「信者」を増やすことになり、現実が見えない人が増えるという意味では大いに問題があると思う。

 科学は誤解があるが、全部が正しいというわけでもない。おおむね正しいし、正しいと実験で証明されたものについては、概ね正しいと言える。例えば、ニュートン力学などは実験でも検証された概ね正しい美しい理論だ。概ねと言うのは、その後アインシュタインの相対性理論が登場して、実は時空は伸び縮みして、ニュートン力学通りではないと分かったからだ。しかし、低速で動くものは、ほぼニュートン力学通りに動き、狂いは誤差の範囲というほど僅かだ。だからニュートン力学は現実の物の運動の近似値という意味では立派に正しく現在でも通用するし、ロケットの軌道の計算もニュートン力学で十分だし、アインシュタインが登場したからニュートンがダメという事では全くない。そういう意味では、科学は正しく、普遍性のある美しい理論だ。おおむね正しいだけでも、現実の実験で理論通りであると検証されれば、それは普遍性があり、価値のある理論だと言える。だが、問題は、そこではないのだ。

 問題なのは、現代科学でも全部が分かっている訳ではないという事だ。これは大統一理論が完成していないからダメとか、本当に現実が11次元だと実験で証明されていないからダメとか、そういう事を言いたいのではない。分かっているだけの事でも十分に素晴らしく、分かっている事については、非科学的な意見があれば、それは現実の合わないのだから排除していくのに大いに役立つという事だ。ところが問題なのは、現代科学で分かっている事を根拠に、奇妙な意見を排除するのは問題ないにせよ、現代科学では分からないから、それは間違いだと言い張る人がいる事である。分かっている事は根拠になるが、分からない事は根拠にはならないのだ。ところが科学の威力に慣れ過ぎてくると、科学で説明できる事は正しく、科学で説明できない事は誤りである(嘘である)と言い出す人が増える事だ。「そんなバカなことはない」と反論されそうだが、事実そうなのだ。それが「科学教」なのだと思う。科学的であるべき科学が、宗教化してしまったのだから、これでは逆に現実を歪めるばかりだ。

 テレビを見ていたら、非常に権威のある学者が「UFOは存在しない」と断定していた。これなどは、科学教の弊害の一例である。科学は相当進歩したけれど、まだ究極にまで進歩している訳ではないのだが、現代の科学で全部を推測してしまうと、その大先生のような意見になるのだろう。しかも、困るのは一般大衆は(最近はそうではないが)テレビの言う事は正しいと感じてしまう事が多いという事だ。何故なら、テレビ自体が「権威」だったからで、人は権威には弱いからだ。そして、権威あるテレビで権威ある先生が「UFOは存在しない」と断定してしまったのだから、「UFOを見た」と言う人は狂人扱いされる訳で、怖くて誰も「俺はUFOを見たんだよね」などと気楽には言えなくなったと思う。少なくとも、その番組を見た人は、自分の目撃体験を他人に話したいとは思わないだろう。

