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堀静香さん「せいいっぱいの悪口」から得た気づきー”人と同じは嫌”なのに分断が怖い。

年末、堀静香さんのエッセイ「せいいっぱいの悪口」を読んだ。堀静香さんの選ぶ言葉の組み合わせがどれもみずみずしくて、共感に加え表現の豊かさへの驚きが止まらなかった。

エッセイで綴られた「選ばれなかったこと」への思いや、インタビューで言っていた「みんなもそう思ってるなら、もっと仲良くしようよ」の言葉が、今の自分にすごく響いた。


私は天邪鬼だ。話題になっているものにはなんとなく手が伸びず、とにかく素直じゃない。人となるべく違うことをしようとする。そんな可愛げのないヘンテコな人間なのに、あなたと私は違うよね!と距離を取られると途端に寂しくなる、ややこしくて面倒な性格だ。


エッセイやインタビューを読み自己分析する中で、私は「分断が怖い」とわかった。


優しく気遣いを欠かさないような方が「子育てしながら勉強も頑張っているなんてすごい!」と褒めてくれることがよくある。

もちろん「褒められて嬉しい!ありがとう!」と思っているし、そう返せば良いのだが、面倒な性格の私は「ママとそうじゃない人、仕事にやりがいを求める人とそうじゃない人で距離を置かれているようで寂しい」と固まってしまう。相手からすれば挙動不審だ。


また、状況からすると私は「ワンオペ育児」をしていることになるのだが、執拗にその言葉を使わないことにしている。それは、育児をしている中で大変なことはそれぞれあるし、ワンオペじゃない人とワンオペの人で距離を取りたくないからだ。


◯◯と◯◯じゃない人で、簡単に分類することはできる。



でも、自分とは分類が違っていても何かのきっかけで繋がって、仲良くなった理由を忘れちゃうくらい居心地の良い関係が出来ることだってある。

だからこそ、「何のきっかけも掴めなくて仲良くならなかった人たち」について考えることがある。みんなと仲良くなるなんて、できっこないのはわかっている。ただただ、勝手に寂しくなっているだけ。


私は天邪鬼でヘンテコな自分を認めてあげたい。でも、分断が怖い。
それは、個性を認め合いながら人と繋がりたい気持ちの裏返しでもある。


インタビューが楽しい理由や小説で書きたいテーマの奥底にはこういった気持ちがあるのかもしれないと、気付かされた。





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堀静香さんはnoteやTwitterでも発信をされている。
私のような天邪鬼で寂しがりの人はエッセイを読んでみると、仲間が増えたような気がして心が温かくなるかもしれない。(※堀静香さんがそうだとは言ってない)

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