 ただ、科学教の先生でも、想像したことをテレビで現実の事のように喋りまくるUFO評論家よりは多少の科学性はあるという意味では、ましだと思うのだ。何故なら、現在分かっている科学、天文学、物理学からすると、「UFOなんて存在できる訳がない」という結論になるのは自然だからだ。つまり、光速より早いものはないと科学で分かっている。そして、仮に光速に近い速度で移動しても膨大な時間をかけなければ恒星間移動できないのは小学生でも知ってる事だ。まして大量の燃料を使う現代の強力なロケットで加速しても、出せる速度は光速に比べると遥かに低いのである。そう考えると、仮にUFOが飛来してきたとしても、アンドロメダ銀河などから飛来するは到底思えない。まして銀河群の外側の星から飛来するとは到底思えないのだ。じゃあ、天の川銀河なら飛来できる可能性があるかというと、仮に地球人が現代科学をフル活用してコストを度外視すれば他の恒星の惑星に降り立てるのかというと、これは絶望的としか言いようがない。何故ならご存じのように、宇宙は広すぎるからだ。NASAは「生命の住める惑星は天の川銀河に3億個ある」と言っている(ドレイク方程式という可能性を掛け合わせただけの計算にすぎないのではあるが…)。地球もその膨大な惑星のうちの一つなのだろう。地球人がいるのだから、異星人がいてもまるで不思議ではなく、これは科学者も否定はしていない。ただ、問題はその惑星までの距離が遠すぎるという一点につきると思う。だから、テレビで権威が「UFOは存在しない」と断定するのも、あながち間違いでもないと言える。現代科学で分かっている事を総合すれば、UFOが空を飛べるはずがないからだ。だから、テレビが面白がって利用しているUFO評論家というお笑い芸人よりは科学性がある分はましと言えそうだ。ただ、現代科学では分かっていない事まで留意していないのは、その学者の落ち度であると思う。まさに「科学教」であり、科学の強力さに感化されすぎで「木乃伊取りが木乃伊になる」という実例だと思う。科学は強力だから、現在の科学で考えて存在が無理そうなものなら、まず存在しえないと言いたいのだろう。それは、その通りでもある。宇宙人のいそうな系外惑星は、地球から余りに遠いのだから、火星人もいなければ、太陽系のどの惑星にも宇宙人はいないようだ(もちろんエウロパなどの衛星も含めてだが)と分かった時点で、UFOは科学的に否定するのが常識的な考え方だろう。白鳥座方向に第2の地球がある可能性があるとされている。それは嘘ではないだろうが、それは「ケプラー1652b」で、白鳥座方向に800光年以上離れた場所にある。つまり帆を張って太陽光で加速するような宇宙ヨットを人類の叡智を結集して作ったとして、そこに辿り着けるだろうか? 膨大な燃料で加速するロケットでは、秒速11km程度の速度を得るだけでも、本体の10~20倍の重量の燃料が必要だというのだから、それ以上に加速するのは、太陽光圧を利用する宇宙ヨットを(現代科学では)使うしかない。現在、イカロスという宇宙ヨットが時速1440キロという速度を出したのだが、技術進歩があれば、もっと出るだろう。でも、それがどうだと言うのだろう。光速とは秒速約30万キロである。ちなみに有人ロケットの最高速度の記録はアポロ10号の3万9897Km(秒速11km)である。宇宙船をアポロ10号のようなロケットで加速し、スイングバイで加速し、更に宇宙ヨットの帆を広げたとして、どの位の速度を得られるだろうか。これが現代科学の限界と言えそうだ。ロケットの燃料を使い切った時点で達成できるのは、仮に秒速10㎞まで出したとして光速の約0.03%だ。 スイングバイと太陽光圧とイオンエンジンで仮に慣性飛行するまでにその30倍まで加速したとしても、光速の1%だ。そうすると「ケプラー1652b」到着までに必要な時間は、単純計算で8万年かかるという事になる。 アホな計算をするまでもなく、本気で行けるような距離ではない。SFで巨大な宇宙船で数世代かけて行くだの冬眠するだの冷凍保存するだのアイデアが出ているが、そもそも機械が8万年の耐久性がある訳ないだろと気付くはずだ。それは、地球の科学だから無理なので宇宙人ならもっと速く飛べるとしても、仮に光速近くで移動できたにせよ、距離が遠すぎ生きて辿り着ける訳がないと気付くはずだ。ましてや、じゃあワープすればいいと思っても、それこそSFの世界で、UFOは存在しないと断定していた大学の先生にしてみれば「非科学的」な事だろう。だから、現代科学で科学的に考えれば考えるほど、いや図鑑の大好きな小学生でも、恒星間距離が遠すぎて移動は無理だとすぐに理解できるだろう。まあ、そういう事と、お笑い芸人のテレビによる時間差コラボレーションで、いい大人が恥ずかしくて「俺はUFOを見た」とは言えない世の中になってしまった。また、UFOは存在せず、実はこういう軍事技術があって、軍用機をUFOと勘違いしているだけとしたり顔で説明する輩までいる。「俺はUFOを見た」などと言うと「中学生じゃあるまいし、そんな事が信用できるわけないだろ」と怒り出すのが普通の見識のある大人なのだろう。

 では、実際にUFOを見たことがある人がいるのは、どういう事なのだろう。そういう麻衣も実は2度UFOを見ているのだ。しかもデイライトで、事実誤認はしようがないのだ。麻衣は以前にUFOの本を見ていて、そこには大量のUFO写真が載せられていた。もちろん、ほぼ全ての写真が捏造写真(合成写真だとか、皿を投げたとか、コンピューターで作成した絵だとか)だろう。当時は、その写真のすべてが捏造写真だと思っていた。特に、男の人の近くに、大きく明確な、半月のような白いUFOが浮かんでいて、そのUFOが煙を出しているのを見て、《これは嘘くさいな…》と思ったのを憶えている。かなり昔の写真だ。 ところが、冷静に考えてみると、もし本当にUFOが存在しているなら、ぼんやり写ってるのが本物で、明晰に写ってるのが偽物という判断は奇妙だと分かるはずだ。ぼんやり写ってる新幹線の写真は本物で、近くで明晰に写ってる新幹線の写真が偽物と言うのと同じことで、それは不自然な考え方だと分かるはずだ。でも、UFOなんていないだろうと思って見ると、そういうバイアスのかかった状態で見ると不思議なもので、大きく明確に撮影されている写真ほど偽物っぽく見えてくるものだ。まさか、こんな物が存在しないでしょ、と思ってしまうからだ。このことが、ぼんやり撮影されても、明晰に撮影されても誰もUFOを信じないという心理的な壁になっていると思う。しかし、麻衣の目撃したUFOというのは、一番噓くさいと思っていた白いUFOだったのだ。ここから先は、麻衣の目撃を信じるか信じないかになってしまうのだが、ちゃんと半月形をしていたし、煙も吐いていたし、写真同様に巨大だったし、まるっきり写真通りのUFOだったのだ。この時、ようやく《なんだ、あの写真は本物だったんだ》と知った。 この時、ようやくUFOを見たと言っていた人は、(テレビに出ているような一部の嘘つきを除けば)実は嘘つきでも、幻覚を見た訳でもなく、実際に見ていたのだと分かったのだ。UFOを見た人は自分が狂ってるとは思いたくないので目撃は事実だったと思うしかなく、逆にUFOを見た事の無い人は、決して常識的には有り得ない事を認めたくないはずで、そのどちらも非常に正常な反応であると思っている。 だから、目撃者は有ると言うしかないし(あるいは頭がおかしいと思われたくないから黙ってるだけだ)、逆に見た事の無い人はテレビ出演の先生のように存在を否定するだけだ。だから、UFOは信じるか信じないかではなく、見たか見てないかというどちらかかしか存在しえないのだ。オカルト好きでUFO評論家のファンだから俺は信じるぞと言ってる人は信じてるではなく、好きなだけだ。腹の中では《そんなものはありゃしない》と思っているだけだ。だから、「あなたはUFOを信じますか?」というのは非常な愚問だ。 UFOは信じるものではないし、宗教でもない。だから、見たことのない人にUFOについて説明したいと思っておらず、ここから先は見た事のある人向けの内容になるしかないのだ。

 まず、一番言いたいのは、現代科学は発達しきった科学ではないのだから、科学者であるから、大学教授であるからと、軽々に科学では分からない事についてまで断定してほしくないという事だ。見た事はないなら、見た事ないですねえとテレビで言えばいいだけだ。わたしが見た事がないから存在しないというのは、あるいは科学で考えて飛来するはずないから存在しないというのは傲慢だと思う。というのは、実際に目撃者がおり、それは科学で言う「観察」であり、観察されているものを存在しないと言う方が非科学的だと思う。そこで否定派が言うのは「見間違いだ」「幻覚だ」「事実誤認だ」「疲れてるだけだ」「そんなの認めたら宇宙人がいることになり変だ」などの変な意見だろう。見た、観察したと言っているのに、それを違うというなら根拠を言ってほしいものだ。軍用機の見間違いだと言うかもしれないが、麻衣はTR3Bアストラも現実に見ているのだ。それとは違っていた。しかも、過去のUFO写真と同型機を見たのだから、それを飛行機とかヘリコプターだったんじゃないのと言われても、見間違えようがない。そういう、はっきり何か分からない飛行物体もUFO(未確認飛行物体)だけど、ここでは、そういう意味ではなく、はっきりとUFOと分かったUFOの話をしているのである。またまた、中学生の言うような嘘をついてと思ってる人は、お疲れ様だったけれど、ここで読むのを終えて欲しいと思う。UFO評論家に茶化され過ぎて、UFOについて語る事自体、同列視されそうで憚られるものがあるが、ここではテレビ局の喜びそうな事を言って金儲けをしたいという意図はまるでないので、見た事のある人向けに書いているだけなのだ。 テレビの弊害は、そういうエキセントリックな事を言いたがる珍妙なUFO評論家をバラエティ番組で面白おかしく登場される事だけでなく、したり顔でUFOは存在しないと根拠を示さずに断定する大学の先生を登場させる事や、UFO存在しないという前提で有名タレントを使って科学的に存在しない事を力説する番組を制作している事だ。それは、どちらも需要があると思う。見た事のない人には、おかしなものが存在すると言われるよりは、存在しない事をうまく説明してくれる番組が自分の常識が肯定されて心地いいからだ。そして、奇妙な番組は、「ほらね、だからUFOなんて嘘なんだよ」と、こちらも自分の大人としての常識が肯定されて心地よいからだ。テレビは視聴率がスポンサーのためには最重要なので、あざとい番組と分かりつつも、UFOを見た事のない多数派に見てもらうため製作費を出すのにやぶさかでないのだろう。それはそれで仕方ないが、それはテレビの弊害でもある。現実にUFOを見ているし、見たものだけを信じている真面目な人も存在しているからだ。実際に観察されているものを、オカルトや非現実的なものに貶めるのがテレビの役割でないはずだ。しかも、UFOを実際に見た人には、あのUFO評論家のような有名人の存在は腹立たしく目障りでしかないはずだ。UFOについて想像を巡らすのは自由なのだが、現実に見た事と、自分が勝手に想像したり考えたりした事は、きちんと分けて考えるべきだ。そんなのは子供でも分かる常識的な事なのだが、それすらせずにテレビ受け狙いばかりしているのだから、真面目な目撃者にとっては、ますます肩身が狭くなるだけで、目障りなだけの存在でしかない。

 現代科学で考えるとUFOは存在しないのは最初に書いた通りなのだが、でも現実にUFOが少なくとも1機種は日本に来ているのだから、まず、それをうまく説明する事を優先してほしいと思っている。1機種というのはデイライトではっきりと麻衣が目撃したのは1機種なので(しかも目撃時間が30秒を超えていて目の錯覚や勘違いが起きるような一瞬ではないのだ!)、最低でも1機種は存在していると言っているだけだ。UFO評論家というお笑い芸人でないので、それがどこから来たとか、何星人とか、こういうテレパシーが届いたとか、そういう事を言う気はない。実は、その白いUFO以外にも、四角形の小型UFOを3機見ていて、急降下中に太陽光を受けてギラッと輝いたのまで見ている。ただ、これは数秒という短時間の目撃であり、落ち着いて観察したものではないので、1機種見たと言っているだけだ。

 じゃあ、現代科学ではUFOは存在しえない事と、実際にUFOが存在する乖離をどう考えたらベターなのだろうか。これは、やはり「現代の科学技術では無理だけれど、未来のテクノロジーでは可能になるはずだ」という風に考えるしかないと思う。人間が魔法のように遠い人と話したり、複雑な膨大な計算を一瞬でこなしたり、人間のように思考できる機械を作り出したりと、日本の江戸時代の人には魔法のような事を普通に出来るようになったのは、実は電気を利用するようになったからだ。電気を使う事で、パラダイムシフトが起きたのだ。だから、不可能なSFじみた事が可能になっただけだ。実は電気だけでなく、まだ人類は何度か生活が根底から底上げされるようなパラダイムシフトが何度か起こると思う。道具を使うような2001年宇宙の旅の冒頭のようなパラダイムシフトで文明を築き、次に電気を使うというパラダイムシフトで科学文明を築いた人類は、ポスト電気の「何か」を発見して更にパラダイムシフトを何度か繰り返すと思う。そういうパラダイムシフトが「何であるか」は、パラダイムシフトしてみたいと分からない事だ。そのくらいの飛躍が必要だからだ。でも、それが何かが分からないけれど、例えば核分裂による原子力発電は可能だけど、核融合による原子力発電は非常に現代の科学技術では難しそうだ。その理由は、核融合発電は1回パラダイムシフトした先の技術だからではないかと思っている。電気が使えないのに桁数の多い四則計算を機械にやらせようとすると、複雑な歯車が必要になり実現困難しか思えない。ところが電気を使い機械に四則計算をさせるには、100円電卓で十分だ。電気を使えば桁数の多い四則計算でもいとも容易に出来てしまう。その歯車と電卓のどこが違うのかというと、電気を利用するというパラダイムシフトの前か後かという事が最も大きいと思う。現在、核融合炉が難しいのは、歯車で四則計算をしようとしているのに似ているのかもしれない。「何か」のパラダイムシフト後なら、いとも用意に核融合発電は可能になり、そうなれば日本は燃料の上に浮かんでいるようなものだから、エネルギー枯渇の不安は一挙に一掃されてしまうかもしれない。また、パラダイムシフトして太陽光のような明るい光を簡単に作れるようになれば、都市部は昼間のように明るい人工光で都市ごと照らせるようになり、電気器具の照明は暗い照明の代名詞となり社会から一層されるかもしれない。そして、パラダイムシフトを繰り返した先には人類はワープ技術を手にしている可能性が極めて高いと思う。その理由はシンプルで、UFOが現実に飛来しているからだ。もし、UFOが地球由来のものでないなら、他の恒星の惑星から来ていると考えるのが自然であり、そうであるなら、ワープ技術がそれを可能していると考えるのが自然だからだ。という事は、遠い未来には、現在は素粒子1個しかワープさせられず、まるで不可能と思われている事が、可能になるだろうと考える方が合理的だと思うのだ。電気が発明されるまでは、機械に歯車を使わずに四則計算をさせる方法がまるで分からなかったように、大型の乗り物のワープ方法が、現在ではまるで分からなくて当然なのだ。問題はワープ方法を今研究する事ではなく、人類が滅亡しないで、ひたすらパラダイムシフトするまでの期間を生き延びる事ができるかという事だと思う。アインシュタインは優秀だが、歴史にアインシュタインが存在していなかったとしても、誰かが似たような理論を提唱して、結局はニュートン力学は別の方程式の中の一部分に過ぎないという同じ経路を辿っただろう。むしろアインシュタインについて言うならマッドサイエンティストとしてマンハッタン計画に加わりボーアらと共に核兵器を作り出した弊害の方も語るべきだろう。結局、巨視的に見れば知的文明である地球人が十分なパラダイムシフトが可能な期間、核戦争や天体衝突などで絶滅しない事が、ワープ技術開発には必須な気がする。そうすれば地球からUFOに乗って、「ケプラー1652b」などを人類が探索可能になるのも絵空事ではないと思う。進み切った他の文明がUFOを製造できて宇宙を自由に移動できたのに、地球の文明が発展しきった時にUFOが製造できないと考える方がナンセンスである気がするからだ。最初は人命重視で無人機による「ケプラー1652b」探索かもしれないが、いずれは現在のはやぶさの往復飛行のように、何度か無人での「ケプラー1652b」への往復飛行をした後に、人類が他の恒星の惑星に降り立つこともあるのではないかと考えられそうだ。もちろん、一度のワープで到着可能なのか、それとも複数回ワープする必要があるのかは分かっていない(当たり前だが)。そして、それが天の川銀河程度なら飛行可能なのか、それとも銀河群くらいなら飛行可能なのか、それとも宇宙のどこでも飛行可能なのかも分かっていない。でも、普通に距離の概念で考えると、近くに移動するのは容易で、遠くに移動するのは、時間の面でもコストの面でも機械の面でもあらゆる面で大変なのは間違いない。ワープというのは距離の概念が覆る技術なのは事実だろうが、それがどの程度、距離に対する既成概念を一変させるものかは不明である。ただ、不明ではあるものの、とりあえず比較的容易に他の近くの恒星の惑星まで移動可能な程度には距離の概念を崩す技術なのは間違いない。どの程度の技術かは不明にせよ、現在のUFOの技術と同程度の技術までは発展するのは間違いがなく、近宇宙への旅であっても、太陽系の惑星に縛られてしまう現在の宇宙の旅とは比較にならない飛躍なのは間違いない。ここまでは、UFOを確実に見たので、その前提の上に立って考えられることを書いてみただけで、決してUFO芸人のような戯言のつもりはない。また、UFOは断面が円形の形状のものの目撃例が多い事から、ワープするには円形の断面のものが適しているのかもしれない。そうならば四角などのものは母艦から現れた子機と考えるのが妥当だろうか。UFOを見たのは麻衣だけでなく、多くの人が目撃しており、しかもその中には有名な物理学者も含まれている。頭脳のが明晰な人でも、見た人はきちんと見ているのだから、、見た事の無い人は、それを根拠もなく存在しないと断定してしたり顔をするのではなく、もっと合理的な説明が出来るなら、きちんとするべきだと思う。ただ、これは麻衣のあくまでも実感(というか感想)に過ぎないのだが、巨大な体育館のようなサイズの物が重力に逆らって空中に微動もせずに停止していたのだから、直感的には地球のテクノロジーではないと思ったのは間違いがないところだ。それを可能にするのは戦慄すべき、或いは驚嘆すべき未来のテクノロジーという事だ。

 未来になれば、いずれ分かる事だ。そして、その時になれば、全てが解き明かされるのも間違いがないと思う。



(AIによるUFO画像)

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